第16話 「王女来訪」編(14)
45年ほど前、当時、帝国の最も東にあった小さな連邦国家に、1人の少年が現れた。生まれた、ではなく、ある日突然、その弱小国の首都に降臨した。
年の頃は、ちょうど今の皇子殿下と同じぐらい。世にも珍しい黒髪の少年は自らを神と名乗り、「邪な教えがはびこり人々を苦しめている帝政を倒すため、異世界から、神の世界から来た」と告げて布教活動を始めた。
周辺の連邦国家や旧教会の弾圧を、神の御技、神の天罰によっていとも簡単にはね除けると、1年足らずで東の小国一帯を平定。忠実なる神の僕、十二使徒を従えてわずか4年後に旧帝政を打倒し、全土を掌握した。
そして40年前、奴隷制度の廃止を宣言。ガレリア帝国の名をガレリア真帝国と改めた。その少年こそ、現在の皇帝陛下であり、皇子殿下の祖父である。
ちなみに、かつて男神を祀り奴隷制度を正しいと教えていた旧帝国教会は邪教として禁じられ、現人神である皇帝陛下を信仰対象とし、崇拝している今の帝国真正教会とは全く関係がない。
「…というのが現帝国、ガレリア真帝国の成り立ちになります」
「にわかには、信じられんな」
マリアが難しい顔で腕組みをすると、紺色のワンピースの胸元、豊かな膨らみが一層強調される格好になった。それをちらりと見て、ミーナがムッと顔をしかめた。
50年前の帝国との戦争では大陸中央の大河を越えて、一時的とはいえ王国領の三分の一を占領されるほど帝国軍に侵攻されたと記録に残されている。最終的に王国軍は現在の国境線である大河まで押し返したが、当時の帝国はそれほど強大な軍事力を有していたはず。にもかかわらず、たった1人の少年がわずかの下僕を連れ、たった4年で帝国を打倒したなどと、信じろという方が無理な話だった。
「なんなのだ、その神の御技、天罰とやらは」
「それはそれは恐ろしい天罰だったそうです。神様が、皇帝陛下が手を振りかざしただけで空から槍の雨が降り続いたり、一瞬で旧帝国の大軍が陣取っていた山や街が跡形もなく消し飛んだり、飲み込まれると全身から血を吹き出して死んでしまう雲で地上が覆われたり、帝国の軍勢はまったく歯が立たなかったそうです」
「ますます信じられん」
エルフの魔法は万能といわれるが、1人で扱える魔力の量には限界があり、また個々のエルフによって魔法特性が異なるため、得意な魔法もさまざま。雷撃、火炎弾、風刃、凍結など戦時においては欠かせない重要な戦力だが、妖精種といわれる一般的なエルフ1人の魔法では、数人の敵を相手にできる程度でしかない。故に、戦地で大規模な魔法攻撃を行う場合は、同系統のエルフ複数による同時行使で威力を高める必要がある。まれに扱える魔力量の多いエルフ(両眼の虹彩の色が違うので一目で分かる)もいるが、それでも2~3人分だ。より上位の存在で極めて珍しい、王国にも数人しかいない片眼が金色をした精霊種のエルフでも、非常に希少で特異な魔法を扱えるものの、1人で山一つ吹き飛ばす程の魔力量は持ち得ていない。まして強大な魔法ほど呪文は長くなるし、魔力を体内に蓄積するための時間と準備が必要になる。手を振りかざしただけで、そうした破格の魔法を発動できるなど、ありえない。もし可能だとすれば、エルフ族の最上位に君臨する絶対存在、神と同格の魔法を扱えるという、両眼が金色の神聖種のエルフだけだろう。しかし、王国の歴史上、神聖種のエルフは一度も確認されていない。伝説の存在というのが定説だった。
「…帝国の皇帝というのは、エルフなのか」
万に一つの可能性があるとすれば…、そうマリアが考えて尋ねたのも当然といえる。だが、ミーナは「いえ、ヒトです」。にべもなく否定すると、「皇子殿下は、エルフではなかったでしょう」と続けた。
「ならば、いったいどうやって…。よくできた作り話にしか思えん」
しょせん、皇帝の権威を神格化するために誇張された話なのだろうと、マリアは受け止めた。王国でも、そうした類いの逸話がない訳ではない。
車の座席にもたれ、マリアが小さく息を吐いた。
半信半疑どころか、まるで信じていないマリアの態度に、ミーナは不満げな表情を浮かべた。ミーナ自身、神の天罰など実際に見たことはないし、はっきり事実だと説明できる根拠もない。しかし、ミーナは心から信じていた。ミーナの部下たち、黒鷲隊の警護隊員も、同じだった。彼女らは皆、常日頃からタケルの身近にいる。いわば帝国の中枢に最も近い場所にいる。
帝都中心部の最も奥まった一角に、皇帝一族とごく限られたエルフしか入ることを許されていない秘匿区域がある。厳重に警備された秘匿区域内にある帝国科学院から、魔法とは全く原理の異なる新技術や便利な道具、魔法を応用した武器や魔道具の類いが次々と生みだされているのを知っていた。
ミーナたちはその恩恵にあずかり、身に付けているし、また当たり前のように使っている。いま乗っている高機動装輪車も、その一つだった。そして、それらの多くが一般市民にはあえて隠されたり、急速に普及したりしないよう制限されていると感じていた。
ミーナたちにしてみれば、帝国には自分たちの理解の及ばない秘密、何かがあるというのは、誰1人言葉にこそしないものの、暗黙の共通認識だった。だから、山一つ消し去ることぐらい、できて当たり前。根拠など必要としない確信だった。
それをそのまま、マリアに話すことは、さすがに自重した。
「でしたら、これから行く先に十二使徒の1人がいますから、当時の話を聞かせてもらえるようタケル殿下にお願いしてみましょうか」
「それは本当か? ならば話が聞けるよう殿下に取り計らってくれ」
「分かりました、姫殿下」
神の天罰など、信じてはいない。だが、古くからの皇帝の側近という重要人物に会うことができれば、王国にとって有益な情報が何か得られるかもしれない。またとない好機だった。
「隊長、そろそろ街に入ります」
「了解。先遣隊が街の広場にいるはずです。そこで合流します」
ミーナは運転席の部下に告げると、マリアの方へ向き直った。
「姫殿下、昼食後に少し時間がありますので、街を見ていただきます」
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