第17話 「王女来訪」編(15)

立ち寄った街の広場で車から降り、ミーナに案内されたのは宿屋を兼ねた食堂だった。ごくありふれた木造の3階建て。夜には酒場になるのだろう食堂の中は広いが、質素な造りをしている。騎士団の遠征途中で訪れた王国のそれとさして違いはない。


黒服の兵士たちがずらりと座ったテーブルの端に促され腰を下ろした。

「遠慮しないでたっぷり食べておくれよ」

恰幅のよいクマ族の女将が威勢のいい声を張り上げた。様々な種族の女たちが忙しそうに働いている。

兵の中には何人か男の姿もあるが、女の方が圧倒的に多い。パッと見ただけでは、まるで王国にいると錯覚してしまいそうになる。

マリアの前に置かれたやや大振りな陶器の皿には、ざく切りにされた野菜と肉の煮付け料理が山のように盛り付けられていた。湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。

「この地方の伝統料理で野菜とお肉をじっくり煮込んだ『みねすとろーふ』といいます。とっても美味しいですよ。いただきます」

愛想のいいウサギ耳のウエイトレスが、兵士に焼きたてのパンを2個ずつ配って回っている。

「ミーナ、殿下の姿が見えないようだが、どうしたのだ?」

「殿下なら教会です。こうした地方の街では教会が役場も兼ねているので、街の責任者である神父様をはじめ、いろいろな役職の方々から直接話を聞くのもタケル殿下が大切にしているご公務の一つなんです」

王宮と貴族との社交界だけで暮らしてきたマリアには、地方の役人と言葉を交わす機会など、今まで一度もなかった。

「進むべき道は市民の声が示してくれる、とタケル殿下はいつもおっしゃっています。姫殿下は、民から話を聞いたりなさらないのですか」

「下々の話など、王家の者が聞く必要はない。官吏の仕事だ」

自分で聞いておきながら、さして興味もなかったのか、「そうなんですか。やっぱり国によって違うんですね」。料理を口いっぱいに頬張りながら受け流し、フォークを肉に突き刺した。あまりに美味しそうに食べているミーナにつられて、マリアも料理を口に運んだ。

香味野菜の甘みが加わった濃厚なスープと柔らかく煮込まれた肉の旨味が舌に広がる。さらに胡椒が味を深くしていた。

「んっ、これは…、なかなか…、いけるな」

「でしょう、美味しいですよね。姫殿下のお口に合ってよかったです」

ミーナはあっという間に平らげていた。

「すみませ~ん、お代わりください。あとパンも追加で」

敵国の王族であるマリアを前にしても、屈託なく、あどけない、ミーナの態度に知らず知らずのうちに親近感を抱き始めていた。

「空腹は戦で最大の敵と言うが、見ていて気持ちのいい食べっぷりだな」

つい軽口を叩いてしまう程には、ミーナに対し心を開き始めていた。

「姫殿下の言うとおりです。私たち、これから戦争をしに行くんです」

「戦争だと!?」

思いがけない返答に、パンを持つマリアの手が止まった。

「あっ、でも王国とではありませんからご安心ください。ここは国境から遠く離れた帝国でもかなり僻地ですし」

ミーナは肉の塊を噛み千切り、もぐもぐと租借しながら「そういえば姫殿下にどこへ行くのかご説明していませんでした。失礼しました」と言った。

マリアもまた、どこへ向かうのかなどと尋ねたところで答えは得られないと勝手に決めつけていたので、今まで聞こうとも思わなかった。

「今から向かうのは、帝国に巣食う悪者どもの拠点です。これから悪者退治に行くんです」

黒鷲隊の任務の一端を明かしたミーナの表情は、食事中のニコニコした笑顔から一転、眼光鋭い精悍な兵士の顔つきになっていた。


昼食終えると、ミーナの案内で帝国の街を視察に出かけた。

すっかりマリアの側近のようになっているミーナを傍らに従え、周囲を護衛の兵士に囲まれて街外れの道を歩く。端から見れば、王国で地方貴族の領地を訪れたときと同じような光景だった。

