第15話 「王女来訪」編(13)

見覚えのある黒い軍服に着替えたミーナたちに囲まれ、監視され、案内されて建物の外に出ると、鉄でできた奇妙な車がずらりと並んでいた。黒色に塗られた車は太くて大きな車輪がついていて、乗り物だということは分かる。しかし、どこにも馬の姿が見当たらない。

車列の後方、幌のかかった荷台に木箱を積み込んでいる兵士たちが、1人だけ場違いな紺色のワンピースを身にまとった金髪の女性へ、チラチラと物珍しげな視線を向けていた。

周囲の好奇な眼差しに気付かないほど、マリアは帝国軍の車両に釘付けになっていた。

帝国は魔力で動く車を、すでに実用化していたのか…。

驚きを表情に出さないよう気をつけながら、注意深く観察する。


王国でも、馬ではなく魔法によって動く車の研究は進められていた。だが、魔力を持続的に供給するためには奴隷の男エルフを多勢乗せなくてはならず、到底実用的ではない。魔力を帯びやすい鉱石を動力源として利用する方法が考案されたが、3年前、王立魔法研究所、通称マギクラフトの所長を務めていた博士が突如失踪して以来、研究はほとんど頓挫した状態だった。


「どうぞ姫殿下、こちらへお乗りください」

ミーナに促され、高機動装輪車の後部座席に乗り込む。

部下を人質に取られ逆らうことも逃げ出すこともままならないのなら、できる限り帝国に関する情報を、例えばこの車の動く仕組みを入手しなければ。そう考えていたマリアの視界でふいに短杖が振られた。

「姫殿下、失礼いたします」という言葉とともに急な眠気に襲われた。


目を開けると、いつの間にか車窓には小麦畑が広がっていた。

「姫殿下、お目覚めになられましたか。ご気分は悪くありませんか」

右隣のエルフが気遣わしげにマリアの顔を覗き込む。

「目眩など、ございませんか」

「…大丈夫だ。案じなくともよい」

「本部の出入り口や周辺を見られますといろいろ差し障りがありますので、街を出るまで少しの間、姫殿下にはお眠りいただきました。大変失礼いたしました」

今度は、左隣からミーナが話し掛けてきた。

「言われずとも分かっている。ただ、次からは前もって言ってくれ」

「かしこまりました」

愛想良く答える必要などないが、無視することでもない。マリアは淡々と答えた。特に気分を害してもいなかった。実際、逆の立場であったら自分も、敵の虜囚に脱走の足がかりになる情報を与える真似をするはずがない。

それに、マリアの興味はすでに窓の外、初めて見る帝国の風景に向いていた。豊に実りつつある小麦畑に、時折見える集落。それ自体は王国ともさして変わらない。だが、そんな景色は馬車の何倍も早く、あっという間に後方へ流れ去っていく。

馬を必要としない帝国の車は、獣の低い唸り声に似た音を立てて猛スピードで走っていく。これだけの速度で部隊が移動できる、その事実自体が王国の脅威になる。

「この車は、魔法で動いているのだな」

何気なく、といった口調で尋ねる。

「えっと、ですね」

ミーナはメイド服のときと同様、人懐っこい笑顔を浮かべている。

「厳密に言うと少し違うんですけど、この車を運転しているのもエルフではなく普通のヒトですし。でも魔力がないと動かない、という意味ではその通りです。それ以上は、答えられません」

はなから詳しく教えてもらえるとは思っていなかったので、それ以上、問いはしなかった。魔力を貯蔵できる何かを動力源にしていると推測できただけで、今は十分だった。

マリアは次に、車から街道へと関心を向けた。

石畳のような凸凹が全然ない。雨が降ればぬかるむ土でもない。道幅は広く真っ平ら。高速で走っているにもかかわらず、驚くほど車が揺れない。石を平坦にして隙間なく並べたようなこの街道は、いったいどうやって、何でできているのか、まるで分からない。綺麗に整備された街道が、丘を越え、川を渡り、どこまでも続いていた。

