第9話 「王女来訪」編(7)
金属の擦れ合う耳障りな硬質音を鳴らして、引き抜かれた剣を目の当たりにし、マリアは目を見張った。
大柄なアマゾネスの膝から肩ぐらいの長さで、刀身は肉切り包丁よりも太い。そして、刃先まで剣全体が真っ黒だった。
アマゾネスが両手で持つ漆黒の剣先を地面に置くと、ズシンを重たげな音が川岸全体に響いた。異様な剣の迫力に気圧されたのか、背後で部下の騎士が息を飲むのが分かった。
だが、マリアは自身の勝利を確信した。
いかにアマゾネスは力が強いとはいえ、あれだけ巨大な剣を扱うとなれば大振りにならざるを得ない。対して、マリアの剣技の最大の特長は、剣さばきの速さにあった。正面からやり合うのではなく、受け流して持ち前の素早さで懐に飛び込んでしまえば、一瞬で勝負はつくと判断した。
マリアは腰に下げていた剣、王国の正統後継者の証でもある聖剣を引き抜く。細身の刀身は暗闇の中にあって、煌めくような輝きを放っている。
「ほぉ、見事な剣だな。ただのお飾りではないようだ」
鋭い瞳が驚きに見開かれ、アマゾネスにしては薄めの唇から感嘆が漏れた。
マリアの聖剣は、エルフの魔法で強化され、敵の鎧鉄ごと一刀両断できる。魔力を感じられるエルフならば、刀身全体にまとわりつく魔力の揺らめきを見ることができる。だが、相手はアマゾネスだ。マリアは単なる戯れ言だと受け止めた。
王国と帝国、相まみえた敵国同士。それぞれの部隊の指揮官が抜き身の剣を構えて向き合う。ピンと張り詰めた緊張感に誰も身じろぎ一つできない。深夜とはいえ、まだ初秋の空気は生温かいはずだが、この場だけは冷え切って身震いするほどの寒気を感じさせた。
真っ直ぐ敵に剣を向けるマリアは引き締まった表情で、アマゾネスを見た。細い眉に怜悧な瞳、すらりと通った鼻筋に薄い唇。美しく整った顔立ち。編み上げ帽子に隠れているのか、もとより短髪にしているのか、髪の毛は見えない。神経は研ぎ澄まされていたが、感情は思いのほか冷静だった。上半身の力は適度に抜き、瞬足の踏み込みができるよう足の裏にのみ力を込める。
ようやくアマゾネスが両手で剣を持ち上げた。巨大な剣の重さで、剣先はゆらゆらと安定しない。アマゾネスは唇を微かに開き、短く息を吐く。剣を揺らしながらも余裕の表情を取り繕うとしているのか、口の端を釣り上げてニヤリと笑った。不敵な笑みを浮かべて、言った。
「なぜ帝国に与するのか、理由を教えてやろう。私は奴隷ではない。もちろん強制されてなどいない。私は、私の意思で、ここにいる。それはな…」
フラフラと宙をさまよっていた剣がぴたりと止まった。アマゾネスがゆっくりと剣を振り上げる。
「私の愛する者が目指す、理想の世界を実現させるためだ!」
叫びながら駆け出し、大木のような剣を振り下ろす。
マリアも瞬時に反応した。左斜め上からの袈裟切りに自分から飛び込み、受け止めずに漆黒の剣の幅広な刀身をはたいて軌道を反らす。
狙い通り、ブオンッと疾風を巻き起こして遠ざかっていく剣先を視野に入れながら地を這う姿勢で敵の懐に飛び込んでいく。がら空きの脇腹へ、針のように鋭く一直線に剣を突き出す。
「もらった!」
剣がアマゾネスの身体を深く貫いた、そう思った瞬間だった。
腕まで痺れる強い衝撃とともに、ガキンッと鈍い音が弾け、火花が散った。
アマゾネスが刀身を盾にして、マリアの剣を受け止めていた。
驚愕したマリアの耳に、「剣に迷いがない。鋭く、そして速い」。まるで剣術教師が弟子を褒めるような、「鍛錬の成果を実戦で十分発揮できている。見事だ」などという台詞が飛び込んできた。視線を上げると、アマゾネスは嬉しそうに頬を緩めていた。
慌てて後方へ飛び退き、剣を構え直して体勢を整える。
