第33話 エピローグ(1)

マリアは自動車専用道路を滑るように走る高機動装輪車の後部座席に座り、流れ去る緑豊かな田園風景を眺めていた。

まだ陽は高い。雲はほとんどなく澄んだ青空が広がっている。

対照的に、黒鷲隊の本拠地へ戻る車中はどんより。重苦しい雰囲気に包まれていた。


重傷を負ったタケルは一足早く、スズネやリリカ、少数の救護兵とともに転移魔法の連続行使で帝都へ戻ったという。とはいえ、帝都までは一回で転移できるような距離ではない。中継地点となる町で態勢を整えるのに時間が掛かったせいで結局、作戦終了から丸二日、山奥の野営地にとどまっていた。


往路では元気いっぱい、帝国についてあれこれ話していたミーナは、ずっと押し黙ったまま。薄く開けていた窓を閉めて吹き込む風を遮り、左隣を見やると憔悴しきった横顔でずっと唇を噛み締めている。

昼食のため立ち寄った街でも、ほとんど口をつけなかった。

マリアの警護を任されているので片時も離れず側にいるのだが、心ここにあらずといった様子で肩を落としネコ耳をしょんぼりすぼませ、ため息をついてばかり。マリアにしてみれば慰めるいわれもないが、さすがにこれほどまで落ち込んでいる姿を目にし続けていると、気の毒に思えてくる。


帝国の次期皇帝であるタケルが大ケガをしたのは、決してミーナのせいではない。むしろ王族としての分をわきまえていない殿下の方が、よっぽど悪い。自業自得だと、マリアは感じていた。


「今朝、殿下を見舞ったが、だいぶ回復したようだったな」

本当に聞こえたのか聞こえなかったのか分からない、消え入るような声で「はい…」と、ミーナが応えた気がした。

「そなたのせいではない。そんなに気に病む必要などない」

「姫殿下は…」

今度は、はっきりと聞こえた。

「なんだ?」

「奴隷制を正しいとお考えですが」

ふいに、ミーナが尋ねた。

ほんの少し前、王国にいた頃なら間違いなく即答していただろう。

マリアは一瞬、口ごもっていた。小さく息を吸い込み、「…当然だ」。当たり前のことを言葉にするだけなのに、なぜ心が揺れたのか、自分でもよく分からない。

「下等で下劣な男が、我ら崇高な女と同等な存在であるはずがない」

誰に向けてか、言い聞かせるような口ぶりだった。

「そう、ですか」

ミーナは、車窓の方へ顔を向けた。

顔を背けたのは、憤りに溢れた表情をせめて見せないようにするためだった。ぎゅっと拳を握り締める。激しい怒りの感情を抑えられなかった。

「…私の父親は、奴隷商人でした」

「えっ!? 隊長、本当ですか」

唐突な告白に、同乗していたミーナの部下たちも驚きを隠せなかった。助手席のヒト族の警護隊員が思わず振り返っていた。

「母親は、奴隷商人の館の地下牢に監禁されていました。商品を産み、出荷できる歳になるまで育てるためです。奴隷商人に拉致され、連れてこられた女性は他に何人もいました。私は、そこで生まれました。商品として…、そして…」

マリアに背を向けて語る、小柄なネコ族の少女の肩は震えていた。

「私が出荷される前の日の夜、母親はすきを見て、私を連れて館から逃げ出しました。深い山の中の獣道を、母に手を引かれ懸命に走って逃げたのを、今でも鮮明に覚えています…。でも、追ってきた奴隷商人に捕まって、館に連れ戻されました…」

ミーナが言葉に詰まっても、誰も続きを促すことができなかった。

沈黙が支配する車内に、エンジンの唸る低い音だけが響いている。

マリアもまた、過酷な出自を打ち明ける背中を見詰めていた。

「そこに踏み込んで私を助け出してくれたのが、当時、タケル殿下が率いていた憲兵大隊、いまの黒鷲隊の前身だったんです」

「…隊長のお母様は」

「憲兵大隊が館を急襲する直前に、殺されました…。他の女性たちが逃げ出さないよう見せしめとして、惨い方法で…。父親の手で…、私の…、目の前で…」

誰もが絶句し、二の句を告げなかった。

ミーナは軍服の袖で目元を拭うと、言葉を続けた。

「殿下に助けられた私は、教会の孤児院に預けられました。私はようやく、陽の光が当たる場所で生きられるようになりました」


真正教会が帝国各地で運営している孤児院には、疫病や災害などで身寄りをなくした子供たちが保護されている。

ミーナはそこで様々な〝初めて〟を得た。温かい食事やぐっすり眠れる柔らかな寝床だけではない。修道女ら親代わりの大人たちはみな優しかった。同年代の子供たちと一緒に暮らし、遊び、友人と呼べる存在もできた。学校に通い、読み書きも覚えた。

少しずつ、健康と笑顔を取り戻していった。


「ある日、私はシスターに聞いたんです。私を助けてくれた皇子様にお礼が言いたい、助けてくれたときお礼が言えなかったから、皇子様に助けてくれてありがとうって、伝えるにはどうすればいいですかって。奴隷商人の子で孤児院育ちの私が、そう簡単に皇子様に会えるはずはありません。シスターはちょっと困った顔をしたけれど、一生懸命考えてくれました。そして、私にこう言いました」


『帝国選抜競技大会を目指してみてはどうでしょう。優勝すると、表彰式で皇子殿下から直接、優勝メダルをいただけるそうです。あなたはとても運動が得意ですし、走るのが速いですから、そうですね、短距離走がいいでしょう。頑張れば決して不可能ではないと思いますよ』


「今思えば、シスターも本当に私が優勝できるとは考えていなかったでしょう。私に、可能性という道を示してくれたんだと思います。でも私はその言葉を本気で受け止めました。それから、殿下に会いたい一心で必死に練習しました」


「まさか!? それじゃ隊長は、本当に選抜大会で優勝したんですか!」

部下たちのあまりの驚きように、マリアは「そんなにすごいことなのか」。首を傾げて問い質す。

「すごいもなにも」と、助手席の警護隊員。

帝国選抜競技大会は毎年秋、帝都にある国立競技場で10日間にわたって開かれる。大勢の観衆が集まって盛り上がる国内有数の『すぽーつ』行事の一つだった。陸上以外にも、水泳、格闘技、剣術、球技など多種多様な種目があり、各地区の予選、州大会を勝ち上がってきた一握りの選手だけが出場できる。皇帝陛下ら皇族の前で国内トップ級の選手が競い合う栄誉ある大会。いわば帝国一を決める大会だ。

「つまりミーナ隊長は、帝国の女性の中で一番足が速いってことなんです」。そう興奮気味に説明した。

「あの日のことは、一生忘れません」


ミーナは窓の外を見詰めたまま、数年前の帝国選抜競技大会、表彰式での出来事を回想していた。

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