第37話 「砦攻防戦」編(1)

午前中は自室で、帝国についての講義の時間だった。

ソファの向かいに座ったリリカから、万民平等を掲げる帝国憲法と様々な法律、食料生産や物流、工業といった多種多様な国営事業と商取引の仕組み、民に土地の所有を認めている理由、全土で実施されている教育制度等々、帝国の基本的な制度について日々、聞かされた。

聞けば聞くほど、絶対王政と貴族による支配、厳格な身分制度によって統治されている王国とは異なることばかり。そもそも国家としての存立基盤、あらゆる価値観が根本から違うのだと感じていた。


奴隷商人の拠点を急襲した作戦から、もうすぐ一ヶ月。重傷を負ったタケルは帝都で療養しており、あれから一度も顔を合わせていない。


この日は、すっかり家庭教師役が板についてきたリリカが(普通のしゃべり方で)帝国の政治体制を解説していた。

「どうして皇帝の権力に制限などするのだ」

マリアは眉根を寄せた不機嫌そうな顔をリリカに向けた。


王国では一部の大貴族が宮廷内で権勢を振るい、王家の権力はないがしろにされている。何も決断しない女王の存在がそもそもの原因とはいえ、そうした状況が長く続いた今となっては、女王や第一王女のマリアが何かを命じても有力貴族の同意がなければ官吏も動くに動けない体制に出来上がってしまっていた。

現状を憂慮し何とかしなければと内心思っていたマリアには、「制度として皇帝陛下の権力に一定の制限をかけている」というリリカの説明は納得できるものではなかった。意識の深いところでは、王国での自らの不甲斐ない立場を思い出し、不愉快な気分になっていた。


「今の帝国の政治体制の基本的な仕組み、権力の分立を考案されたのは、皇帝陛下ご本人です」

「なぜ自らそんなことを…。ますます解せん…」

マリアが首を傾げた。


帝国では、各地域、種族、職業、その他さまざまな階層から選出された630人の評議員で構成される帝国評議会が年に4回開かれ、毎回さまざまな政策、法案、予算案が各省庁から評議会に提出される。20人以上の賛同者が集まれば評議員自らが議案を出すこともできる。

評議会での議論を経て多数決で可決された議案だけが皇帝陛下に上申される。皇帝は、その議案を認可するか、差し戻して再審議させるか、決めるのはそれだけだ。

現人神とされる皇帝が認可した政策は絶対のものとなり、何人たりとも異議を挟むことはできない。その政策を修正したり、取り止めたりする議案が評議会で可決され、皇帝が再び認可しない限り、遂行され続けることになる。

「帝国の最終的な意思決定権は、皇帝陛下にあります。故に皇帝陛下こそが帝国の最高権力者なのです」と、リリカが付け加えた。


確かにその通りだが、民の集まりである評議会で可決された政策でなければ、たとえ皇帝であっても命令はできない仕組みだ。

「リリカはそう言うが、皇帝の意思はどうなる? 議案とやらが上がってこなければ、皇帝が望む政治はできないではないか」

なおも反論するマリアは、「民の進む道は、民が自ら決めること。皇帝が決めることではない、というのが陛下のお考えです。民が望む帝国の未来を導いていかれるのが神様のお役目、だそうです」と返され、もはや言葉を失うしかなかった。

「そうそう、評議会を通さなくても、陛下が直接ご命令を下すことができる場合もあります」

艶やかな金髪を肩にかけ、マリアが小さく息を吐いた。目線で続きを促す。

「例えば、大きな災害の発生や隣国が侵略してきたときのような、評議会を開いていては対処が間に合わない緊急時には、皇帝陛下が直接、内閣に対処方針を命じることができます。え~っと、内閣というのはですね、各省庁の最高責任者である大臣で構成した政策遂行の実務を担当する組織です。お分かりになりますか」

要するに、官吏の長の集まり、ということだろう。マリアが頷いた。

リリカはチラリと壁の時計を見やり、「そろそろ昼食の時間ですね。今日はこのぐらいにして、続きはまた明日にしましょう」と、講義の終了を告げた。

リリカがテーブルに広げていた資料の束を片付け始め、マリアは肩の力を抜いてソファに背中を預ける。


理解できない政策、把握しきれない制度も多々あるが、元来、マリアは好奇心の旺盛な性格だ。いままで知ることのなかった他国の話には興味を引かれていた。リリカの講義自体は苦ではなかったが、さすがに午前中いっぱい耳を傾け、自分なりに考え、問い掛け、また話を聞いていればさすがに疲労を感じる。ふーっと息を吐いた。


メイド服姿のミーナが「それでは昼食をお持ちします」。そう言って、呼び鈴を鳴らす。

変わらぬ不満顔のままのマリアに、「権力分立の本当の狙いは、ですね…」。リリカがふと思いついたように、しかし、声のトーンを落として言った。

「将来にわたって、奴隷制度の復活させないためです」

「…どういうことだ」

マリアがソファから身体をもたげる。

「先ほども言いましたが、帝国では皇帝陛下が一度口にした言葉は絶対です。逆らうことは許されていません。陛下やタケル殿下は奴隷制度を否定され、心底嫌悪しておられますが」

リリカは、この日、最も真剣な表情を浮かべていた。

「50年後か、100年後か、将来、陛下の血筋に奴隷制度の復活を欲する者が生まれない保障はありません。もしもそのとき、皇帝陛下の言葉がそのまま実現される体制だったら…」

マリアはそこまで丁寧に説明され、帝国が政治体制として権力を分立させている理由が、ようやく腑に落ちた。

「いったい、どうなるでしょう」

リリカは重ねた資料の束を整えながら、さらりと、言葉を続ける。

「帝国の民は誰一人として、奴隷制度の復活など望んでいません」


この1カ月間、帝国国内を何度も視察し、人々の暮らしを間近で見て、マリアもそれは十分に感じていた。王国では当たり前だった、嫌ってはいたが疑ってはいなかった奴隷制度に対して、少しずつ疑念を抱き始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る