第38話 「砦攻防戦」編(2)

「…以上が、東部港湾都市再開発計画の概要になります」

説明を終えた国土開発省の担当課長、ドワーフの男が額の汗を拭いながら自席に戻っていった。

パラパラと資料をめくっていた眼光の鋭いエルフ、財務省の予算課長が顔を上げると、ロの字形に並んだ会議室のテーブルの向かい側、説明役のドワーフの隣に座るヒトの男へ、「これを次の評議会に議案として提出する、という理解でよろしいですか」と尋ねた。

「その通りです」。この会議の主催者、国土開発省都市整備局長が硬い声で答えた。

予算課長は、「財務省としては、単年度でこれだけの投資額、到底容認できませんな」。話にならないとばかりに資料の束をテーブルへ放り投げた。

「帝都の発展には必要な額だと考えます」

都市整備局長は、神経質そうな表情を微塵も変えることなく、平然と言い返す。二人の火花散らすやり取りをきっかけに、侃々諤々、激しい議論が始まった。


評議会で審議される議案は、各省庁がいきなり提出する訳ではない。当然、相応の予算が伴う。複数の省庁が関係する事業も多い。場合によっては法改正が必要になることもある。近代的な施政体制が整備された帝国にあっては、事前の調整、根回しが欠かせない。

この日の会議も、常日頃開かれているそうした場の一つだった。ただ、提示された再開発計画の事業規模が他省庁からの出席者の予想を大幅に上回っていたため、大荒れの様相を呈していた。


対象となった大陸東部の港湾都市は、帝都に最も近い海の玄関口として発展していたが、もとは小さな漁村だった。場当たり的な開発でしのいできたが、帝都までの間に急峻な峠があって物流が制限されていたため、これまで大きな問題にはならなかった。しかし、10年来の難工事の末、山脈を貫くトンネルが開通したことで物流が都市のキャパシティを超えて急増。入港する船に対する港湾設備、荷揚げされた物資の保管倉庫、どちらも不足し混乱を招いた挙げ句、国営運送会社のトラックが都市内いたる所で慢性的な渋滞を引き起こしていた。


再開発の必要性自体は出席者もそれぞれ共有しているが、予算編成を担う財務省は莫大な投資額を理由に反対、帝都西側の鉄道や自動車専用道による陸上交通網の拡充を企図する交通省も反対。一方、経済性や輸送効率が格段に向上する農業省や商工省は賛成。賛否二分した調整会議は結局、事業期間を伸ばして単年度の投資額を抑え、交通省にも配慮した開発を進める方向で計画を再検討することになった。


議論の落としどころが見えたところで、都市開発局長が視線をゆっくりと、ロの字形のテーブルの中央に向けた。

「皇子殿下、いかがでしょうか」

問い掛けた局長の表情は会議中とは打って変わり、緊張の色がありありと浮かんでいる。

「次の評議会への計画の提案、問題ないでしょうか」

恐る恐るといった口調で、問いを重ねた。


一言も発せず、会議の成り行きを見守っていたタケルの背後には、純白の騎士服の上に足元まである丈の長い法衣を羽織り、眼鏡を掛けた小柄なエルフが控えていた。

帝国真正教会帝都中央大聖堂付属騎士隊、通称「真正騎士隊」。帝都における皇族の護衛役として例外的にあらゆる場所での帯剣を許されている。

絹糸のようなブロンドのロングヘア、ミニスカートからすらりと伸びた長い脚、見目麗しい美少女の近衛兵を従え、資料に目を通していたタケルが、ようやく顔を上げた。

タケルの射るような眼差しに気圧され、ずっと年上のはずの都市開発局長が唾を飲み込む。


年4回の評議会で各省庁が最も恐れているのは、上申された議案が皇帝によって否決されることだった。修正すれば次の評議会で再度提出することもできる制度になっているが、現人神とされる皇帝に差し戻された議案の再提出は当該省庁にとって最大の不名誉とされ、過去にも数例しかない。

評議会において、皇帝には議案の認否しか権限がない。しかし、事前にどんな議案が提出予定なのか、その内容や立案の過程を知らせてはいけない、という決まりはない。

評議会を間近に控えた時期のタケルの帝都滞在(ケガの療養という事実は伏せられていた)は、各省庁の役人にとって極めて好都合、絶好の機会だった。こうして(皇帝の身近にいて進言ができる)タケルを会議に招聘することで、口添えが期待できる。タケルから肯定的に伝えてもらうことで、議案が認可される可能性が格段に高くなるからだ。


タケルが少しだけ振り向くと、背後の美少女騎士が顔を寄せた。その耳元で二言三言囁く。

「かしこまりました」

エルフの騎士はすっと背筋を伸ばして会議室を見回し、鈴の音のような美麗な声色で、「本件、陛下の御耳に入れておきます」と、タケルの言葉を伝える。

「皇子殿下、感謝申し上げます」

国土開発省の役人が一斉に深々と頭を垂れ、他省庁からの出席者もそれに続いた。

エルフの騎士が椅子を引き、タケルが立ち上がる。退出し、会議室の扉が閉められてようやく、室内にホッと安堵の空気が流れた。


タケルが会議室を出ると、廊下で待機していた黒鷲隊帝都駐在武官、漆黒の軍服を着た気の強そうなヒョウ族の少女が駆け寄ってきた。

「次の予定は昼食後、情報省長官との面談です」

「分かりました」と答えたのは、やはりエルフの少女騎士だった。タケルを先導して歩き出す。

背中に負った傷はすっかり全快していたが、日々こうした会議に忙殺され、タケルは黒鷲隊本部になかなか戻れずにいた。


「眠れないの?」

バスローブを羽織っただけで窓辺に立ち、夜空を見詰めていたタケルの背中に声を掛けたのは、昼間、護衛を務めていたエルフの少女だった。

帝都にあるタケルの私邸、寝室のベッドサイドに置いてあった眼鏡を掛け上半身を起こした少女は、首に嵌めた黒いチョーカー以外、何も身に付けていない。差し込む月明かりのせいで、純白の騎士服よりもずっと白く透き通った裸身が浮かび上がって見える。

「ごめん、ハルカ。起こしちゃった?」

タケルが振り返った。

気遣わしげな表情を向けられ、ハルカは長い睫毛を伏せて顔を背けた。一糸まとわぬ姿のままベッドから下り、そっとタケルの背中にしがみつく。

「タケル、いま誰のことを考えていたの?」。敬称をつけずに名前を呼べる数少ない一人、タケルの幼馴染みは、そう言って豊かな乳房をぎゅっと押しつけた。

タケルは何も答えなかった。ハルカも答えてほしくなかった。

「あす帝都を立つまでは、せめてそれまでは、私のことだけ考えていて…」

タケルの身体に細い腕を回し、精いっぱい、力を込めて抱き締めた。

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