第20話 「王女来訪」編(18)
教会正面の大きな扉が左右に開かれ、漆黒の軍服に身を包んだタケルが姿を見せた。片手を上げ、柔和な笑みを浮かべ群衆に向かって手を振る。
「皇子様、万歳!」
「皇子殿下!」
集まった人々はみな笑顔で手を振り返し、歓声を上げ応えている。少しでも近くでその姿を目に焼き付けようと、広場は押し合いへし合いの大混雑。警護の兵士たちはタケルの歩く道が塞がれないよう懸命に押し返していた。
「…ずいぶんと民に人気があるのだな」
マリアの率直な感想には、皮肉も羨望の色も混ざっていなかった。
「それはもう、タケル殿下は特に、女性の人気は抜群です」
まるで自分が褒められたように、ミーナが嬉しそうに返す。
マリアの目の前で、ふいに老女が感極まって泣き崩れた。膝をついてひれ伏し、「神様、ありがとうございます」「神の御子様、どうか我が子らをお導きください」。むせび泣きながら、両手を合わせ熱心に祈っている。
「…たしかに、相当な人気のようだ」
老女の姿に、ミーナが一転、表情を硬くした。ネコ耳をしぼませ、伏し目がちに「あのお年寄りが若かった頃は、まだ帝国に非道な奴隷制度があった時代です。当時はきっと、辛く苦しい思いをたくさんしたのでしょう。そんな境遇から解放してくださった皇帝陛下の血を受け継ぐタケル殿下を見て感動するのは、珍しいことではありません」。声を落として説明した、ミーナの手はきつく握りしめられていた。
言われて見れば、手を振りながらキャーキャーと黄色い声を上げ歓喜しているのは若い女性ばかり。歳を重ねた女性の多くはタケルを見詰めて祈るように手を合わせ、涙をこぼしている。
皇帝を現人神として崇拝する真正教会がしっかりと根付いている帝国で、その直系の後継者である皇子もまた、信仰の対象だった。
ようやく広場の中央付近に差し掛かったタケルの姿には、マリアと相対したときのようなチャラチャラした雰囲気は微塵もない。皇族の威厳を湛え、群衆の中をゆっくり、堂々と歩いてくる。
大剣を背負って先導するスズネは、厳しい表情で周囲の人混みに鋭い視線を向けている。一方、タケルにぴったりと寄り添う4人の警護隊員は、人々の歓迎ムードに水を差さないよう柔和な笑みを浮かべていた。だが、利き手は腰に下げた剣の柄や短杖に添えられ、不意に誰かが飛び出してきても即座に対応できるよう警戒を怠っていない。その後ろに、純白の法服を着た神父ら街の幹部たちが見送りのため続いていた。
群衆の最前列で、小さな花束を手に持ってタケルのことを一心に見詰め、そわそわと落ち着きのない様子の少女に、ミーナが気付いた。
「姫殿下、少々ここでお待ちください」
マリアの護衛を部下に委ね、足早に少女のところへ向かった。
「あなたも皇子殿下を見に来たの?」
「あっ…」
声を掛けられた少女は振り返ると吊り目を瞬かせ、ミーナを見て驚いた表情を浮かべた。
「ランフェイちゃん、きれいなお花ね」
学校でマリアに話し掛けた、赤毛を二つに結んだ狼族の少女だった。
「皇子様にお花、差し上げようと思ったんです」
「そう」
もしランフェイが花束を手に持ちタケルの前に突然、飛び出したら、瞬時の判断で警護隊員はためらいなく剣を抜くだろう。訓練された隊員が実際に少女を斬りつけることはないにしても、場の雰囲気が凍り付くことは間違いない。
ミーナは少し離れたところにいる部下のエルフに顔を向けると、黙ったまま尻尾を振ってこっちへ来るよう命じた。察したエルフがすぐに駆け寄ってきて、ランフェイの手にした花束に短杖をかざす。
「ミーナ隊長、問題ありません」
「ありがとう。持ち場に戻って」
「はい」
花束の中に、毒を持つ種類の花が含まれていないか、刃物が仕込まれていないか、確かめ終えたエルフが短杖を腰に戻して立ち去った。
「ランフェイちゃん、こっちに来て。皇子殿下にお花を渡せるよう取り次いであげる」。そう言って、ランフェイの小さな手を取った。
獣人のネコ族がエルフを呼びつけるなど、王国では絶対にありえない。事の成り行きを見て驚いたマリアのところへ、ランフェイを連れたミーナが戻ってきた。
街幹部との懇談を終え、ようやく車のところに戻ってきたタケルが、ミーナの隣で直立不動の姿勢で固まっている少女に気付いた。
「ミーナ、その女の子は?」
「彼女は先ほど視察した学校の生徒です。皇子殿下に花束をお渡ししたいそうです」
