第35話 「砦攻防戦」編 プロローグ(1)

王国防衛の要、バッサ砦は周囲を強固な石壁で囲まれている。

守備隊を構成するのは、エルフの魔法騎士を中心に王国正規軍から選び抜かれた精鋭の騎士団と、主戦力である奴隷兵士たち。万一の籠城戦を想定した物資の備蓄は必要だし、大勢の兵士が日々生活していく上で食料も欠かせない。必然的に砦の周囲に守備隊相手の酒場や商店、武具屋などが軒を並べ、次第に城下町を形成していった。

やむなく王国は町を囲むように石壁を巡らせ、砦の守りを固めた。しかし、戦乱から遠ざかった日々が続くうち、城下町は交易の拠点として益々発展し、城壁の外にも店や住居が広がっていった。そのたびにまた石壁が作られ、いまでは砦の高い塔を中心とした一大城塞都市となっていた。

そんなバッサ砦の城下町に3年ほど前、一軒の酒場兼宿屋が開店した。

『黄金の砦亭』

手頃な値段で美味い料理を出すと店はすぐに評判を集め、いまでは城下町で一、二を争う人気の酒場として繁盛していた。


「ずいぶんと賑わっているようですね」

「近々騎士団の半数が交代するとか。今日は団主催の送別会だそうです」

秋の夜更け、普段なら入店待ちの客が列をつくる店の前に、この日は「貸し切り」の札が下げられていた。

「そうですか。よく店に来られるのですか」

「ええ、皆さん当店の常連です」

宿屋になっている2階の一室で、酒場の店主にしてはまだ歳の若いヒト族の女と、この部屋に逗留している妙齢のエルフが向き合っていた。ヒトの方は短めの髪を二つに束ねており、伝統的な民族衣装に身を包んで艶やかな金髪を背中に流したエルフは、左目を眼帯で覆っていた。

「なるほど」

階下から、羽目を外して騒ぐ騎士団員の大声が聞こえてくる。みな王国で上流階級にあたるヒトやエルフたち。彼女らの間をウサギ族やネコ族の店員が忙しく動き回っているはずだ。


ノックをして部屋に入ってきた店員が、二人の前のテーブルに料理を並べてすぐに出て行った。

「ずいぶん豪華ですね」

焼けた鉄板の上で分厚い肉がジュージューと音を立て、スープは腸詰めと野菜が山盛り、川海老の揚げ物、焼きたてのパン、南方の珍しい果物も並んでいる。そして、麦酒の入った小樽も。

「せっかくですから、騎士団の皆さんと同じ物をご用意しました」

「ここに来るまで、旅の途中で泊まった宿では質素な食事ばかりでした」

「うちは仕入れにお金を掛けていますから」

女店主は意味ありげに口元を綻ばせて目を細めた。

エルフは足元を一瞥すると短く詠唱し、部屋の内と外を隔てる結界魔法を展開した。

「いい気なものですね」

「まったくです。王国は数年来の不作続きで市民は日々の食事にも事欠く始末。でも、騎士団の連中には関係ありませんから」

途端に、女店主の口調が鋭くなった。

「民の困窮ぶりはこの目で見てきました。川一つ渡っただけで…、話には聞いていましたが、我が国とはあまりに違いすぎます。王国の治政者はいったい何をしているのでしょう」

