第14話 「王女来訪」編(12)
「お嫁さんのことはちょっと置いておいて、と。姫殿下に折り入ってお願いしたいことがあるんだ」
「お願い、だと」
「そう」
少年がソファからぐっと身を乗り出し、マリアに顔を近づけた。
下劣で下品で下等な男の近くに寄るなど、言葉を交わすなど、王国にいた頃は想像しただけで虫酸が走ると思っていたマリアは、本人も気付かぬうち、いつの間にか少年と普通に会話していた。
「僕に力を貸してほしい。姫殿下に手伝ってほしいことがあるんだ」
「断る」
今度はマリアが即答した。
「うわっ、即行拒否キタァーッ。ちょっとちょっと、少しぐらい話を聞いてからにしてよ」
「話など聞くまでもない。なぜ私が、王国の正統王女である私が、帝国に助力などしなければならぬのか。する訳なかろう」
「まぁ、そう言うのも分かるんだけどさ~、姫殿下じゃないとダメなんだよ。だからさ」
少年はそう言って居住まいを正した。ただあどけなく、無邪気だった瞳の奥に、強固な意思の力が垣間見えた。
「まずは姫殿下に見てほしい。今の帝国のあり様を、そこで暮らす人々を、姿を。見てもらった上でもう一度力を貸してほしいって言うよ。姫殿下に何を手伝ってほしいのか、僕たちが何を目指しているのか。ちゃんと話すから、そのときは、よ~く考えてほしい。考えて、どうするべきかを判断してほしい。姫殿下に帝国へ来てもらったのは、そのためなんだ」
野心、野望、欲望など、一欠片も感じさせない。真っ直ぐに、真摯に、マリアの瞳を見詰める少年の言葉には力が込もっていた。
「…もし、嫌だと言ったら」
どう答えるべきか分からず、マリアは適当に言葉をつないだ。
少年はすっと身体の力を抜き、「そういえばさ」。ソファにもたれて斜に構え、口角を釣り上げた。
「姫殿下の部下たちのこと、気になる?」
「当たり前だ。彼女たちは無事なのだろうな?」
「もちろん」
少年はスーッと目を細め、マリアを見下す態度を露わに「帝国に囚われたらどうなるか、姫殿下が王国にいた頃に想像していただろう目には遭っていないよ。さすがに姫殿下と同じような厚遇はできないけれど、全員、元気にしているはずさ」と言った。
「そうか。無事なのだな。よかった」
安堵したマリアに突きつける。
「まっ、これからの姫殿下の態度次第だけどね」
「なっ…」
脅しの言葉を。
捕虜となった部下たちは人質だと、言外に伝える。
マリアは屈辱に唇を噛みしめた。思い知らされる。はなから交渉など成り立っていなかったのだ。眼前でふんぞり返っている少年は、はじめから交渉などするつもりはなかった。掌の上で弄ばれただけ。虜囚の身である自分は、何一つ、何も持ち得ていないのだと痛感させられた。
「さてと~、時間もないし、そろそろ行こうか」
少年が立ち上がった。
悔しそうに両手を握りしめているマリアを見下ろし、「一緒に来てもらうよ。姫殿下にはこれから、いろいろ見てもらわないといけないからね。いいね」。逆らうことのできない命令を告げる。
ゆっくりと顔を上げたマリアは、憤怒の表情を剥き出しにしていた。
「…あと一つだけ聞いてもいいか」
「なんなりと」
「そこにいるメイドも剣士も自分のことを奴隷ではないと言った。では彼女らは何なのだ」
「あ~、そういえば自己紹介をしてなかったね」
少年は悪びれる風もなく、あっけらかんとした口ぶり。ネコ耳メイドのミーナに目配せした。
「しばらくの間、姫殿下の身の回りのお世話をさせていただきます。私は、帝国皇帝陛下直属の特務部隊、黒鷲隊総隊長の御身をお護りする警護隊の隊長を務めておりますミーナといいます。よろしくお願いします」
踵を揃えて背筋を伸ばし、右拳を胸にあてマリアに敬礼してみせた。