ランフェイの肩に手を添えて紹介すると、ミーナはそっとタケルの前へ進むよう促した。
「あっ、あっ、あのっ、皇子様、こっ、これっ、どうぞっ」
ずっと憧れていた雲の上の存在を目の前にしてガチガチに緊張し、ランフェイは噛みまくりながら、ぎこちない仕草で花束を差し出す。
「きれいな花だね」
そんなランフェイの可愛らしい姿に目を細め、微笑みを浮かべたタケルが答えながらとった行動に周囲の群衆がどよめいた。
タケルは地面に片膝をつき、幼い姫君に忠誠を誓う騎士よろしく、両手で花束を受け取ったのだ。
広場に集まった人々の間から一際大きな拍手が上がった。
「この花は君が育てたのかい」
びっくりして瞳を大きく見開いたランフェイの目線と同じ高さで、緊張を解きほぐすように、タケルが優しく声を掛ける。
「はひっ、お家の庭で育てましたっ」
「花は好き?」
「はっ、はいっ、だだっ、大好きです!」
種族、性別に優劣はなく、人は誰もが等しくかけがいのない存在である―
神の御子でありながら少女と同じ高さで目を合わせ、言葉を交わしている皇子に、真正教会の教えを体現したタケルに、人々は「さすがは皇子殿下、どこまでもお優しい」などと賞賛の言葉を口にしている。
「ありがとう」
礼を言って立ち上がろうとしたタケルを、「あのっ、皇子様!」。ランフェイが呼び止めた。
「なんだい?」
今この時を逃せば、もう二度と伝える機会はないだろう。逡巡は一瞬のこと。上着の裾をぎゅっと握り、意を決して口を開く。
「私を皇子様のお嫁さんにしてください!」
思いも寄らない求婚に面食らった様子のタケルのすぐ側で、慌てたのは街幹部の大人たちだった。
「こっ、こら、何を突然。皇子殿下、大変失礼いたしました」
2人の間に割って入ろうとした神父らを押しとどめたのは、タケルの側近のスズネだった。手を伸ばして近寄れないよう遮り、無言で首を振って成り行きを見守るように伝える。
タケルは真剣な表情で少女の顔を覗き込み、「君はどうして僕のお嫁さんになりたいんだい」と問い掛けた。
ランフェイは自分の言葉が冗談ではないと、いい加減な気持ちではないと訴えかけようと、強い眼差しでタケルの瞳を見詰め返す。
「皇子様が『みんなが笑顔で暮らせる国をつくりたい』とおっしゃったのを広報紙で読みました。それを読んで、私もそんなふうになったらいいなって思いました。だから皇子様のお嫁さんになって、みんなが笑顔でいられる国をつくるお手伝いがしたいんです」
声を上擦らせることもなく、真摯に一途に気持ちを紡ぎ出す。
「僕らが目指す未来に共感してくれたんだね。とても嬉しいよ。そういうことなら…」
タケルはニコッと相好を崩すと「もし君がこの街の学校を一番の成績で卒業したら僕に手紙を書いて送ってくれないか。神父様に渡してくれたら、必ず僕のところへ届くようにしておくよ」
タケルが目を向けると、神父は戸惑った様子ながら「分かりました。皇子殿下の元へ責任を持って届くよう手配いたします」と言って頷いた。
「手紙が届いたら、君を帝都へ呼んで上級学校で勉強ができるようにしよう。そうして努力を続けていればきっとまた僕に会える機会が来るはずだ。そのときにもう一度、さっきの言葉を伝えてくれればいい。返事はその時までとっておくよ」
タケルは、少女の赤毛にポンと手を載せた。
「はい! 分かりました! 私、頑張ります!」
憧れの皇子様に拒絶されるのではなく、進むべき道を示してくれた嬉しさと興奮で耳まで真っ赤に染めたランフェイが元気よく答えた。
「君の、名は?」
「ランフェイです!」
「良い名前だね、ランフェイ。覚えておくよ」
タケルは立ち上がると群衆の方へ振り返り、ランフェイから受け取った小さな花束を高く掲げた。手を振り、笑顔を振りまいて車に乗り込んだ。
「ランフェイちゃん、良かったね」
「ありがとうございました!」
深々と頭を下げてお礼を言うランフェイに「皇子殿下は必ず約束を守る人だから、頑張ってね」とミーナが励ました。
このときの少女が約束どおり街の学校を一番の成績で卒業して帝都の帝国大学へ進み、後にタケルの筆頭政務補佐官として帝国の発展に辣腕をふるい、帝政史上初の女性宰相に就任することになろうとは、タケルも、ミーナも、マリアも、居合わせた者も、当の本人さえ、誰一人として思いもしなかった。
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