もし王国にこうした街道があれば、バッサ砦近郊の町までもっと早く楽に行くことができたはずだ。

「この街道は、どこまで続いているのだ? ずいぶん平坦にできているが、帝国ではこれが当たり前なのか? 他に走っている車もないようだが」

「こういった自動車専用の道路は、帝都を中心に帝国全土を結んでいます。帝国の物資輸送の大動脈の一つ、ですね。平らな道路を作る方法は、帝都にある帝国科学院でずいぶん前に開発されたと聞いたことがあります。詳しいことはミーナにも分からないので、タケル殿下にお聞きになれば教えていただけると思いますよ」

「そんな重要な秘密を王国の人間にただで明かすとは思えんがな」

「いえ、殿下からは帝国の技術や制度のこと、なるべく姫殿下に教えて差し上げるよう言われておりますから、大丈夫じゃないですか。ちなみに帝国でも市民の移動や物資の運搬は荷馬車や牛車が一般的です。ここは自動車専用道なので走っていないだけです。下道に出れば普通に見られますよ」

「なるほど、そうか」

魔力で動く車が民にまで普及している訳ではないと聞き、帝国との魔法技術力の差を痛感していたマリアは少しだけ安堵した。


ふいに街道のずっと先、遠く反対側から走ってくる荷車が見えた。やはり馬に引かれてはおらず、見る見るうちに近づいたかと思うと一瞬ですれ違って見えなくなった。

「ミーナ、と言ったな」

「はい、姫殿下」

「…今の赤い車も、そなたたち軍のものか」

「いえ、今すれ違ったのは帝国国営の運送会社の車、『とらっく』です」

「国営の運送会社!? とらっく?」

耳慣れない言葉に、マリアは首を傾げ再びミーナを見た。

「国営運送会社は、例えばですね、海で獲れた魚を内陸の街へ、内陸の街で採れた作物は海辺の街へ、相互に運んでいるんです。食料や物資といった生活必需品を必要な地域に運ぶことで、帝国内のどこに住んでいても同じような暮らしができる、という訳です。今では地方間の生活格差はほとんどなくなりました。そうそう、姫殿下に見ていただいた『つーはん』の商品も運んでいるんですよ」

嬉しそうにスラスラと話すミーナの説明を聞きながら、『帝国のどこに住んでいても生活格差はほとんどなくなった』という言葉が、王族であるマリアの胸にチクリとトゲを刺した。


王国では、諸侯国を治める領主貴族の裁量によって民の暮らしは大きく変わる。凶作でも徴税の取り立てが厳しければ生活は困窮し、民を思いやる貴族のもとでは比較的裕福に生きていくことができる。納税さえ滞りなければ、王家であっても貴族領内の治政には口出しできないのだ。


「帝国は確か、領内各地の小国家が集まった連邦国家であろう。その運送会社とやらが国境を越えるときの徴税はどうなっている?」

マリアはふと思い浮かんだ素朴な疑問を尋ねた。

「あ~、あのですね、姫殿下」

戸惑い顔のミーナが発した言葉が、マリアをまた絶句させた。

「今の帝国は、連邦国家ではありません。皇帝陛下が帝国全土を治めています」

「…連邦国家ではない、だと」

先の大規模戦争から50年。国交断絶状態だったとはいえ、帝国の根本にかかわる大きな政治体制の変化を知らずにいたとは思いも寄らなかった。

「それは本当に、本当か…」

「はい、姫殿下。本当に本当です」

ミーナはネコ耳をピンと尖らせ、「休憩予定の街に着くまでまだしばらく時間がありますから、せっかくなのでガレリア真帝国の成り立ち、歴史についてご説明いたします」。いいことを思いついたとばかりに薄い胸を張った。

ミーナの仕草が可愛らしく、マリアは知らず知らず表情を緩めていた。

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