「同じく、黒鷲隊第二作戦中隊隊長、スズネ」
スズネが続けて口を開く。
「そして、こちらにおられるのが黒鷲隊総隊長にして」
ミーナと同じ最敬礼の姿勢で厳かに告げる。
「皇帝陛下の御孫、真正なる血筋を引き継がれた唯一の男子、ガレリア真帝国の次期皇帝陛下たられる、ホウセイン・タケル皇子殿下である」
マリアは、自分の目と耳を疑った。
目の前に立つ、まだあどけなさを色濃く残す小柄な黒髪の少年が、想像していた帝国の一貴族の子息などではなく、帝国を継ぐ者、いずれ権力の頂点に立つ人物であるとは、全く思いもしなかった。信じられなかった。
王国と帝国。
二つの大国の行く末を左右する2人の、歴史的な邂逅が幕を下ろそうとしていた。
「…なん、だと、…そんな、…まさか、…帝国の、…皇子だと」
「皇帝陛下と同じ、唯一無二の髪の色こそ、神の御子たる証です」
薄く開いた桃色の唇は息をしているのか、いないのか。さっきまで固く握られていた両手は脱力しテーブルの上で中途半端に開かれている。差し込む朝日を浴びて金糸のような絹髪が光をまとい輝きを放つ。
魂を吸い取られそうなほど、美しかった。
身動き一つせずソファに腰掛けた清楚なドレス姿は、まるで天界の女神を模して精巧に作った等身大の人形のよう。瞳は呆然と見開かれ、深緑色の宝石のような虹彩が戸惑いに揺れている、それだけが、生を宿している証だった。
このまま歩む先にある未来は、マリアを待ち受ける運命は、悲劇。予感は確信に満ちていた。
『僕は必ず、君のことを守ってみせる』
胸の内の誓いを誰にも気取られぬよう、タケルは傲岸不遜、不敵な表情をつくって言う。
「奴隷制なんて、帝国では40年も昔に廃止されたよ」
自信満々、堂々とした態度で言う。
「僕たちがつくる新しい世界を見せてあげる」
タケルの両側で、スズネとミーナが誇らしげに胸を張っていた。
廊下に出て、スズネは閉ざされた扉に目を向けると、すぐにタケルの左側、半歩後ろに立って歩き出した。
前後を合わせて4人、先ほどマリアの朝食で給仕係を務めていたメイド服の少女たちが、本務は警護隊の隊員が取り囲んでいる。ミーナだけは、マリアの着替えを手伝うため部屋に残っていた。
彼女たち4人は、敏感な耳で、鋭い嗅覚で、遠くを見通す目で、五感の全てで、魔力や危険を察知しタケルの生命を護る盾。ここ帝国中央部の大都市、かつて帝都と呼ばれていた場所近く、大規模開発によって新しく誕生した都市、セントラルにある黒鷲隊の本部兼宿舎において、せめてこの場所でだけはタケルが周囲に気を配らなくていいよう、少しでも安らげるよう、代わりに目となり耳となり務めるのが役目だった。
「本当に、あれで良かったんですか」
「う~ん、何が?」
タケルは振り返らずに答えた。
「姫殿下との会談、全然、普段のタケル様らしくなかったです」
「え~、そうかなぁ、僕っていつも、こんな感じでしょ」
「そうではなく、ですね」
タケルの最側近の一人とはいえ、大国の次期皇帝に対して無礼に当たってもおかしくないほどスズネの言葉遣いは砕けていた。だが、タケルは気にする風もない。何よりタケル自身が周囲の人間に、部下に、普段から分け隔てなく接していた。公式行事など皇族として帝国民から憧憬と崇拝を寄せられる場面を除けば、こうして親しげに会話する方が当たり前の光景だった。
「なぜあのような態度をとられたのですか。まるで、わざと姫殿下に嫌われようとしているみたいでしたが」
タケルは何も答えず、どんな表情をしているのか、スズネには窺い知ることができなかった。
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