第22話 「王女来訪」編(20)
野営地に到着したマリアは車から下りるとすぐさま、ミーナが「姫殿下専用です」というテントまで案内された。
テントの中には、小さなテーブルとイス、簡易ベッドが置かれていた。
「時間になりましたら呼びに参ります。それまでの間、こちらでお休みになっていてください」
「悪者退治とやらが何なのか、そなたたちはこれから何をするつもりなのか、そろそろ教えてもらえぬか」
「それも後ほど、しかるべき立場の者からご説明させていただきます。テントの前に姫殿下の護衛を立たせておきますので、何かありましたらお声をお掛けください」
ミーナはテーブルの上に「少し早いですが、夕食です」。水筒と包みを置いてテントから出て行った。
夕食の「さんどいっち」を食べ終えると特にすることもなく、マリアはベッドに身体を横たえた。
王国軍の野営地とはまるで趣が異なるテントの周囲を見て回ろうかとも思ったが、すぐに思い直した。ミーナは「護衛」と体のいい表現をしていたが、本当のところは監視だろう。敵国の王族が自由に出歩かないよう見張っているに違いない。
マリアはぼんやりとテントの天井を見上げた。疲労がどっと押し寄せてきて、身体がやけに重く感じる。
それにしても…と思う。
王国で聞かされていた帝国と、実際に自分の目で見た帝国の、あまりの違いをどう受け止めればいいのか、戸惑うばかりで答えが見つからない。
女を玩具として扱う(マリアにとっては帝国への敵愾心を抱く最大の理由だった)奴隷制度が帝国には存在しなかった。ばかりか、男も、女も、誰もが、種族を超えて生き生きと暮らしていた。
魔力で走る車、大きな板ガラスや精緻な印刷、どこまでも平らな幹線道路、そして天気予報など、先進的な魔法技術を有していた。
民に開かれた政治、民に対する教育、民の豊かな生活。何もかも、貴族中心の絶対王政を敷く王国とは違っていた。
天井から釣り下げられたランプの明かりは、魔石灯独特の揺らぎを伴った淡い暖色の光ではなく、白色で眩しいほど均一に輝いてテント内を隅々まで照らしていた。
どうせそれも帝国の進んだ魔法技術の賜物なのだろう。
マリアは、得も言われぬ苛立ちに唇を噛みしめた。
様々な面で敵国より立ち後れていた、という自国の現実を認められない、認めたくない、傷ついたプライド故なのか。心の奥底、もっと深い部分から伝わる鈍い痛みに苛まれていた。
自分はこれからどうなるのか、どうすればいいのか、分からない。ぐるぐると思考は堂々巡り。いつの間にかウトウトと浅い眠りに落ちていた。
「姫殿下…、姫殿下…」
遠くから呼ぶ声が聞こえる。
長い睫毛の瞳を開くと、ベッドの傍らにミーナが立っていた。
「姫殿下、お休みのところ申し訳ありません」
「何用だ」
夢を見ていたような気もするが、全く覚えていない。マリアは、王宮で侍女に対するときと同じ口調で、敵国の世話係に声を返した。
「これから出撃する部隊員へ、タケル殿下が訓示を行います。姫殿下にも立ち会っていただくように、との仰せです。その後、指揮所にて今回の作戦についてご説明があるそうです」
「分かった」
ミーナに先導されて向かった野営地中央の広場には、すでに数十人の帝国兵が整列していた。
隊長のスズネが、居並ぶ兵士たちの最前に立っている。
スズネ率いる部隊がこれから出陣するのだと、マリアは理解した。
野外灯の白色光に照らされた兵士は全員、マリアたち騎士団の先遣隊を襲撃したときと同じ揃いの格好だった。王国騎士とは異なり、飾り気のない闇色の防具と軍服で完全武装している。
敵国の王族であるマリアが姿を見せても、誰一人として視線を向ける者はいなかった。微動だにせず、真っ直ぐ前を凝視している。
剣や短剣を身に付けている兵がいれば、襲撃のときに目にした黒色の奇妙な鉄の杖を背負った兵もいる。兵士によって武器の種類が様々だった。特に目を引いたのが、肩から提げた風変わりな形状の鉄の塊のようなものだった。人が手で握る部分らしい突起が二つあり、その先に丸い筒のような短い出っ張りがある。どうやって使うのか見当もつかない。傍らのミーナに尋ねようと目を向けたが、緊張した面持ちで前を向いており、声を掛けられなかった。
ピンと張り詰めた緊張感が漂う中、すぐ近くのテントの幕が開き、明かりが漏れる。
巨体に立派な顎ひげをたくわえたクマ族の男が姿を現した。特徴的な耳の形から暗闇でも一目で分かるエルフの女ら、帝国精鋭の特務部隊、黒鷲隊の幹部たちがあとに続く。全員、揃いの軍服姿。最後に、一人だけ漆黒の外套を羽織った黒鷲隊総隊長、タケルがゆっくりと歩いてくる。小柄で華奢な体格ながら、誰よりも威風堂々、存在感を醸し出していた。
