第21話 「王女来訪」編(19)

タケルたち黒鷲隊の車列が街を出て間もなく、山道に入ると揺れが激しくなり始めた。軍用の装甲車両にとって走行に全く支障はないが、ガタゴトと不規則な揺れが続き、乗り心地がよいとはいえない。だが、後部座席に座ったスズネはその程度の揺れなどものともせず、ピンと背筋を伸ばした姿勢を保っている。

流れ去る木々の間から途切れ途切れ差し込む橙色の陽の光は次第に薄くなり、運転席の後ろ側でぐったりと座席にもたれかかったタケルの横顔に淡い影を落とす。薄く開いた窓から吹き込む冷たい風が、黒髪を乱していた。


「タケル様、先ほどの少女、本当に帝都へ呼ぶおつもりですか」

「ランフェイちゃん? 結構、可愛い子だったよね」

ぼんやり外を見やったまま、気のない返事のタケルに「…タケル様のストライクゾーンはかなり広いと存じておりましたが、まさか、あのような幼い少女までとは…、正直、いかがかと思います」。答えたスズネは眉間にしわを寄せていた。

「いやいやスズ姉、ちょっと待ってよ。本気にされるとすごくリアクションに困るんだけど」

「冗談です」

「いつも真顔で冗談言うの勘弁してもらえないかな~」

ふと口元を緩め、タケルは「でも、あの子、すごくいい目をしていたな。真っ直ぐで、純真で、澄んだ瞳だった」と続けた。

「タケル様がそうお感じになられたのなら、あの少女に見込みがあるということでしょう。期待して待っておられればよいかと」

「そうだね」

タケルが座席にもたれたまま頭だけスズネの方へ向けた。

「ところで、姫殿下の様子はどう?」

「ミーナからの報告ですと、先の街の視察で帝国に奴隷制が存在しないということはご理解いただけたようです。比較的落ち着いたご様子で、取り乱したり、逃げだそうとしたりすることもなく、熱心に街を見て回られたとか」

「ふ~ん、そっか。姫殿下が賢明な人でよかったよ。そのうち話し合いに応じてもらえるかな。まぁ、まずはこっちの生活に慣れてもらうことが優先だな~」

「そうですね。かなり疲労の色がお強いとのことですから難しい話は落ち着かれてからの方がよいと思います。そうそう、姫殿下からタケル様に伝えてほしいと、ミーナが言づてを預かったそうです」

タケルは目を細めてスズネの整った顔立ちを見詰め、話の続きを促す。

「一つは、十二使徒に会って真帝国が旧帝国を倒した当時の皇帝陛下のお話を聞きたいとのことです。もう一つは、天気予報の仕組みについて知りたいそうです」

大きな石を踏んだのか、車体がガクンと跳ねるように揺れた。タケルは座席に座り直し、「十二使徒ねぇ」。黒髪を右手でかき上げ、小さく息を吐いた。

「さしずめ神の天罰あたりの話を聞いて、そんなことあるはずないとか思ったんだろうね。まっ、いいんじゃない、別に隠す必要がある話じゃないし。作戦が終わったら、ウーリに姫殿下と話をする時間をつくるよう言っておいてよ。そのときは僕も同席するからさ」

「かしこまりました。天気予報の方はいかがしますか」

「そっちの方は、いまはまだダメだな~。あれは魔法とは全然別の次元の話だし、いま教えたところできっと理解できないだろうし。姫殿下が僕らに協力する気になってからだね」

「では、天気予報については明かせないとだけ、ミーナに伝えておきます」

「よろしく。頼んだよ」


周囲はすっかり暗くなり、車はヘッドライトの明かりをつけてさらに山道を登っていく。タケルは欠伸をして再び背もたれに身体を預けた。

「どうしてみんな、そんなに急ぐんだろう…」

ぽつりとタケルが漏らした。誰かに尋ねるというより、独り言のような呟きだったが、「街での懇談で、何か問題があったのですか」。タケルの沈んだ口調が気がかりで、スズネは問わずにいられなかった。

