第26話 「王女来訪」編(24)

「風速、風向に変化なし。照準補正の必要なし」

敏感なウサギ耳で観測した結果を、すぐ傍らで腹ばいになり、帝国軍最新式の、まだ黒鷲隊にしか配備されていない魔導式狙撃銃を構えているエルフの兵士に伝えた。

エルフは無言で観測班の同僚に頷き返すと、暗視機能付きのスコープを覗き込む。退屈そうに欠伸を噛み殺す見張りの男の姿がくっきりと見えた。

耳元の通信機越しに作戦指揮所から伝達された総隊長の最終作戦開始命令を受け、すでに安全装置は外してある。カウントダウンの数字が30を切ったところで握ったグリップから魔力を狙撃銃に流し込んだ。

慎重に照準を合わせ、「…5、4、3、2、1、0」。引き金を引いた。

空気を裂く微かな音とともに銃口から白い光が放たれ、スコープの中で門番の男が膝から崩れるように倒れるのを確認した。

火薬を使わず、魔力によって銃弾を発射する魔導式狙撃銃は消音器を必要としない。崖の上に潜んでいた狙撃手に眉間を撃ち抜かれた男は自分が死んだことすら気付かぬうちに絶命したはずだ。もう1人の見張りも同様、別の狙撃手によって倒されていた。

『見張り2人の排除を確認。突入開始』

使い魔を通じて状況を確認した作戦支援隊長リリカの指示が通信機から流れてきた。自らの役割を終えたエルフは小さく安堵の息を吐き、引き金から指を外した。

スコープの中では、建物の周囲の木立の影や茂みから突入部隊が一斉に飛び出してくるのがはっきりと見えた。


夜目の利く俊敏なネコ族や狼族の兵士を先頭に、数十人の兵士が音もなく暗闇の中を駆け抜けていく。建物の左右に取り付いた兵士たちはロープを投げると、上階から突入すべく石壁を駆け上っていく。

1階正面の扉では、転がった死体に目もくれず、エルフが魔法で鍵を解除し、ドアを開くなり使い魔のネズミを放り込んだ。間髪入れずにナイフや短刀を手にした兵士が建物内に飛び込んでく。

『1階、使い魔を投入』

『2階も内部映像来ました。遠視魔法に問題なし』

『指揮所各員、敵影見逃すなよ』

慌ただしいやり取りが通信機を飛び交っている。

前衛2、後衛1の3人一組が黒鷲隊の最小行動単位にして突入作戦時の基本編成。後衛のエルフが(マリアには何に使うのか分からない鉄の塊に見えた)魔導式短機関銃で部屋の扉を撃ち抜き、前衛が扉を蹴破る。閃光弾を投げ込むと同時に、もう一人の前衛とともに部屋の中へと突入。ゴーグルで視界を保護した兵士たちは、強烈な閃光で目を眩ませ無抵抗状態の敵の急所をナイフや短刀で貫き、一撃で致命傷を与えては次々と倒していく。

ボンッ、ボンッと1階や上階の各部屋で閃光弾が炸裂する音が絶え間なく響いている。

『敵2人、1階廊下突き当たり右から接近』

使い魔によって敵の動きを察知した指揮所から通信が入ると、後衛のエルフが魔導式短機関銃の銃口を廊下の奥へ向けた。

突然の襲撃に慌てふためき、階段を転がり落ちるように逃げてきた奴隷商人と護衛の傭兵へ、銃弾の雨を浴びせる。


『1階全部屋、制圧完了』

『拉致被害者を複数発見、保護します』

突入現場から次々と報告が入ってくる。

作戦参謀のウーリが「奴隷売買の現行犯と認定。法に基づき適切に処置せよ」。突入部隊を後方から支援するオペレーターを指揮するリリカは「救護兵、1階に負傷者がいる。すぐに向かって」とテキパキ指示を飛ばす。

もはや戦とは呼べない、あまりに一方的な制圧戦だった。極めて練度の高い統率のとれた兵士たちが、宿屋の各部屋を掃除でもするかのように、淡々と流れ作業をこなすかのように、奴隷商人や傭兵を片っ端から排除していく。


峠一つ向こうで繰り広げられている、王国軍とはまったく異質な戦術を駆使する黒鷲隊の作戦行動を、映像を通じて初めて目の当たりにしたマリアは言葉を失っていた。


これが、帝国の戦い方なのか…。


王国軍だったら、自分が指揮官だったら、どう戦った?

館を攻め落とすなら破城杭で石壁を崩し、奴隷兵士を突入させるのが常道だろう。もしくは火攻めか。だがそれでは、囚われた民も巻き添えになる。いや、王国の貴族であればそもそも市井の民の命など一顧だにしないはず。

一方、テント内では救出された女性たちが次々と館の外へ連れ出され、保護される様子が映し出されている。

魔法技術を活用した先進的な武器や装備だけではない。そもそも帝国軍は戦に対する考え方、戦い方がまるで違う。それ以前に、軍としてのあり方自体が、王国と根本的に違うのだとマリアは理解した。

同時に、一つの疑問が湧き起こってくる。

眉間に皺を寄せたマリアが、隣に座っているタケルへ視線を向けた。長い睫毛に白い肌、中性的な整った顔立ち。黒髪を伸ばせば美少女にも見えそうな帝国皇子の横顔は、無表情でじっと戦況を見詰めていた。


