第11話 「王女来訪」編(9)
テーブルに並べられた朝食は、厚切りのベーコンと炒り卵、サラダが盛り付けられた皿に、スープのカップと、パンの入ったバスケットだけ。小皿にバターとチーズが添えられていた。
王宮での日々の朝食からすれば、質素を通り越して粗末といっても過言ではない。だが、マリアは少なからず驚いていた。
焼きたてなのだろうベーコンの匂いは香ばしく、サラダの野菜も見るからに瑞々しい。見ただけで新鮮だと分かる。煮豆のスープは湯気を立て、パンからも食欲をそそる小麦の良い香りを漂わせている。
王宮での毒味をすませた冷め切った料理より、騎士団の演習で遠出をしたときに野営地で食べる出来たての糧食の方が好みだったマリアにとって、目の前の食事は決して豪華ではないが、率直に美味そうだと感じた。
「あの…、申し訳ありません」
突然の謝罪に顔を上げると、メイドの少女がシュンとした表情で肩をすくめていた。ネコ耳も心なしかうなだれている。
どうしたのだ、と目線で告げると、メイドは「姫殿下のご来訪が大変急でしたので、私たちと同じ食事しかご用意できず、本当に申し訳ありません」。腰を折って深々と頭を下げた。
どうやら、マリアが出された食事を不満に思い、手を付けようとしないのだと受け止めたらしい。
「そなたが謝ることはない」
ナイフとフォークを手に、マリアは尋ねた。
「そなたたちも、これと同じものが食べられるのか」
「はい。うちの料理長の料理、とっても美味しいんですよ。気をつけていないと、ついつい食べ過ぎちゃうんです」
浮かない表情をしていたかと思えば、一転、人懐っこい笑顔に変わる。
「あっ、料理長は女性ですから、姫殿下、ご安心ください。もちろん、毒とかそんなものは、入っていませんから」
同性相手だからか、メイドの少女の親しみやすい性格のせいか、敵国に囚われているという緊張感を思わず忘れてしまいそうになる。マリアは、口元に微笑みを浮かべ、「分かっている。毒を盛るぐらいなら、そもそも私を生かしてはいないだろうからな」。冗談めかして言って、切り分けたベーコンを口に運んだ。
「そのまま食べても美味しいですけど、バターを塗ったパンにベーコンとチーズ、野菜を一緒に挟んで食べると、もっと美味しいですよ」
言われたとおりにして食べてみると、焼きたての柔らかなパンと新鮮な野菜のシャキシャキとした食感に、濃厚な肉汁とチーズの味わいが重なる。帝国で流行している『さんどいっち』という食べ方らしい。
王国ではここ数年、農作物が不作続きだと知ったばかり。振り返ってみれば、王宮の食事で饗された野菜は、確かに新鮮とは言い難かった。裏通りの寂れた様子から想像するに、市井の民が、二級市民が、そもそも野菜など口にできていたのか疑わしい。
しかし帝国では(『奴隷ではない』という言葉の真偽は定かではないが)ネコ族のメイド少女でさえ、日々、こうした新鮮な食材を使った食事を摂っているという。
王国と帝国では、食糧事情に大きな差があるらしい。
舌が美味いと感じるほど、マリアは王女として、胸中に苦いものがこみ上げてくるのを感じずにはいられなかった。
朝食を終え、メイドたちが食器を片付けている。
ふとベランダから外を眺めてみると、そこは広大な敷地に色とりどりの花が咲き乱れる花壇や立派な噴水、迷路のような散策路が整えられた大貴族の館にふさわしい庭園、とは似ても似つかない異様な風景が広がっていた。
監視塔がいくつもある高い石壁に囲まれた広場は一面、芝生が敷かれ、あちこちで黒服の兵士たちが剣術や武術の鍛錬にいそしんでいる。
「まるで騎士団の訓練場ではないか」
豪華な館と軍隊の拠点、二つが合わさったここはいったい何なのか、マリアには思いつかなかった。石壁の向こうには、はるか遠くまで建物が連なっている。教会なのだろうか、高い尖塔がいくつも見える。
