第28話 「王女来訪」編(26)

転移魔法によって、奴隷商人の拠点まで山越えの移動は一瞬。見上げると、建物の3階部分の一部が吹き飛び、分厚く大きな石壁の破片が足元に転がっている。魔剣の威力をまざまざと見せつけていた。

あちこちでかがり火が焚かれ、黒服の兵士が救出された女性たちに毛布を配って回っている。

女性を奴隷として扱う非道の国だと思っていた帝国で、まさか女性を下劣な男どもの魔の手から解放するため、皇子自ら軍を率いて出動するとは思ってもいなかった。


「スズ姉、お疲れ様」

「ありがとうございます」

突入部隊を指揮したスズネを労うタケルの傍らには、ユキナやリリカの姿もある。作戦が無事終了した安堵感からか、タケルと言葉を交わしているスズネの表情も出撃前よりだいぶ穏やかだった。

急峻な山岳から吹き下ろす風がマリアの金髪を揺らす。

「姫殿下、寒くはありませんか」

「大丈夫だ」

ミーナの気遣いに、マリアはそう答えた。晩秋の深夜、険しい山奥の気温は相当低い。冷え込みは厳しいが、うずくまり、肩を寄せ合っている女性たちを前に「寒い」などと言えるはずはなかった。

「ケガをしている被害者から先に野営地へ転送、よろしく」

「了解です」

転移魔法の杖を手にしたリリカが、被害者が集められた方へ部下を連れて歩いて行く。

「もう大丈夫だからね~。はい、並んで並んで~。安全な場所へ移動しますからね~」

数人ずつ転移魔法で移送を始めた。


「お母さん! しっかりして、お母さん!」

子供の泣き声にマリアが振り返ると、担架に横たわった女性にすがりつき、幼い女の子が泣きじゃくっていた。戦闘に巻き込まれたのだろう、母親とおぼしきネコ族の女性の頭には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。

「死んじゃいやっ、お母さん!」

いくら救護兵がなだめても女の子は泣きやまず、母親の手を懸命に握り締めていた。ボロ布のような薄い肌着だけを身につけ、やせ細った身体を震わせ、涙をこぼし続けている。

「安心して。君のお母さんを死なせたりしないから」

優しく声を掛け、着ていた漆黒の外套で女の子の身体を包み込んだのは、タケルだった。

「…ほんとに」

グズグズとしゃくり上げながら振り向いた女の子に、憐れみではなく、慈しむような眼差しを向け、「うん、約束する。お母さん、治療すればすぐに元気になるよ」。かがみ込んで女の子の顔を覗き込み、取り出したハンカチでそっと涙を拭った。

「そうそう。殿下は絶対、約束を守ってくれるからね」

ミーナの言葉に、女の子はきょとんとした顔で「殿下!?」。黒髪に気が付くと泣き顔がみるみるうちに驚きに変わった。

「えっ、と…。もしかして…、お、皇子様、ですか?」

タケルは頷くと、女の子の頭にポンと手を乗せた。

「泣きやんだ? お母さんが目を覚ましたとき、君がそんな顔をしていたらお母さん、心配しちゃうだろ。元気な姿を見せてあげなきゃ」

「はい!」

帝国において、神の御子であるタケルが奴隷制度をひどく嫌っていることは市民によく知られている。タケルの親衛隊(黒鷲隊)による奴隷商人の摘発も、これまでに何度か広報紙で報じられていた。

とはいえ、その現場にまさか、タケル本人がいるとは誰も思ってはいなかった。周囲にいた救出された女性たちも皆一様に驚き、そして、タケルに感謝と敬愛の眼差しを向けている。

ようやく落ち着きを取り戻した女の子と言葉を交わすタケルたちをじっと見ていたマリアに、「あれが私たちの総隊長。私たちが愛してやまない皇子殿下。超~優しいっしょ」。作戦中とは一変、もとの軽薄な口調に戻ったリリカが話し掛けた。


薄汚い格好をした二等市民のネコ族と会話するなど、厳格な身分制度に支配された王国では、まして王女であるマリアには、絶対にありえない。

皇子という高貴な立場にありながら、たかが民ごときと関わって、いったい何の益があるというのか。

タケルの行動は、マリアには理解しがたいものだった。


「…助け出された者たちは、これからどうなるのだ?」

リリカの言葉には応えず、答えられず、ただ思いついたことを尋ねた。

「しばらくは帝国の保護施設で暮らして~、心身のダメージを癒やすことになってるんですよ~」

リリカの方は特段気を悪くした様子もなく、「その後は~、本人の希望に応じて新天地に移り住むか、故郷に戻るか、だいたいそんな感じっぽい」と場違いなぐらい明るい声で説明した。

「帝国はなぜ、そこまでする…」

民は王国のためにあり、王国に尽くすことのみが、民の存在価値。民は王国のために生き、働く、王国の所有物。それ以上でも以下でもない。民がどうなろうが、王国が永続しさえすれば、関係ない。

だから、王国が民のためにすべきことなど、ない。

マリアは、女の子と話すタケルへ向き直った。


「お母さんが元気になるまで、ちゃんと側についていてあげるんだよ」

「分かりました!」

「うん、それでいい。リリカ」

「は~い」

呼ばれたリリカが杖を手に走って行く。入れ替わるようにミーナがマリアのもとへやってきた。

「この子と母親を野営地へ。転移魔法お願い」

見上げるタケルへ、リリカは「殿下、コートは?」と戸惑いながら尋ねた。

「向こうで服を着替えたら、預かっておいて」

リリカは一瞬、逡巡したが、「分かりました」。そう言って杖を振るった。

「さて、それじゃ行こうか」

タケルが制圧したばかりの建物へと歩いて行く。

「姫殿下も、離れずに着いてきてください」

ミーナに促され、マリアも後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る