「それなら、王国の民はみんな知っていますよ」

女店主は小樽を開けてエルフの前のコップに麦酒を注ぎ、「贅沢です」と言葉を継いだ。

エルフは肩をすぼめてため息をこぼした。

「笑えない冗談ですね」

「ですが、それが王国の現実です。この3年間で、よく分かりました」。そう言って、女店主が麦酒を煽った。

「飲まずにはやっていられません。ずいぶん酒量が増えてしまいました」

「長期間の任務、本当にお疲れ様でした。それも今夜で終わりです」

「装備、人員ともすべて準備は整っています。それから、これを」

女店主は羊皮紙を数枚、エルフに差し出した。

「砦の内部の構造、見張りの配置図です」

エルフはサッと目を通すと、テーブルに戻した。

「全員、しっかり覚えていますか」

「もちろんです。頭に叩き込んであります」

「分かりました。情報省統合情報作戦局、ミラルシカ一等調査官殿、現時刻をもって以降の作戦は私たちが引き継ぎます」

「引き継ぎ了解しました。黒鷲隊第一作戦中隊隊長、ユリカ殿、ご武運を」

互いに敬礼を交わした。


3年前、黄金の砦亭という店を開いたのは、王国に潜入した帝国情報省の対外工作部隊だった。帝国の資金力にものをいわせて各地から上質な食材を仕入れては、採算を度外視して安く提供した。すぐに評判を聞きつけた騎士団員たちが出入りするようになった。酒に酔った騎士団員は貴重な情報源だった。しかも、料理人として、はたまた騎士団員に気に入られて、何人もの店員が砦の中に職を得ていた。スパイとして潜入することに成功していた。2階の宿屋に泊まる客も、帝国の工作員ばかり。帝国が、王国内に張り巡らせた諜報網の拠点の一つだった。


「ユリカ隊長。せっかくの料理が冷めてしまいます。どうぞ召し上がってください」

「そうですね。いただきましょう」

ユリカはナイフとフォークを手に取った。

「最後の晩餐、下の連中にはせいぜい楽しんでもらいましょう」

冷たい眼差しで床を見やった。


同日深夜、テーブルやイスが片付けられた酒場の店内に、黒ずくめの軍服に身を包んだ数十人が整列していた。数カ月前から店員として、数日前から宿泊客として、数人ずつ王国に密入国し集まった、帝国皇帝直属の特務部隊、全員がその第一作戦中隊の隊員たちだった。

タケルをして帝国最強といわしめる、魔法戦闘に特化した第一中隊にとって初の対王国戦、バッサ砦攻略作戦が始まろうとしていた。


「皆さん」

ポンと手を打ち、ユリカはまるで娘に料理を教える母親のような、穏やかな口調で「準備はいいですか」。そう言って隊員たちを見回した。

黒鷲隊の漆黒の軍服の上から丈の長い同色のローブを羽織った兵士は全員、暗視ゴーグル付きの仮面を被っていて表情は分からない。

「話は手短に済ませますから、よく聞いてくださいね」

同じ服装をしたユリカだけ、仮面をしていない。隻眼の瞳で優しげな眼差しを向け、両手を胸の前で握り合わせていた。

「いよいよ、このときが来ました。私たちにとっては外地での初めての実戦です。まぁ、王国軍ごときに後れを取ることはあり得ませんが、油断は禁物です。しっかり気を引き締めて作戦にあたってください」

普段と変わらない口ぶりで、気負いなどまったく感じさせない。ユリカが唯一、言葉を強めたのは、「皇子殿下の理想を実現するための計画、その第一歩を踏み出す機会を、殿下は光栄にも私たちに与えてくださいました。必ず成功させましょう。いいですね」と話したくだりだった。

「そろそろ行きましょうか。時間を合わせます」

左腕の時計で時刻合わせを終えると、酒場の扉が開かれた。

「迷彩魔法を展開するのを忘れないように。では、作戦開始」

黒ずくめの兵士が一斉に、深夜の城塞都市に飛び出していった。


光を歪ませて周囲の景色と同化するだけでなく、認識阻害の魔法も付与されたローブを身に付けた兵士の姿を、まして明かりのない深夜、人間の目で見つけるのは不可能に近い。しかも、編み上げのブーツの足元には地面を踏むたび小さな魔方陣が浮かび、走るというより飛ぶような速さで人通りの途絶えた路地を駆け抜けていく。

かつての城塞の名残、いまは街の中に残る古い石壁が行く手を阻むが、隊員たちは足を止めることなく一斉に跳躍した。空中で壁面に手足を着くとまた魔方陣が広がり、垂直に近い石の壁に張り付く。そのまま事も無げに駆け上っていく。高い石壁を登り切っても足を止めず、すぐさま宙に飛び出す。建物の屋根伝いに跳躍を繰り返して城下町の区域を通り過ぎ、あっという間にバッサ砦の本体にたどり着いた。

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