第18話 「王女来訪」編(16)
休み時間になり、子どもたちが一斉に教室から飛び出してきた。廊下にいた黒い軍服姿の一行が、好奇心の塊の子どもたちの興味をひかないはずがない。あっという間に周りを取り囲み、「ねぇねぇ、こんなところで何をしているの?」。瞳を輝かせて一斉に質問を浴びせてくる。
「兵隊さん、私たちの学校に用事?」
「黒色の軍服って、もしかして皇子様の親衛隊?」
大騒ぎの子どもたちを追い払いましょうかと言いたげな教師に、ミーナは目線でその必要はないと伝えると、優しげな笑みを子どもたちへ向けた。
「そうです。私たちは皇子殿下の親衛隊、黒鷲隊の一員です」
「すご~い!」
「格好いい!」
「うわ~本物の親衛隊だ!」
「初めて見た!」
子どもたちからどよめきと歓声が上がった。
黒鷲隊は帝国軍の中でも特殊な任務、極秘の作戦を遂行する皇帝直属の部隊だが、市民にそれを明かしていない。そのため、表向きタケルの親衛隊ということになっている。王国と違って徴兵制を採用していない職業軍人で構成された帝国軍の兵士は子どもたちにとって、人気のある職業の一つ。中でも、漆黒の軍服がトレードマークの黒鷲隊は憧れの存在だった。
「今日は、みんながちゃんと勉強しているかなって見に来ました」
「それじゃ、皇子様も来ていらっしゃるんですか」
「皇子殿下は街の視察です。今は教会におられますよ」
「本当に? 教会に行けば皇子様に会える?」
やいのやいのとはしゃぎながらミーナを質問責めにしている子どもたちを、あっけにとられて見ていたマリアのワンピースの裾がちょんちょんと引っ張られた。見ると、赤毛を二つに束ね、釣り目がちの瞳で整った顔立ちをした、聡明そうな狼族の少女だった。
「お姉さんは黒い服を着ていないけど、皇子様の親衛隊じゃないの?」
「…私は、そのような者ではない」
戸惑いながら答えたマリアに、「じゃあ、もしかして皇子様のお嫁さんになる人?」。赤毛の少女の素朴な疑問、率直な質問に、思わず絶句してしまう。
「あなた、お名前は? なんていうの?」
すかさず、ミーナが間に入って助け船を出した。
「私は、ランフェイ」
「ランフェイちゃん、いい名前ね」
ランフェイの小さな肩に手を置き、「こちらのお方は、皇子殿下の大事なお客様です。お嫁さんではありません」。ミーナの言葉に、ランフェイはホッとした表情を浮かべた。
マリアの耳元で「タケル殿下の結婚問題は今、帝国市民の一大関心事なんです。この子の無礼、なにとぞご容赦下さい」と囁く。驚きはしたが、いちいち腹を立てることでもない。マリアは鷹揚に頷き、謝罪を受け入れた。
ミーナはちらりと左手首に視線を向けると、「姫殿下、そろそろ街に戻ります」と告げた。
「皇子殿下には、みんなしっかり勉強していましたと伝えておきます。これからも帝国のために頑張って勉強するように。いいですね」
「は~い!」
子どもたちの元気のいい返事に笑顔で答えると、ミーナは「姫殿下、こちらへ」。促し、隣に立って歩き出す。
まったく正反対の価値観を持つ、敵国から来た王女と自分たちの隊長が言い争いになりかけた時には止めに入るべきかハラハラした警護隊員たちは、言葉を交わしながら並んで歩く後ろ姿にホッと安堵の表情。子どもたちに手を振り、2人の背後に続いた。
学校を出たマリアたちが次に向かったのは、街の広場に続く通り沿いに出店がずらりと並んだ市場だった。
「いらっしゃいらっしゃい、今日入荷したばかりの新鮮な魚だ」
「干し肉の特売日だよ、買わないと損するよ」
「うちのリンゴは甘いよ。ちょうど食べ頃だよ。10個買ったら1個おまけしちゃうよ」
通りのあちこちから威勢のいい呼び込みの声が聞こえる。店先には野菜や果物がうず高く積み上げられ、種類も多彩。肉や魚、パンも豊富に並んでいる。食料品以外にも、食器や台所道具を売る店、髪飾りだけが並ぶ店とさまざま。花屋にいたっては色とりどりの花で埋め尽くされるほどだった。値切ろうとする客と丁々発止のやり取りをしている店の主人もいる。
「ここが、この街の市場です。夕方になれば、もっと多くの人が夕食の買い物に来て賑わうはずです」
「どうやら帝国が奴隷制を廃したというのは、本当のようだな…」
ミーナに答えると言うより、独り言のような呟きだった。
「信じていただけて何よりです」
それぞれの出店の働き手は女の方が多いが、もちろん男もいる。基本的に商いを手掛けないエルフを除けば、ヒトも亜人種も獣人族も、種族の隔てなく働いている。中には、ネコ族の若い女が通りで元気よく呼び込みをして、狼族の男が奥で手際よく川魚をさばいている店もあった。
マリアは歩きながら市場の様子を眺めていたが、興味はすでに奴隷制とは別に向いていた。ついさっき見た学校での子どもたちの様子を思い返せば、男女が仲良く校庭で遊んでいる様子を目の当たりにすれば、帝国には奴隷制がないという言葉を事実として受け入れるしか、なかった。
それよりもマリアは、帝国の食糧事情の豊かさに内心、衝撃を受けていた。
近年、王国は病害虫の流行で農作物の不作が続き、王都であっても獣人族街の店など売る物がほとんどない状況だった。しかし、帝国内でも僻地にあるという、この街の市場は活気に満ちている。
これはいったい、どういうことだ?
