第19話 「王女来訪」編(17)

街の広場は、人で埋め尽くされていた。

「そろそろ教会からタケル殿下が出てこられる時間です。みんな、殿下のお姿を一目見ようと集まっているんです」

 教会正面の扉から、マリアやミーナのいる軍用車両の駐車場所まで真っ直ぐ、黒服の兵士が並んで群衆の中央に道をつくっていた。

老若男女、様々な種族の人々がタケルの登場を今か今かと待ちわびている。ここでもやはり、女の方が多かった。

「姫殿下、お顔の色があまり良くありませんが、お疲れではないですか。車の中でお休みになられていても構いませんよ」

「…いや、それには及ばん」

元来、勝ち気で負けず嫌いな性分のマリアは、半ば開き直っていた。


敵国に連れ去られ、これからどうなるのか。不安と緊張を抱えたままでの長時間の移動。加えて、これまでの常識をひっくり返された精神的な負担。身体は重く、確かに疲れていた。

だが、帝国の内情を見てみろというのなら、こうなった以上とことん、目に焼き付けてやろうと思っていた。

弱気な言葉など吐くつもりはない。


「ミーナ、あれは何か」

マリアが指差した先、広場の端に木製の看板のようなものが立っていて、そこに何かが貼られている。それを数人が熱心に見ていた。

「あぁ、あれは広報紙です」

「こーほーし?」

またも聞いたことのない言葉に、マリアが振り返る。金髪のロングヘアがふわりと舞って、優雅な香りが広がった。

「広報紙は、帝国の新しい政策や各地の出来事、いろいろな情報を広く市民に伝えるため、帝国情報省が定期的に発行しているんです。ご覧になりますか」

ミーナに先導され、広報紙とやらが貼られた看板の前に立つ。

そこには、ミーナの言ったとおり、驚くほど薄い紙にさまざまな情報が印刷されていた。


王国でも近年、ガラス製造と同様、北方の国から印刷技術がもたらされていた。だが、輸入された印刷機の性能が低い上、製紙技術が追いついておらず、王宮内の一部でしか使われていない。羊皮紙に魔法で書き写す『写本』がまだまだ一般的だった。

『つーはんのかたろぐ』といい、『こーほーし』といい、帝国との技術力の差をあらためて痛感させられたマリアだったが、広報紙に記された内容の方にこそ、よほど驚かされた。


「…これを、帝国は街中に張り出しているのか」

「はい。さすがに小さな村まで全部という訳にはいきませんが、このぐらいの規模の街ならだいたい月に2回ぐらい張り替えられます」

「この『きゅーしょく』というのは何だ? 民への施しのことか?」

広報紙の一番目立つ場所に、ひときわ大きな文字で『給食 来年から全学校へ拡大』『帝国評議会の上申、皇帝陛下が御認可』と書かれていた。

「給食というのは、学校で子どもたちに無償で出される昼食のことです。これまでは帝都など大きな街の学校でしか実施されていなかったんですけど、来年から帝国全土の学校に拡大されることが決まったんです。帝国評議会から上申されたそのための予算案を、皇帝陛下がお認めになられたと書いてあります。ちなみに帝国評議会というのは…」

マリアの視線は広報紙に釘付け。ミーナの説明も途中から耳には入っておらず、熱心に記事を読みふけっていた。


帝国の予算配分をめぐる議論の経過、議会での皇帝の発言要旨、主要な街道の工事による通行止めの予定表、主な産地での農作物の生育状況と国営食料会社の平均買い取り価格、蹴球という帝国で人気があるらしい競技の試合結果、災害や犯罪の発生と注意書き、舞踊団?の各地での公演日程などなど、ありとあらゆる雑多な情報が一枚の紙にまとめて印刷されていた。

王国であれば、王宮内での御前会議に出席した王族、貴族、上級役人のみが知りうるような話まで、『こーほーし』を通じて下々の民に伝えられている。はたして、そんなものを広く伝える意味があるのだろうかと思う一方で、確かに民が知って役立つだろうと感じる情報もあった。

この『こーほーし』という仕組みを王国でも取り入れられないかと思案していたマリアが、最も興味を引かれ、また驚いたのが、『天気予報』だった。当面の帝国各地の天気の見通しが日ごとに予想されている上、「次の冬は寒さが厳しく雪も多く降りそうなので特に北の地方では寒さに強い作物を植えた方がよい」などと先々の季節見通しまで書かれている。


「この天気予報というのは、どのくらい当たるものなのだ?」

「そうですね、2、3日先ぐらいまでの天気なら結構当たりますよ。でも、長期的な予報の方は、まだまだ精度が低いので当たる確率は5割ぐらいだとタケル殿下がおっしゃっていました」


天気は、魔法という万能の力をもってしても自由に操ることのできない自然現象の一つ。雨を降らせたり、曇天を晴れにしたり、王国では一時期そうした魔法技術(マギクラフト)の研究も行われていたが、めぼしい成果を上げることはできなかった。しかし、天気を変えることができなくとも、先々の天気が分かるというのであれば、有用性は非常に高い。農業はもとより、荷馬車や軍の移動など、さまざまな面で役に立つだろう。


「ミーナは殿下から帝国の技術や制度を私に教えるよう命じられていたのだったな」

突然、真剣な面持ちでぐっとミーナに顔を寄せた。

「はっ、はい。そうです、けど…」

「この天気予報について詳しく教えてくれ。どのような魔法を使って先々の天気を見通しているのだ? 風系統か、水系統か、それとも複数の魔法を組み合わせているのか」

勢い込んで尋ねるマリアに気圧され、心なし上半身を仰け反らせた。

「あのっ、えっとですね、姫殿下」

間近で美貌の王女に迫られ、ミーナはたじろぎながら「天気予報は今年始まったばかりで、帝国でも最高機密の一つなんです。詳しい仕組みは私たちにも知らされていません」と答えた。

「そうか…。まぁ、そうであろうな…」

マリアはがっくりと肩を落とす。耳にかかっていた金髪がはらりと胸元にこぼれた。

整った顔立ちで心底残念そうな表情を浮かべても、その美しさが陰ることはない。気の毒なほど落胆した横顔を目の当たりにして、思わず「一応、タケル殿下に聞いてみます」とミーナが口にしたとき、広場の方から大歓声が湧き起こった。

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