第36話 「砦攻防戦」編 プロローグ(2)
砦の通用門の前に第一中隊の隊員が集結してすぐ、見計らったようにガタリと閂の外れる音がして、分厚い木戸がそっと開いた。砦内部の調理場で働く料理人として雇われた、砦に潜入していた工作員が時間どおりに扉を開け、襲撃部隊をすんなり内部に招き入れた。
敵の夜襲などまったく想定していない、寝静まった砦の中庭で隊員たちが脱いだローブが、音もなく消えていく。
全員、砦の構造は熟知している。迷うことなく階段を、ためらうことなく壁面を、音もなく駆け上って、遂に50年ぶりの対王国戦が始まった。
迷彩魔法が付与された使い捨てのローブだけではない。隊員が身に付けているのはすべて、帝国軍の中でも黒鷲隊第一中隊にだけ配備された、魔法戦闘に特化した最新鋭の装備だった。
例えば、左手を広げて前にかざせば、それだけで剣も矢も魔法さえも通さない魔法障壁が展開される。右手の指からは視界に入った最大5人を同時に狙って魔法弾を撃つことができる。拳を握って振り抜けば鉄で補強された分厚い木戸すら吹き飛ばす炎弾が飛んでいく。
術者の詠唱は一切不要。組み込まれた刻印詠唱によって、エルフが保持する魔力を両の手袋、帝国科学院で開発された万能の魔導武装に流し込むだけで瞬時に発動する。
宴会でしこたま酒を飲み、寝込みを襲われた王国軍守備隊はひとたまりもなかった。
しかも本来、魔法を使えないはずのヒトや獣人族の兵士も魔導武装を使いこなしていた。ネコ族の兵士など、身の俊敏さを生かして壁や天井をも自在に駆け抜け、敵兵に反撃のいとまも与えず次々と魔法で撃ち倒していく。魔力を持たないヒトや獣人族は腰に付けた魔力電池から魔力を供給し、エルフ同様に魔法を駆使する仕組みだ。
魔法と科学の融合―
帝国の先進的な魔法科学(マギサイエンス)が生みだした、この世界の常識を覆す、新時代の魔導武装。帝国内部でさえ最重要機密として存在が秘匿されている兵器が実戦で余すことなくその威力を発揮していた。
「この様子ですと、予定よりも早く終わってしまいそうですね」
「はい。砦の下層、中層はほぼ制圧しました。あとは上層だけです」
ユリカは石造りの階段を、まるで散歩でもしているかのようにのんびりとした足取りで上っていく。
部下の報告を聞き、チラリと腕時計を見た。
「もう少し手応えがあると思っていたのですが、期待外れでした」
「隊長、敵に何を」
苦笑いを浮かべた部下が返答しかけたとき、突然、上層から猛烈な爆発音が響いてきた。熱風が階段を吹き下りて、ユリカの金髪がたなびく。
続けて二度三度、ドンッドンッと聞こえてきた。
狭い建物内の襲撃戦で、爆炎魔法など味方を巻き込む恐れのある大威力の魔法は両手の魔導武装に設定されていない。
となれば、王国の魔導士による反撃だろう。
「どうやら、王国軍にも多少は腕のいい魔法使いがいるみたいですね。行ってみましょうか」
特段、焦る様子も慌てることもなく、再びユリカが階段を上り始めた。
砦の最上階が近づくにつれ、激しく魔法を撃ち合う戦闘音が大きくなってくる。
「あらあら、まぁ、どうしたのかしら」
帝国最強を自負する第一中隊の兵士が負傷し、階段に何人もぐったり横たわっていた。命に別状はないようだが、漆黒の軍服は焼け焦げ、頭から血を流して手当を受けている兵士もいる。
階段を駆け下りてきたヒトの小隊長が、暗視ゴーグルを外して「最上階の部屋にいたエルフが強力な魔法使いで…。申し訳ありません、制圧に手間取っています」。報告して唇を噛み締めた。
最新の魔導武装が展開した魔法障壁を砕き抜くほどの爆炎魔法を立て続けに撃てるのであれば、相当の魔力を保持する手練れの術者だろう。
苦戦する部下を叱責するどころか、逆にユリカは嬉しそうに微笑み、「いいえ、ここまでよくやってくれました」。そう言って両手にはめていた魔導武装を外した。
「あとは、私に任せてくださいね。すぐに終わらせますから」
かつて帝国史上最高の魔法研究者と呼ばれ、今は帝国軍最強と謳われる部隊を率いる魔法使い、ユリカにとっては最新の魔導武装ですら自身の魔法力を制限する枷でしかない。
強敵の立て籠もる部屋へ向かうユリカの後ろ姿を見送りながら、「隊長、楽しそうでしたね…」「まさか本気を出すつもりじゃ…」「そんなことになったら砦ごと消えてなくなりますよ…」。部下たちは複雑な表情を浮かべながら言葉を交わしていた。