「問題は、ないよ…」

目を閉じ、車体の揺れに身を任せながら、「あの街の人々の暮らしは年々良くなってる。収入は増え、豊かになって、人口も増え、順調に発展してる。全然、問題はない。でもさぁ…」。深くため息をついた。

「もっと豊かに、もっともっと豊かにって、言われても…。そんなに急ぐ必要はないのに…、人間ってホント、欲深い生き物なんだなって、あらためて思わされたよ…」

タケルは俯き、両手で顔を覆う。タケルの双肩にどれだけの重責がのし掛かっているのか、よく理解しているスズネが固く唇を引き結んだ。

「いまの帝国に、いま以上の速度で生活を豊かにする余力はない。かといって特定の地域、特定の人だけが豊かになれば、羨望は嫉妬になり、いつか必ず、争いの火種を生む。少しずつ、みんな平等に、少しずつ、着実に進んでいくしかないんだ。どうすれば分かってもらえるんだろう…」

タケルの抱えた根深い悩みに、何も答えを返すことはできない。できるのは「タケル様、向こうではちゃんとお休みになられたのですか」と、せめて体調を案じることぐらいだった。

「…あっちはあっちで、いろいろと忙しくてさ」

スズネは、タケルの肩に腕を回すと有無を言わせず抱き寄せた。

「野営地に到着するまで、まだしばらく時間があります。タケル様、どうかそれまで身体を休めてください」

「…そうだね。少し休ませてもらおうかな」

スズネの肩に頭をもたれ掛け、「…スズ姉、おっぱい触っていい?」と囁いた。

「もちろん、構いませんが」

愛する男が甘えてくれる歓びで蕩けそうな表情をぐっと抑え、スズネは「最近、タケル様のキャラが以前と変わっている気がします」と言って、照れ隠しをごまかす。

タケルがプッと吹き出した。

「スズ姉の口からストライクゾーンとかキャラとかいう言葉を聞くと、違和感、半端ないね」

「仕方ないでしょう。どれだけ一緒にいると思っているのですか。全部、タケル様の影響ですよ」

アマゾネスのがっしりとした体格に比べればずっと小柄なタケルをひょいと抱き上げると、膝枕する体勢にして後部座席に下ろした。手を取り、自分の豊満な膨らみにぎゅっと押し当てる。

「これでいかがですか」

「うん、ありがとう。すごくいい感じ」

タケルの掌が柔らかな感触を楽しむようにムニュムニュと乳房を揉みしだく。スズネはもちろん咎めることなく、逆に軍服越しに感じる手の温もりに心地よさを感じていた。

「眠らなくても、目を閉じているだけで疲れが取れます」

あどけない笑顔を浮かべたタケルは、小さく頷くと言われたとおり素直に瞼を閉じた。よほど疲労がたまっていたのか、すぐに寝息を立て始めた。

穏やかな寝顔をしたタケルを見下ろすスズネの表情は、まるで我が子を慈しむ母親のような優しさで溢れていた。


いま、帝国の内政は安定し、市民生活も向上している。それは紛れもなく、皇帝の治政によるものだ。しかし、そう遠くない時期に、スズネの膝を枕に眠っている少年が、帝国の未来を背負っていくことになる。

タケルの決断が、帝国の針路を決める。

それが、どれほどの重圧なのか、スズネには想像できない。

タケルが目指す理想の世界を実現するため、部下としてただ全力を尽くす、だけではなく、一人の女として少しでも支えになりたい、こうして安らげる時間を少しでもつくってあげたいと、心から思う。


この人のために、生きていこう―


スズネは、初めて会ったときから決して変わることのない、タケルへの誓いをあらためて噛みしめた。

無意識のうちにスズネは自分の耳に触れていた。

次期皇帝という高貴な立場にありながら、身分の違いなど関係なく、まして自分のような異端の存在にまで心を許してくれる、タケルへの愛情を一層募らせていた。

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