「ハッ、ハッ、ハッ」と乱れた呼吸が溢れて止まらない。金糸で豪華に飾られた純白の騎士服の下、背中は冷や汗でぐっしょり濡れていた。
大きく重い剣を勢いよく振り抜けば、いくら力のあるアマゾネスとはいえ、すぐに引き戻せるとは思えない。だが、目の前の敵はそれをやってのけた。
強い、しかし、退くわけにはいかぬ。
確実に仕留めたはずの一撃をかわされたマリアは、内心の焦りを気取られないよう剣を握る手に力を込める。
「どうした? 攻めてこないのならこちらから行くぞ」
もっと速く、速く、己の得意とする剣で倒すのみ。
睨み合っていたマリアとアマゾネスが、同時に踏み込んだ。
両軍の指揮官同士、文字通り火花散る激しい剣戟が繰り広げられていた。周囲を包囲する黒服の敵兵もマリアの部下たちも、互いに手出しする隙はなく、勝負の行方を見守るしかなかった。
初の実戦で、マリアは訓練の時以上の高速の剣さばきを見せていた。王女とは思えない一流の剣技だったが、アマゾネスは巨大な剣を巧みに操って受け流す。次第に力で勝るアマゾネスがジリジリと前に出て、マリアを追い詰め始めた。
まずい、このままでは押し切られる。
四方八方から鋭く飛んでくる剣を弾き返すだけで精いっぱい。敵の繰り出す一撃一撃が重く、手は痺れ苦しい体勢に追いやられていく。
魔法で強化された細身の剣は刃こぼれ一つせず、切れ味も変わらないが、攻めに転じることができない。
一対一の決闘だったが、不利な状況を打開するには部下のエルフに魔法を放たせるしかない。卑怯な手段だが、スクロニーニャを奪い返して脱出するためには、やむを得ない。そう判断して背後に視線を向けようとした。
「これで終わりだ」
一瞬の隙を見逃さず頭上から大きく振り下ろされた巨大な剣を、真正面から受け止めた。瞬間、漆黒の剣が淡い赤紫色の光を帯びる。
「まさか、魔剣!?」
強烈な衝撃が全身を貫き、マリアの意識はそこで途切れた。
王国との事実上の国境である大河に沿って広がる深い森を、帝国は緩衝地帯と位置付け管理していた。人の手がほとんど入っていないように見える鬱蒼と茂った森を抜けると、途端に揺れがしなくなる。
夜明け間近、朝焼けで遠くの稜線が赤く浮かび始めていた。
王国の石畳とは違って真っ平らに舗装された道を、黒色の高機動装輪車が猛スピードで走り抜けていく。
「作戦、うまくいきましたね、隊長」
助手席のエルフが振り返り、運転席の真後ろに座っているアマゾネスに話し掛けた。
「ああ、ここまで事前の段取り通りにいくとは正直、思っていなかったがな」
「隊長が突然、一騎打ちなんて言い出したときは驚きましたよ~。もし負けたら、本当に見逃すつもりだったんですか」
「まさか。この剣を持っている限り、私が負けることはないさ。総隊長のもとに連れて行くのが、私に与えられた役目だからな」
答えたアマゾネスが、後部座席の中央でぐったりと意識を失っているマリアを見やった。しばらくは目を覚まさないだろうが、念のため目隠しをした上で両手両足を拘束している。
「今回の作戦の成功はすべて、おまえのおかげだ。よくやった」
マリアを挟んで反対側、助手席の後ろ側の席でまだ薄暗い田園風景を眺めていた女が、労いの言葉に振り向いた。
「無事に任務を終えることができて、今はホッとしています」。安堵のため息を漏らし、細身の眼鏡を外した。
「長期間の任務、本当にご苦労だった。疲れただろう。本部に着くまで、まだしばらく時間がある。それまで眠っていて構わないぞ」
目尻を拭って眼鏡を掛け直す。
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
そう言って背もたれに寄り掛かり、静かに睫毛を伏せた。
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