第7話 「王女来訪」編(5)

森の中を流れる名前もない川の流れはさほど急ではなく、大岩が転がっていることもなく、速度は落ちるが川の中を馬に乗って前進することができた。

しばらく進み、すっかり日が落ちた頃、ちょうど川岸に開けた場所があり、マリアたちはそこで最後の野営をすることにした。


深夜。

「王女殿下…、王女殿下…」

サラサラと穏やかな川の水音を聞きながらすぐに眠ってしまったマリアの耳元で囁く、スクロ二ーニャの声で目を覚ました。

月明かりに照らされ、細身の眼鏡を掛けた整った顔立ちが薄らと青白く浮かんで見える。

「スクロ二ーニャか、どうした」

手甲や手袋を外した手で目をこすりながらマリアが問う。

「…不穏な気配を感じます」

すでにたき火は消されていた。緊張感で張り詰めたスクロ二ーニャの表情に、マリアは眠気が一気に覚めていく。

「なんだと? 何も感じないが」

マリアは静かに周囲を見回す。だが、特段変わった様子は見られない。川の流れ以外、物音は聞こえない。

バッサ砦にだいぶ近づいたとはいえ、まだ王国軍の拠点となっている町よりはずっと王国領の奥に位置しているはず。帝国軍の兵がいるとは思えない。

「獣か、まさか盗賊か」

「分かりません。私が様子を見てまいります。王女殿下は騎士たちを起こし、念のためすぐ出立できるよう準備しおいてください」

王国軍の演習、カインツとの模擬戦闘でも、スクロ二ーニャの先読みには何度も助けられてきた。

「分かった。そなたも十分気をつけるのだぞ。何かあったらすぐに声を上げて私を呼べ」

マリアは迷わなかった。即答し、自ら甲冑を身に付け始める。

「かしこまりました。行ってまいります」

そう言うとスクロ二ーニャは平伏して一礼し、すぐ抜刀できるよう腰に下げた剣に手を添えながら茂みの中へと入っていった。


スクロ二ーニャが偵察に出て、わずか。

「きゃーっ!」

大切な部下の甲高い悲鳴が川岸に響き渡った。

「スクロ二ーニャっ」

叫び、マリアが立ち上がろうとした瞬間だった。

パスパスパスッ、パパパパッ。

立て続けに乾いた音が鳴り、闇を切り裂くように小さな白い光が光跡を描いて幾筋も飛び交う。

「敵襲! 敵襲!」

部下の叫びに交じって馬が倒れ込む音とともに苦しげな呻き声が聞こえる。マリアはとっさに頭を抱えてその場に伏せた。

マリアの身を守ろうと騎士たちが危険を顧みず駆け寄ってきた。

「王女殿下、お怪我はありませんか」

謎の音と光の筋が途絶え、再び静寂が辺りを包み込む。

「大丈夫だ。全員、無事か」

「我らも傷一つございません。しかし、馬が…」

頭を低くしたまま振り返ると、馬が一頭残らず川辺で倒れていた。

魔法で馬だけを狙って足止めするなど、ただの盗賊の仕業とは思えない。

「くっ、こんなところで…」

騎士たちはその身が盾となるよう王女であるマリアを囲んで2人が剣を抜き、エルフの騎士がいつでも魔法を放てるように杖を掲げ持つ。小声で雷撃魔法の呪文を詠唱する声が聞こえる。

「何者だ! 姿を見せよ!」

不意打ちとは騎士道精神に反する卑怯者の手段。スクロ二ーニャの身を案じつつ、マリアが怒りの声を上げた。

「狼藉者ども、隠れていなければ何もできぬのか!」

その言葉を合図にしたかのように、ガサガサと音がして揺れた周囲の茂みの中から、バシャバシャと水音を立てて底の浅い川を渡って暗闇の中から、人の姿を模した暗闇色の影が現れた。

その数、優に30人を超えている。


姿を見せたのは、冥界から蘇った亡者などではなく、紛れもなく、人間だった。証拠に、獣人族の特徴的なネコやウサギなどの獣耳を持つ者が含まれている。

だが、服装が異様だった。全員同じ、闇に溶け込む漆黒の服を着ており、上半身にはやはり真っ黒な厚手の布束のようなもの(後に防刃・防弾チョッキという特殊な防具だと聞かされた)を甲冑がわりに身に付けている。何より、奇妙な眼鏡(後に暗闇でも見通せる暗視ゴーグルという特殊な装置だと聞かされた)のついた仮面で顔全体を隠している。

暗闇色の兵士たちは一切の隙なくマリアたちを取り囲み、無言のまま少しずつにじり寄ってくる。俊敏なネコ族の兵は両手にナイフを持っていつでも飛び掛かれるように腰を低くし、獰猛な狼族の兵は槍を、小柄ながら力の強い亜人種ドワーフは大鉈を両手で構えている。

月明かりに浮かぶ揃いの服装や統率の取れた動きに、マリアは森の中に潜んで隊商を襲う盗賊の類いではないと判断した。

まさか、こんな王国領深くにまで帝国の兵が侵入していたとは…。

親友の身を案じ、一国も早くバッサ砦近くの拠点にたどり着くことだけを考えていた、自身の油断、判断の甘さにほぞを噛む。

エルフの兵が何人も、見たことのない変わった形の杖を腰のあたりで水平に構えているのが見えた。

マリアの身を守るべく盾となって前面に立つ若い騎士の剣が、緊張か恐怖か、微かに震えていることに気付いた。腕が立つとはいえ、部下たちは皆、初めての実戦。しかも多勢に無勢の状況だ。

今は自身の不明を嘆いている場合ではない。なんとかして包囲網を突破し、部下とともに逃げ延びねばならない。もちろん、スクロニーニャも連れて。

マリアは少しも戦意を喪失していなかった。

「貴様ら、何者だ。王国の誇り高き騎士に一戦挑むのであれば、まずは名乗りを上げよ!」

静寂を破り、マリアの透き通った声が響き渡る。弱気な感情など一切感じさせない、凜とした王女の言葉が部下の士気を高め鼓舞する。

「我らは…」

取り囲む正体不明の敵の中から、一際大柄な兵士が歩み出てきた。

女、だと!? 聞こえた敵兵の声色にマリアは驚き、思わず耳を疑った。

「ガレリア真帝国、特務部隊、黒鷲隊」

仮面越しのくぐもった声ながら、間違いなく、女の声色だった。

「…王女殿下、雷撃魔法で不意打ちし、私たちが突撃して包囲網に穴を開けます。王女殿下は混乱に乗じて脱出してください」

「待て、焦るな。敵は有利な状況で勝利を確信しているはずだ。私が油断させて隙をつくる。不意打ちをするのはその時だ」

部下の小声の進言を冷静に諫めてマリアは、緊張で乾いた喉にごくりと唾を飲み込み、「ここは神聖なる王国領だ。下賤な帝国の兵が土足で立ち入るなど決して許されない。死にたくなければすぐに立ち去れ!」。マリアの王女らしからぬ鋭い怒声は、自分たちが圧倒的に不利な状況にあるということを全く感じさせなかった。

「おまえが指揮官か。そうか、なかなか肝が据わっているじゃないか。見ての通り、おまえたちは完全に包囲されている。おとなしく武器を捨てて投降すれば命は保証する。捕虜として相応の待遇を約束しよう」

帝国軍兵士の、それも女が、まるで指揮官のような口ぶりで話していることに、マリアは違和感を抱いた。

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