『残る敵は3階一番奥の部屋だけですが、残党の中にエルフがいるらしく、魔法で扉を強化して立て籠もっています。強行突破して構いませんか』

「エルフも籠城しているのか、さてどうするか」

リリカは思案顔で作戦参謀のウーリに顔を向けたが、「スズ姉」。声を上げ、突入部隊の指揮官を呼んだのはタケルだった。

『はい、殿下。なんでしょうか』

どういう仕組みなのか、山向こうにいるスズネの即答した声がテント内で普通に聞こえた。

「いまの通信聞いていたと思うけど、そういうことだからさ、もう面倒だからスズ姉、ちょっと行ってパパッと片付けちゃってよ」

「恐れながら、殿下」

「そうだ、アマゾネスにエルフの相手をさせるなど無謀だぞ」

慌てて振り向いたリリカの言葉に続けて、マリアが異論を挟む。だが、「いえ、姫殿下、そういうことではなく、ですね…」。リリカの懸念は別のところにあった。口ごもり、ちらりとマリアへ視線を投げながら、「あの…、よろしいのですか」とタケルに再確認する。

「構わないよ。僕らと一緒にいる以上、遅かれ早かれ姫殿下の目には入ることになるだろうし」

「殿下は本当に、本気なんですね…。分かりました」

リリカは、やれやれとばかりに苦笑交じりの柔らかな笑みを浮かべた。一礼し、部下の方へ向き直る。

水晶を覗き込み、使い魔を操っている部下の肩に手を置いた。

「立て籠もった部屋の中の様子は分かるか」

「はい。使い魔がやられる直前の映像では部屋の左隅に3人、拉致された被害者の姿が見えました」

「そうか」

部下の返答に頷き、すぐさま、「負傷者の治療にあたっている者以外のエルフは全員、建物が崩壊しないように防御結界を即時展開。第1小隊、第2小隊はスズネが扉を破ったらすぐに突入し、拉致被害者を保護しなさい」と指示を出す。

そして、フッと小さく息を吐いた。

「スズネ、遠慮はいらないわよ。あなたの剣、あなたの全力、姫殿下に披露してあげて」

タケルに代わって命令を、タケルの固い意志を伝えた。

『了解した』。スズネの答えは一言だけだった。


魔法で強化された扉の前に立ち、スズネが背中からゆっくりと漆黒の大剣を引き抜いた。

両手でしっかりと柄を握り、真っ直ぐ正対に構えた刀身が淡い紫色を帯び始める。


魔剣―。

完成した剣に後から魔法を掛けるのではなく、剣そのものに膨大な量の魔力が込められていて、身体に魔力を有しないエルフ以外の種族でも剣を振るうだけで強力な魔法を放つことができる特別な剣をそう呼ぶ。雷撃、炎撃、氷撃、風刃など、込められた魔力の種類によって多様な攻撃が可能になる。

剣に魔法を掛けた場合、使えるのは1回きり。しかも発動には術者の詠唱が必要なので結局、エルフ以外には武器としての実用性はほとんどない。

王国正統継承者の証としてマリアが持つ聖剣も、その一種だった。王家付きの魔法士長が刀身を強化する魔法を掛け、詠唱して常に発動状態にしている。故にヒトであるマリアが手にしても魔剣同様の効果を発揮する仕組みだが、魔力切れになる前に定期的に魔法を掛け直す必要がある。

一方、詠唱を必要としない魔剣は、誰にでも使える強力な武器になる。しかし、膨大な魔力を有し、かつ刀鍛冶としても非常に高度な技術を持つエルフでなければ作ることができないのが、最大の欠点だった。

大量生産ができず、現存する魔剣は世界で10本に満たないと言われている。極めて希少にして値がつかないほど高価。このため、王国にある魔剣は武器ではなく、宝石と同様に扱われており、王宮の宝物庫に保管されていた。


スズネの持つ剣の光が次第に赤紫から青色へと変わり、ただ輝くだけでなく青い炎のように刀身にまとわりつき始めた。放出される魔力によって、刀身がゆらいで見える。


帝国が所有する魔剣にどれほどの威力があり、どんな効果を発揮するのか、敵国の王女であるマリアに見せて良いのか、それをリリカが懸念したのだとマリアは受け止めていた。


スズネは大きく振りかぶることもなく、軽く剣を前に突き出した。それだけでパリンと薄氷が砕けるような音とともに防御魔法があっけなく霧散し、部屋の扉が粉々になって吹き飛んだ。

黒服の兵士たちが次々と室内へ突入していく。

部屋の中には、エルフのほか数人の男たちが籠城していた。

『偽皇族の手下め! 下等な女ども、我が魔法をくらえ!』

怯え顔で杖をふり、エルフがはなった雷撃魔法の軌道がねじ曲げられスズネの持つ剣に吸い込まれていく。

『くそっ、くそっ。男が支配し、女は奴隷の世界を取り戻す! 我らこそが真に帝国を継ぐべきなのだ!』

でっぷり太ったヒトの男が放った短剣も、魔剣の間合いに入った途端、見えない壁に弾かれて床に落ちた。

スズネは視界の端で、部下たちが奴隷商人に拉致された女性の盾となり、結界を張ったのを確認した。

「法に基づき、貴様らを処罰する」

「女風情がっ、舐めた口を!」

奴隷商人の言葉など相手にせず、スズネが横薙ぎに剣を一閃した。青炎が迸り爆音が響き、建物の石壁ごと男たちの姿が消え失せた。


こうして、3カ月かけて準備した黒鷲隊の突入作戦は、わずか30分足らずで終了した。

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