第10話 「王女来訪」編(8)

夢を見ていた気がするけれど、思い出せない。

ふわふわの布団と適度な弾力のベッドが心地いい。うつらうつら微睡みながら寝返りを打った。

薄く目を開くと、眩く煌めく光が部屋に差し込んでいるのが分かる。朝の訪れを感じさせる爽やかな風が頬を撫でた。

まるで王宮の自室にいるときのよう。いや、王宮よりも快適…。ぼんやり、そんな風に思って、飛び起きた。

一瞬で、目が覚めた。

バッサ砦に近い町へ向かう途中、帝国軍と遭遇し、アマゾネスと決闘して、魔剣で気を失ったはず…。

ベッドの上で上半身を起こしたマリアが周囲を見渡すとそこは、飾り気はないが落ち着いた雰囲気の広い部屋だった。応接セットのソファや机、クローゼットなども置かれている。窓近くのベッドの上にいた。

あれから一体どうなったのか、事態が飲み込めないマリアの耳に、「おはようございます、姫殿下。ご気分はいかがですか」。ふいに話し掛けられ、驚いて声のした方を向くと、ベッドの傍らにメイド服を身にまとったネコ耳の小柄な少女がちょこんと立っていた。

部屋の中に人がいたことに、その気配に、マリアは全く気付かなかった。

「…ここは、どこだ」

恐る恐る尋ねると、少女はニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべたまま、「帝国です」。きっぱりと答えた。

「帝国、だと?」

「はい。姫殿下、ガレリア真帝国へ、ようこそおいでくださいました」

そう言って深々と腰を折り、マリアに向かって丁寧にお辞儀をした。

帝国ということは、やはり、囚われの身になったのか。

慌てて自分の身体に触れ確かめる。帝国では奴隷の女に鉄の首輪をして鎖で繋ぎ、自由に動けないようにして辱めると聞かされていた。だが、首輪どころか、手足にも拘束具の類いは一切嵌められていなかった。

気が付くと、白薔薇騎士団の純白の騎士服ではなく、薄い寝間着姿だった。驚くほど軽く肌触りの良い極上の生地で仕立てられている。

「ご安心ください。姫殿下のお召し物は汚れておりましたので、男性の目のないところで、私どもで着替えをさせていただきました」

見透かしたようにメイドの少女が口を開く。

「ここは帝国領内なのだな」

もう一度、確かめるように聞く。

「はい」

「ならばここは帝国の…、この建物は、牢獄ではないようだが…。ここは帝国のどこか。我が身をどうするつもりか。それに先ほどから私のことを姫殿下と呼んでいるな。そなたは私が誰か、身の上を知っているのか」

「えーっと、ですね」

ネコ耳をヒクヒクと揺らし、少女は小首をかしげて口ごもり、「そういう色々なことは、私からはお話しできません。後ほど、上の者?が参りますので、その時にご説明させていただきます」と言葉を継いだ。

「上の者?というのは、そなたの主のことか」

「えっと、まあ、主というか何というか、とにかく、偉いお方です」

どうにも歯切れが悪い。

「ともあれ、姫殿下、お腹が空いておいででしょう。すぐに朝食をお持ちいたします」

少女がベッドサイドに置いてあった呼び鈴を鳴らすと、大きな扉が音もなく開き、同じようにメイド服を着た少女がしずしずとした足取りで部屋に入ってきた。今度はヒト族の少女だった。

「姫殿下に朝食を。急いでお持ちしなさい」

「かしこまりました」

マリアに対するときとは打って変わり、はっきりとした口調で命じる。王国では、二等市民の獣人族が一等市民のヒト族に命令するなどありえない。マリアは目を見張った。

「今日は天気が良いので、朝食はベランダでお召し上がりください」

尻尾を揺らしながらメイドの少女が窓の方へ歩いて行く。

マリアはベッドから起き出て、素足を絨毯に置いた。毛足の長い、一級品の絨毯だった。

あらためて部屋を見回す。

豪勢な飾りではないものの、太い柱には精緻な彫刻がさりげなく施され、高い天井にはどこから火を付けるのか分からない奇妙な形のシャンデリアが吊り下がっている。家具類の作りもしっかりしており、部屋全体が上質感に溢れていた。これほど立派な館を持つ貴族は、王国でもそうはいないだろう。ならばここは、王国との国境に近い帝国でも有力な連邦国家の首領の館か、別宅か。いずれにしても帝国内で相当高位の貴族が所有する建物だと判断した。