農作物が不作なのは王国だけなのか?
なぜ、こうも違う?
マリアの表情が次第に曇っていく。
「ちょいとあんたたち、皇子様の親衛隊なんだってね。どうだい、うちのリンゴを食べてみておくれよ」
ミーナたちを大声で呼び止めたのは、恰幅のいいドワーフの、果物屋の女主人だった。
「朝、リンゴ畑からもいできたばかりなんさ。今年は特に出来がいいからね。うまいよ~」
エプロン姿の女主人が素手で簡単にリンゴを二つに割ると、ミーナとマリアにそれぞれ差し出した。
「ありがとうございます。いただきます」
遠慮なく受け取ったミーナが早速、サクッと切れのいい音を立ててリンゴにかぶりつく。
「うわっ、美味しい! このリンゴ、すっごい美味しい!」
部下の警護隊員にもリンゴを配っていた女主人が振り向くと、大きく口を開けて、「そうかいそうかい」。豪快な笑みを浮かべた。
「美味しい…」
薄い桃色の唇で上品にリンゴに口を付けたマリアも、瑞々しい美味しさに目を見張った。王宮で食べたどんなリンゴより、新鮮で酸味と甘みのバランスが絶妙で、比べものにならないほどの美味だった。
「うちの畑のリンゴは、この街で一番だって評判だからな」
店先に積み上げられたリンゴの山の裏から、ひょっこり顔を出したドワーフの男が、そう言いながらマリアを見て、「あんた、えらい美人だな」。思ったまま、そのままの感想を言葉にしていた。
「あんたこそ、なんだい鼻の下伸ばしてみっともない、って、ありゃま、本当だね。あたしゃ、こんなべっぴんさん初めて見たよ」
あらためてマリアの美貌に気が付いて、あっけにとられた。
「この地方は、リンゴが特産なのか」
自らの美しさを褒められ、讃えられ慣れているマリアは、別段照れることもなく、何気なく、女主人に尋ねた。
「あぁ、そうさねぇ、もう特産って言ってもいいんじゃないかねぇ、ねぇ、あんた」
いま一つ歯切れの悪い女主人の言葉を、夫が引き継ぐ。
「そうだな、構わんだろ。リンゴ作りが始まってずいぶん経つしな」
「昔はリンゴ、作ってなかったんですか? シャク」
前歯で器用にリンゴに齧り付くミーナの尻尾が楽しげに揺れている。
「あぁ、俺たちが子どもの頃、この街にはリンゴなんてもんはなかったな。このあたりは高地だから夏でも涼しい上、土が合わないせいで小麦は栽培できない。仕方なく山の木を切り倒して炭焼きをして売ってたんだが、毎年冬になると餓死者が出るくらい、そりゃあ貧しい街だった」
隣で女主人が腕を組み、うんうんと頷いている。
「ところが、だ。あるとき帝都から派遣されてきたって農業指導員っていう奴が街に来てな、リンゴだけじゃねぇ、ここの涼しい気候に適した果物や野菜を持ってきて街のみんな栽培を勧めたんだ。まぁ、俺もそうだが、街の連中も最初は半信半疑だったんだがな。実際、いろいろな苦労もあったし。だが、今じゃこの通り」
果物売りの男が、通りに並ぶ出店の方へ目を向ける。マリアやミーナたちも振り返った。
「本当に豊かになった。もう冬の訪れを怯えることもなくなった。この街で生まれて、結婚して、子どもを産んで…、誰もが普通に暮らせるようになった。最近じゃ、国営食料会社の『とらっく』が来てリンゴだのレタスだの買い付けて帝都に持っていって売ってくれるおかげで、貯金までできるようになった。いい時代になったもんさ」
「それもこれも全部、皇帝陛下様のおかげだよ」
言いながら、女主人が紙袋にリンゴを詰め込んでいる。
差し出して、「これ、皇子様に持っていってくれないかい。あたしらからのお礼だよ。リンゴぐらいしか差し上げられないけどね」。
「おいおい、おまえ、そりゃあいくらなんでも失礼だろ」
慌てて男の方が口を挟む。
「皇子様だぞ、もっと高級なものを召し上がっているに違いねぇ。ただのリンゴなんか口にしねぇって」
「いえ、全然大丈夫です。皇子殿下は普段、私たちと同じものを召し上がっていますから。リンゴもお好きですよ」
「おやまぁ、そうなのかい」
「ええ。このリンゴとっても美味しいので、皇子殿下も、きっと喜ぶと思います」
真っ赤なリンゴがこぼれ落ちそうなほど入って膨れた紙袋を、ミーナは胸を張って受け取った。
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