幹部たちが兵と向かい合うように並ぶと、「敬礼!」。スズネの命令で一斉に、タケル以外が右拳を胸に当てた。
「休め!」
整列した兵士たちは肩幅に足を開き、両手を腰の後ろに回す。
クマ族の男が一歩、進み出た。
「時刻を合わせ、用意」
男の重々しく響く声に、マリアとミーナを除く全員が左手首を見やり、右手を添えた。
「…5、4、3、2、1、0」
合図が終わると、再び休めの姿勢に戻る。
「これより作戦を開始する。本日夕刻、情報通り連中の拠点に拉致被害者が連れ込まれるのを監視班が確認した。すでに皇子殿下より、司法院の諸手続きを省略する許可状を頂いている。諸君らは現場に突入後、犯罪行為を現認次第、帝国法に基づく処罰を即時断行、すみやかに拉致被害者を救出せよ」
兵士たちを一瞥すると、男は半歩下がり、「それでは皇子殿下、お言葉を」。そう言って、恭しく頭を下げた。
タケルが兵士たちの前に立つ。
「皇子殿下に、敬礼!」
漆黒の外套がふわりと、冷たい風で舞い上がる。
兵士一人一人の顔を確かめるように見回していく。
「皇帝陛下の、神の教えに背く逆賊たちへ、裁きを下す時がきた」
静かに、厳かに口を開く。
マリアの方へチラリと視線を向け、「この世界においては、何人たりとも等しく、尊い存在である」と続けた。
「故に、人身売買、人が人を奴隷として扱うことは、決して許されない。断じて許してはならない。何の罪もない者を己の欲望のために蔑み、見下し、玩具とする者は人間にあらず。悪魔の所業である。今この瞬間にも苦しみの渦中にある女子供に思いを馳せよ」
次第にタケルの演説に熱が込められていく。強い怒りを込めた言葉に誰もがじっと聞き入っていた。
今朝、マリアと会談したときの軽薄でふざけた態度とはかけ離れた、タケルの威厳に満ちた演説を、マリアは内心の驚きとともに見ていた。いったい、どちらが皇子の本当の姿なのか、迷い、戸惑っていた。
「奴隷売買は帝国法において最も重い罪である。極悪人どもに犯した罪を償わせるのだ!」
この場にいる誰よりも小柄で、誰よりも歳若いタケルの、語りかける言葉に、強い口調に、堂々とした仕草に、射るような眼差しに、誰もが圧倒されていた。誰もが魅入られていた。
タケルの存在が、完全にこの場を支配していた。
これが、帝国の皇子…。
「今夜のために我々は総力を挙げて準備をしてきた。もはや勝敗は決したも同然。第二中隊の諸君は、訓練通り作戦を実行すればいい」
そこまで語ると、タケルの肩からすっと力が抜けた。
間を開けて一転、「そして、」と穏やかな口ぶりで続け、今度ははっきりマリアの方へ顔を向けた。左腕を差し伸ばすと、その先に立っていたマリアへ、兵士たちの視線が一斉に注がれる。
「今夜は客人を招いている。王国の姫殿下に、諸君らの実力とくと見せて差し上げろ。よいな」
「はい!」
スズネ以下、整列した兵士たちの声を揃えた返答に、タケルは満足そうに頷く。そして、命令を下す。
「ガレリア真帝国皇子、我が名において命ずる。罪なき者を助け出し、一人も欠くことなく帰還しろ。総員出撃」
「我らは帝国の剣」
スズネが声を張り上げ、居並ぶ兵士が「民とともにあり!」。雄叫びを上げた。
幹部のエルフが長杖を振り上げ、地面をコツンと着いた。巨大な魔方陣が地を駆けて広がり、スズネ率いる部隊が忽然と姿を消した。
転移魔法だと? あれだけの大人数を一度に?
タケルの演説に加え、大規模転移魔法の発動を目の当たりにして、マリアは言葉を失った。
「姫殿下」
数十人規模の転移魔法ともなれば、複数の術者による同時詠唱が必須のはず。それを杖を振るっただけで詠唱もなく発動させるとは、常識外れも甚だしい。呆気に取られていたマリアに、すっかり側付き役が板についてきたミーナが声を掛けた。
「ご覧になられてお分かりだと思いますが、今回の作戦における私たちの敵は、帝国内で秘密裏に活動している奴隷商人の組織です。その拠点を急襲して殲滅し、連れ去られた女性たちを救出します」
「…あぁ、そのようだな」
王国では、ごく普通に商売を営んでいる奴隷商が、帝国では犯罪者。マリアの帝国に関する知識が、今日一日で次から次へとひっくり返されていく。
「これから隊の幹部を紹介いたします。作戦指揮所のテントまでご案内しますので、私についてきてください」
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