敵国の王女をここに閉じ込め、妾(めかけ)にでもするつもりか。そのような生き恥を晒すぐらいならば、いっそ…。

マリアが悪い想像に思いを巡らせていると、視界の端で白い布が、カーテンがフワッと捲れ上がるのが見えた。

メイドの少女が大きな窓を開け放ち、風にカーテンが揺れている。

抜けるような青空が広がっていた。

マリアは再び目を見張った。青空ではなく、その大きな窓に。

人の背丈の3倍はあろうかという高い天井。床からその天井まである窓は、上下にはめ込まれた2枚の大きなガラスが面積のほとんどを占めていた。

王国でも近年、ガラス製造は盛んに行われている。北方の国からもたらされた新技術で、窓ガラスはもちろん、食器類にも広く使われて始めている。だが、これほど大きな薄い板ガラスを作る技術は持ち得ていない。

「姫殿下、どうぞこちらへ。とても気持ちいいですよ」

帝国は、これほど大きなガラス窓を作れるのか。内心の動揺を悟られないよう表情を取り繕い、マリアは立ち上がった。

虜囚の辱めを受けるくらいなら、潔く。王女として、騎士団長として、そのぐらいの覚悟はできている。だが、それは最後の手段。幸いにして、手錠や鎖で拘束されていない。ならば、帝国内の情勢を探り、できるだけ多くの情報を得てから脱出し、部下とともに生きて王国へ持ち帰る。

「こちらにお掛けください」

メイドに促されるまま、ベランダの椅子に腰を下ろした。柔らかなクッションに身体が沈み込む。目の前には純白のテーブルクロスが敷かれた丸テーブル。小さな花瓶によく見知った可憐な花が飾られていた。

奴隷に対してではない、賓客としてもてなすという意思が感じられた。ならば、交渉の余地があるかもしれない。マリアは、当面の対処方針を定めた。

「そなたの主というのは、男か」

まずは、最初に会うことになるだろう敵国の貴族の人となりを知る。

「はい、男の方です」

予想通りの返答だった。

「その者は、この館の主でもあるのだな」

「そうですね、そういう表現でも、間違いではない、と思います」

メイドの少女は少し考えてから、肯定した。

「なるほど。では、この館の主はどのような人物なのだ」

そうマリアが尋ねた途端、少女の表情はパッと輝き、満面の笑みになった。

「はい、とっても優しいお方です」

声を弾ませたかと思えば、微かに表情を曇らせ、「あまりにお優しすぎて、時々心配になってしまうんです。お側にいて、できるだけ支えてあげたいって思うぐらい、優しいお心をお持ちなんです」と続けた。

予想とは違う返答だった。メイドの話をどう受け止めるべきか戸惑ったが、少なくともメイドが自分の主を慕っているということは分かった。

奴隷に対し、酷い扱いをするような人間ではないらしい。そう思って何気なく口をついた「そうか、奴隷の身でありながら、そなたは良い主を持ったようだな」。マリアの言葉に、メイドの少女はきょとんとして、『この人はいったい何を言っているんだろう』とばかりに、ポカンと口を開いてネコ耳を忙しなく揺らした。あっけにとられていた。

「どうかしたのか」

メイドの少女ははたと気付いたとばかりに、「あぁ~、そっか」と呟いて手を打つと、再び笑顔に戻る。コロコロと表情が変わる、可愛らしい少女だった。王国にいれば、さぞかしモテたに違いない。

「あのですね」

メイドが続けた言葉に、マリアは耳を疑った。

「私、奴隷ではありません」

「…奴隷ではない、だと」

「はい、私は、私の意思でここにいるんです。自分で望んで、お仕えしているんです」

記憶が蘇る。森の中で遭遇した帝国の兵士、アマゾネスの指揮官も、確か『私は、私の意思で、ここにいる』と言っていた。

「いったいどういう」

マリアが問い返しかけたとき、部屋の大きな扉が開いた。

「姫殿下のお食事をお持ちしました」

「食事の用意ができたようです。すぐにお持ちしますね」

ネコ耳のメイド少女が、尻尾を振りながら部屋の中へ戻っていった。

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