芝生の敷地の端に、木造で簡素な造りの建物が見えた。三階建てだが窓がやけに小さい。武器庫だろうか、などと考えていると、「姫殿下、お召し物をお着替えください」。いつの間にか背後に立っていたメイドに声を掛けられた。
「もうすぐ上の者?が参ります。そのままのお姿では差し障りがございますので。どうぞ、こちらへ」
言われて我が身を見れば、軽くて肌触りのよい生地は陽の光を浴びて素肌を薄らと透かし、豊満な胸の膨らみがくっきりと浮き上がっていた。
飾り気のないシンプルな、足首まで隠す白い清楚なワンピースに着替えたマリアは、応接セットのソファに腰を落ち着けた。
「お待たせして申し訳ありません、姫殿下。会議が長引いているようです」
メイドの少女が、大きめの冊子を差し出した。
「今しばらく掛かるようですので、それまでの間、よかったらこれでもご覧になっていてください」
「何だこれは」
冊子の表紙には、見慣れない風変わりな服に身を包んだエルフの女が笑顔を浮かべ、スタイルのよさをアピールするポーズを取っていた。パラパラとやけに薄い紙をめくると、派手な色使いの服を着た、さまざまな種族の女が描かれている。それも、まるで本当の立ち姿を切り取ったかのような、驚くほど鮮明な絵だった。
「それはですね、『つーはんのかたろぐ』です」
「つーはんのかたろぐ!?」
「はい。『つーはんのかたろぐ』っていうのは、帝都でいま流行している洋服をいっぱい紹介している冊子で、去年から帝国全土で無料配布されるようになったんです。それでですね、気に入った服があったら、一番後ろのところに綴じ込んである用紙に書いて手紙で申し込むと、その服を家まで届けてくれるんですよ。わざわざ帝都まで行かなくても家にいながらにしておしゃれな服を買うことができるから、とっても便利なんです。女性の間で大人気なんです。ちょっと時間が掛かっちゃうのが、あれなんですけど。いつ届くかなぁって待つのも楽しいんですよね」
喜々として通販の仕組みを説明するメイドの話を聞きながらマリアは、つまりに私に男の歓心を買うような服を選べということか、奴隷を着飾らせて楽しむ嗜好は帝国も一緒なのだな、と受け止めていた。帝国では女は全員奴隷として扱われるという固定観念が染みついているマリアにとっては、そう誤解するのもやむを得ないことだった。
ヒト、エルフ、アマゾネス、ドワーフ、ネコ族、ウサギ族、オオカミ族、トラ族、クマ族…。
だが、どのページを見ても登場するさまざまな種族の女は誰もが皆、弾けるような明るい笑みを浮かべていて、日々虐げられて生きる奴隷特有の鬱屈とした陰惨な雰囲気など、微塵も感じさせない。
肌の血色はよく、健康的。
首輪も拘束具もされていない。
鮮やかで華やかな色使いの服。
柔らかで見るからに上等な生地。
自由で伸びやかなポーズ。
楽しく、嬉しそうな眼差し。
艶っぽかったり、初々しかったり、ページをめくるたび次々と、それぞれの種族特有の魅力を存分に表現した女たちが登場する。
いったい、どういうことだ…。
男に媚び劣情を煽る下品な服を着た女は、一人としていない。
『私、奴隷ではありません』
メイドの少女の言葉が脳裏に蘇る。
マリアの中で、大きな疑問が頭をもたげる。
彼女らは、本当に奴隷ではないのか…。
『つーはんのかたろぐ』に見入っていたマリアは、ドアをノックする音にハッとして顔を上げた。
「いらっしゃったようです」
傍らに立っていたネコ耳メイドは固い声で告げると、マリアの手から『つーはんのかたろぐ』を引き取った。
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