「はぁ…、はぁ…、やつらはいったい、何者だ…」
強力な爆炎魔法を立て続けに放ったバッサ砦守備隊長、王国魔法騎士チェスカリーゼは息を荒げ肩を揺らしていた。
下層、中層での不穏な物音に気付きベッドから起き上がった瞬間、正体不明の敵が部屋に飛び込んできた。とっさに得意の炎撃魔法を放って撃退したものの、立て続けに襲いかかってくる敵に防戦一方。薄い寝間着姿で短杖を手に、扉の吹き飛んだ部屋の入り口を凝視していた。
「まずいな、はぁ…、はぁ…。このままでは、押し切られる…」
体内の魔力は残り少ない。急いで魔力を練り直すが、あと何回撃てるか分からない。焦燥感を募らせるチェスカリーゼの額に冷や汗が浮かぶ。
イチかバチか、こっちから打って出るか、思案していたチェスカリーゼは視界に入った人影に、反射的に爆炎魔法を放った。
放った、はずだった。
身体から短杖を通して魔力が流れ出るのを感じたが、そのまま霧散。何も起きなかった。
「こんばんは」
部屋の入り口に、見たことのない黒服を着た、隻眼のエルフが悠然と立っていた。「私の部下を6人も倒すなんて、なかなか優秀な魔法使いですね」。微笑みながら、言った。
「貴様、何者だ? 王家直轄領での狼藉は、女王陛下への謀反と同罪。許されることではないぞ」
チェスカリーゼは、この後に及んでもまだ、襲撃者の正体は帝国軍だと思いもしていなかった。
王国では現体制を擁護する官吏や地方貴族を中心とした保守宮廷派と、実質的に名ばかりとはいえ王家の有する最高統治者としての権限をすべて剥奪して象徴的な存在に祭り上げ、一部有力貴族の合議による統治への移行を目指す急進改革派が水面下で根深い対立を続けていた。
保守宮廷派には、次期女王であるマリアのシンパが多い。地方の名門貴族の家柄であるチェスカリーゼもその一人だった。
チェスカリーゼは、権勢拡大の機会をうかがっていた急進派が遂に実力行使に出たのだと(まったく見当違いの)推測をしていた。
「誰の差し金で、こんな暴挙を」
チェスカリーゼの言葉が、プツンと途切れた。
「ひとに名前を聞くのなら、まずは自分から名乗るのが筋ではなくって」
「我が名は、チェスカリーゼ。いにしえより続くストラビア・フォン・ジゼル家息女にして王国魔法騎士、光栄にも女王陛下より直々にバッサ砦守備隊長を任じられている」
なっ、なんだ、いったいどうしたのだ!?
意図せず勝手に口が動き、名乗っていた。
「チェスカリーゼ、よい名前ですね。それに魔法の腕もなかなか見込みがあります」
黒服のエルフが部屋に入り、真っ直ぐ向かってくる。
どうなっている? 身体が、動かないっ。
身体は指一本微動だにできず、魔法を放とうにも詠唱を紡ぐことさえできない。
「私は、帝国特務部隊、黒鷲隊第一作戦中隊隊長、ユリカ。次期皇帝陛下のご下命により、この砦をいただきに来ました」
帝国? 帝国軍だと!?
敵の正体を知って驚愕し、敵が女であることに動揺しても、チェスカリーゼは石像のように固まったまま、動けなかった。
ユリカは余裕の笑みを浮かべたまま、チェスカリーゼの目の前に立つと自身の眼帯に指をかけた。
ゆっくりと眼帯を外す。
現れたのは、切れ長の瞳の奥に見えるのは、金色の虹彩。
精霊種!? なぜ、精霊種エルフの女が、帝国軍に?
同じエルフである自身よりも上位の存在、精霊種エルフを目の当たりにしたチェスカリーゼは、もとより言葉を発することはできないが、心底言葉を失っていた。
希少な精霊種のエルフは、一人一人異なる固有の魔法スキルを持つ。ユリカの場合は、それが特定の魔法ではなく、どんな魔法でも自在に使えるという、神聖種にも匹敵する万能の固有スキルだった。故に以前は天才と讃えられ、今は最強と称される。
歴史上極めて珍しい、帝国内において禁忌とされ使用を禁じられている、他人の意思に介入する精神魔法ですらユリカには造作もないことだった。
ユリカは、裸身を薄らと透かした寝間着姿のチェスカリーゼの肢体に舐めるような眼差しを這わせると、「あなたのことが気に入ったわ。チェスカリーゼ…」。チェスカリーゼの顎に細い指を添えて上向かせた。
口づけを交わせそうなほど顔を近づけ、告げた。
「あなた、私のものになりなさい」
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