「私に見せたい場所というのは、あそこか」

「そうです、もうすぐ着きます」


リンゴ畑を横目に歩く一行の先に、木造2階建ての建物が見えてきた。何の変哲もない、これといった特徴もない。住居にも宿屋にも見えない。1階も2階もガラスの窓が並んでいて、倉庫のようでもない。マリアには、その建物が何なのか分からなかった。開けた場所にあって、日当たりのいい建物には暗い雰囲気もない。廃墟ではないようだった。


簡素な板張りの門を開け、中に入ると建物の前に空き地が広がっている。

「姫殿下、こちらです」

小さく区切られた物入れに一揃いずつ靴が入った奇妙な棚が並ぶ玄関を通って廊下を進む。

「ここに何があるのだ?」

小柄なミーナが隣に並ぶと、マリアを見上げる格好になる。尻尾をゆるりと左右に振って、「帝国に奴隷制度はないという証拠です。言葉で説明するより、実際に見ていただいた方が早いですから」。特に隠す必要はないのだが、もったいぶった言い回しをした。

部屋の中がよく見える窓の前で、「どうぞ、ご覧ください」。ミーナが促す。覗き込んで、マリアは言葉を失った。

「いかがですか、姫殿下」

目を見張ったまま、じっと部屋の中の光景を凝視していた。

「…ここは」

整然と並んだ机に向かう大勢の子どもたち。教壇に立つ教師が黒板に計算式を書き、「この問題が解ける人?」。聞くやいなや一斉に手が上がった。

「修学塾か!?」

「しゅーがくじゅく?」

耳慣れない言葉にミーナが聞き返す。

「貴族の子女としてふさわしい教養を学ぶ場だ。王都にはいくつもある。私も幼少の頃に通っていた」

「…そういう意味なら、違います」

ネコ、ウサギ、狼などの獣人種、ドワーフにアマゾネスの亜人種、エルフ、ヒト。さまざまな種族が同じ教室にいて、しかも三分の一は男だった。

「ここにいるのは貴族ではありません。皆、この街に住むごく普通の子どもたちです。彼女、彼らが読み書きや算術、帝国の歴史や大陸の地理、運動など生活に必要な知識を学ぶ場を、帝国では学校と呼んでいます」

「読み書きや算術をわざわざ民に教えるだと? そんなことをして何の役に立つ? 下々の子などただの労働力であろう。ヒトやエルフが獣人族と一緒に、しかも下等な男まで学んでいるとは…、信じられん」

王族、貴族中心の強固な身分制度、種族や性別で差別する奴隷制度が深く根付いた王国で生きてきたマリアにとって、感じて当然の疑問だった。


「…やっぱり王国は聞いていたとおりの国なんですね」

ぽつり漏らしたミーナの表情がみるみる曇っていく。

「帝国が発展し、市民が豊かに暮らせるようになるには教育の充実こそが肝要。それが皇帝陛下やタケル殿下のお考えです。帝国では5歳から10歳までの子どもは種族、性別を問わず全員、学校に通うのが決まりです」

「ほぉ、帝国では下々の子らが教養を身に付けるのが義務だというのか」

「教育は義務ではありません、子どもたちの権利です。子どもに教育を受けさせることが大人に課せられた義務なんです。帝国憲法にもちゃんと書いてあります」

マリアはさっぱり理解できないと言わんばかりの呆れ顔で「国の発展に民の教育が大事などと、ふざけたことを。小作農の子を学校に行かせたところで働き手が減るだけではないか。それで収穫が減ったら、どうやって税を納めるのだ?」。嘲るような口ぶりに、「農作業の負担軽減や効率化、収穫を高めるための品種改良は帝国の役目ですっ」。ミーナは語気を強めて反論した。抑え切れない憤りにネコ耳を尖らせ、思わずマリアを睨み付け、「子どもたちは王族、貴族が贅沢をするための、遊んで暮らすための道具ではありません!」。異国の王女に向かって声を荒げた。

「なんだとっ!?」

マリアがとっさに言い返せずにいると、鐘が鳴って途端に教室の中が騒がしくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る