第12話 「王女来訪」編(10)

「どうぞ、姫殿下がお待ちです」

囚われた地で初めて顔を合わせる敵国の貴族、王国ではマリアの身近に存在しなかった下劣で下賤で下等な男という存在、恐らくは虜の身であるマリアの処遇に大きな影響を持つ相手。緊張感にゴクリと息を飲む。

大きな扉が音もなくスーッと開いていく。

怯えてなどいない。緊張してもいない。見くびられないよう、ともすれば強ばってしまう表情に無理矢理余裕の笑みを貼り付ける。

王侯貴族同士の儀礼として一瞬、腰を浮かべかけたが、すぐに思い直した。たとえ敵国の大貴族が相手だろうと、自分は王国の正統な後継者なのだ。立ち上がって出迎える必要などない。

座ったまま、背筋をピンと優雅に伸ばす。足下を見られないよう、余裕たっぷりの態度を取り繕う。


扉を開けたメイドが身体を脇に寄せ、頭を垂れて黙礼した。姿を見せたのは、見間違うはずもない、マリアと決闘したアマゾネスだった。

アマゾネスらしい露出過多な服装をしているが、王国のアマゾネスが普段身にまとう種族特有の伝統的な衣装とは全く違っていた。漆黒の軍服でもない。『つーはんのかたろぐ』から抜け出たような、ヒラヒラとした丈の短いスカートと、巨乳の谷間を強調する編み上げの上着を身に付けていた。歩くたびに褐色の巨乳が弾んで揺れている。

首飾りの一種なのか黒革の紐を首に結んだアマゾネスは、マリアを一瞥しただけで表情を変えることなく部屋の中に入ってきた。

アマゾネスはやはり編み上げ帽を被っていた。黒色ではなく、濃い茶色の帽子からは、特徴的な赤毛が背中まで下がっている。

この館の主は男のはずではなかったのか!?

戸惑いを隠しきれず、表情を曇らせたマリアは大柄のアマゾネスの背後に隠れていた人影に気付いた。


「ごめんごめん、待たせちゃってごめんね~」

あっけらかんと軽薄で馴れ馴れしい口調で言い放ったのは、全身黒ずくめの軍装をまとった男、小柄で飄々とした雰囲気の少年だった。

まさかこの者が、帝国の貴族なのか!?

醜く肥え太ったルジャル卿のような男がやって来ると思っていたマリアは、想像していた人物像とのあまりの違いに言葉を失った。

少年は一目見ただけで間違いなく自分よりも年下だと分かる。中性的で可愛らしい顔つきはまだあどけなく、幼ささえ感じられる。

そして、何よりマリアを驚かせたのは、少年の髪の色だった。

「黒髪だと…」


王国では、ヒトも獣人族も、黒い髪の人間は存在しない。


半ば呆然と黒髪を見詰めるマリアの向かい側に座ると、「姫殿下、帝国へようこそ。歓迎するよ。気分はどう? ゆっくり休めた?」。少年はニコニコと微笑んでいる。

王国では、全ての男は奴隷。故にこれほど近くで男と相対したことも、声を掛けられたことも、マリアには初めての経験だった。

黒髪の驚きを押し殺し、気を引き締める。

「少々、手荒な歓迎ではあったが」

そう言ってアマゾネスを見やるが、少年の背後で忠実な護衛の騎士よろしく直立しているアマゾネスは、眉一つ動かさなかった。

「今の我が身に余る丁重なもてなし、感謝する」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

少年は相変わらず屈託のない笑顔のまま、真っ直ぐマリアを見やる。

「色々と聞きたいこともあると思うんだけど、正直、今ちょっと都合が悪くてさ、あまり話をしている時間がないんだ。だから、まずは僕の方から単刀直入に要求を伝えてもいいかな」

「それは私からも要求して構わない、という意味か」

「もちろん。できる限りのことはしてあげるつもりだよ」

交渉の余地があるのなら、異論はない。マリアは「分かった。ならば、そなたの要求を聞こう」。頷いて話を促す。


目の前の年若い男はきっと、この館の主である帝国の有力貴族の息子なのだろう。捕らえた敵国の王族を、我が子へあてがうつもりではないか、とマリアは考えていた。

かつて戦乱の時代、貴族の間では虜囚を贈答し合う風習があったという。現在の王国でも、強欲な貴族が高値で買った希少なエルフの奴隷を、自分の娘への贈り物にすることは珍しい話ではない。マリアは当然、言いなりになどなるつもりはなかったが、まずは相手の出方をみるべきだと考えた。


少年は身を乗り出すと、爛々と輝く瞳をして、元気よく言った。


「僕のお嫁さんになってくれないかな」


「………」

「………」

「………」

沈黙とともに、なんともいえない微妙な空気が部屋中に漂う。

「あれ、あれ、ちょっとみんな、黙りこくってどうしちゃったの。僕、なにかおかしいこと言ったかな?」

「…言いました」

答えたのは、右手で顔を覆い、天を仰いでいたアマゾネスだった。

少年のいう『お嫁さん』の意味が分からず、マリアは自身のすぐ傍らに立っていたメイドに、あっけにとられて口をポカンと開けていたネコ耳少女に、「お嫁さんになってくれ、とはどういう意味か」と問い質した。

「えっと、ですね、お嫁さんというのはですね…」

メイドは尻尾を忙しなく振りながら、「帝国では、愛し合う者同士が生涯一緒に生きていくと誓って新しく家族をつくる婚姻という制度があるんです。つまりお嫁さんになってほしい、というのは、分かりやすく言うと男性から女性への、婚姻の申し込みです」。異国の女性にも分かるようかみ砕いて説明した。

「なるほど、そういうことか」

王国でも好意を寄せ合う者同士、もちろん女性同士だが、互いをパートナーとして認め同じ家で暮らすしきたりがあった。どうやら、それと同じような制度らしい。

マリアはゆっくりと少年の方へ振り向くと、こめかみに怒りの印を浮かべた笑顔という奇妙な表情で、「断る」。きっぱりと言い放った。

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