第25話 「王女来訪」編(23)
自身の騎士団が演習で野営したときの本陣では、王族であるマリア専用の豪華なイスが一段高い台の上に用意され、目の前に広げた大きな地図を取り囲んで騎士団の幹部たちが座る。駆け込んできた伝令の情報をもとに地図上で駒を動かしながら作戦を進めていく。
しかし、帝国軍のテント内は、街の学校で見た教室と同じように机が並び、他の隊員と全く同じ質素な作りのイスに座ったタケルに背を向ける形でエルフたちが座っている。地図はどこにも広げられておらず、いったい何に使うのか正面のテントの横幕に真っ白な布が張られていた。
ミーナが入れたお茶を一口飲み、タケルがようやく傍らから一枚の地図を取り出した。
「ここが、いま僕たちがいる場所で、作戦目標はここ。直線距離だとすごく近いでしょ。さすがにあれだけの大規模転移だと飛ばせる範囲が限られるからね。でも間に急峻な山があるから敵に気付かれる心配はないって訳」
精密に描かれた地図を見て、なるほどこの線で高さを表しているのか、と思いはしたが、もはや驚くことはなかった。
「ずいぶんとおあつらえ向きの場所があったものだ」
マリアの何気ない相づちに、「そんな都合のいい場所なんてあるはずないでしょ。作ったんだよ、森を切り開き、道を通してね」。タケルがあっけらかんと言い放った。
「そういうのも整備補給隊の仕事なんだ。ねぇ、サリナ」
「はひっ、突貫工事だったんで、本当に大変でしたっ」
急に話を振られて慌てたのか、ウサギ耳をぴんと伸ばしてサリナが答えた。
まだ陽が高いうちに麓の街を出てから、車はずっと山道を登ってきた。野営地に到着したときには、すっかり夜になっていた。かなり距離があったはずだ。準備にどれだけの労力、時間、そして金を掛けたのか。帝国軍は作戦を実行するためなら、そこまでするのかと、マリアは驚くよりも感心するしかなかった。
「殿下、目標の映像が届きました」
「じゃ、映して」
「はい」
リリカが天井から吊した水晶玉を両手で包み、短く詠唱した。水晶は淡い光を放ち、真っ白な布に石造りの建物を映し出す。
「あれが奴隷商人どもの隠れ家だよ。もうすぐスズ姉たちが突入することになっている。って、驚かないんだね」
マリアは座ったまま背筋を伸ばし、大きく嘆息した。
「こうも立て続けにいろいろ見せつけられるとな、さすがに驚く気力もなくなる。これはあれか、使い魔を使っているのか」
「さすがは姫殿下。使い魔を通して遠くを見る精霊種エルフの固有魔法があるでしょ。あれの応用。夜目の利くフクロウを使い魔に、いくつかの魔法を組み合わせて、術者ではなく、水晶から映し出すようにしたんだ。僕のお嫁さんになったら、やり方を教えてあげるよ」
マリアは最後の戯れ言を聞き流し、投影された建物に見入った。
石造りで、三階建て。どこかで見たことがあるような…。
思い出すまでに時間は掛からなかった。石造りと木造の違いはあれど、窓の配置なども全く同じ。なにしろ今朝、目にしたばかりだったからだ。
「もしや…。今朝、私のいた部屋から見えた建物とよく似ているようだが…」
「よく気が付いたね。その通りだよ、あれは突入訓練用に建てたんだ。部屋の位置もまったく同じになっている。訓練を重ねたスズ姉たちなら、目をつぶっていても問題ないぐらい、建物の構造を身体で覚えているはずさ」
「…あの程度の館一つ攻めるのに、そなたたちはそこまでするのか。今日のために、どのくらい前から準備していたのだ」
「う~ん、3カ月ぐらい前からかな。今回はちょっと短め」
「3カ月だと!?」
「ねぇ姫殿下、戦で勝つために必要なのは何だと思う?」
「兵の数に決まっておろう。圧倒的な兵力差があれば多少の魔法力の差など簡単に覆すことができるからな」
マリアの返答には、いくら帝国が進んだ魔法技術を有していようが、王国は負けないという自負が言外に込められていた。
戦争の主力はあくまで、死をも恐れず突撃する洗脳された奴隷兵士たち。魔法により個々の戦闘力が高いエルフといえど数の力にはかなわない。圧倒的な数の奴隷兵士で敵を押し潰し、貴重な魔法戦力であるエルフを擁する騎士団は戦の趨勢が決まった後、とどめを刺す。
長きに渡って本格的な戦争から遠ざかっていた王国では、戦い方が50年前と変わっていない。故に兵力差こそが雌雄を決するというのが常識だった。
「ふ~ん、そっか」
ニコニコと愛想良く笑ってはいるものの、マリアの答えに同意しているようには見えなかった。
「そなたは、どう考えているのだ」
「お話の途中、失礼いたします」
作戦支援隊長のリリカが、タケルの前に立っていた。
「部隊の配置、目標の最終確認が終了しました。すべて予定通りです。変更はありません。殿下、ご下命を」
おそらく、こっちが本来のしゃべり方なのだろう、リリカは丁寧な口調で伝えると頭を垂れた。
「僕たちは、情報が一番大切だと思ってる」
リリカではなくマリアの方を向いて、タケルは言った。
「敵の配置や兵力を知り、弱点を割り出す。必要な装備を調え、実戦を想定した訓練を繰り返す。あらゆる状況に対応できるよう情報を集めて作戦を立案し、最大限の準備をする。それが黒鷲隊の戦い方。よく見ててね、姫殿下」
ゆっくりと立ち上がり、「さぁ狩りの時間を始めよう。作戦、開始!」。テント内に響く大声で命令したタケルの横顔を、マリアが見詰めている。
「勝敗なんて、戦端が開かれたときにはもう決まっているんだよ」
顔では笑っているけれど心は笑っていない。マリアを見ているようで、どこか遠くを見ている。つかみどころのない笑顔で、タケルが言った。
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