第29話 「王女来訪」編(27)

建物の入り口近くに、奴隷商人や傭兵の死体が入った袋が積み上げられていた。

玄関のところでもう一体、死体袋を運びだそうとしていた2人組の兵士は、歩いてきたタケルに気付くと脇に寄って道を空けた。だが、手には死体袋を持ったまま。タケルの「お疲れ~」という労いの言葉に、「総隊長もお疲れ様です」と答えて軽く頭を下げた。それ以上、何事もなくすれ違い、死体を運び出す作業に戻っていった。


王国ではあり得ない光景だった。王女であるマリアを目の前に、一介の兵士が平伏せずに、まして手に何かを持ったままですれ違うなど、不敬を問われて投獄されてもおかしくない。

しかし、効率優先の帝国では、それこそありえない。


あちこちに鮮血の飛び散った、戦闘の痕跡が生々しく残る廊下を進むタケルの小柄な背中を見ながら後に続く。

左右を見れば開け放たれた扉の向こう、部屋の中には大きな寝台があり、そこで男たちが監禁した女性を弄んでいたのだろう、シーツは乱れ、床には鞭や首輪などの拘束具、得体の知れない形をした拷問道具が転がっている。窓は小さく、石造りの建物内部は陰惨な雰囲気が充満している。鉄格子の牢屋が並ぶ一角もあった。


こんな場所へ連れ込まれた女たちはさぞかし恐怖したに違いない。

マリアは建物の薄気味悪さと、下等で下劣な男という存在への嫌悪感に顔をしかめた。


3階に上がると、廊下にはまだ死体が残されていた。タケルは冷ややかな目で一瞥しただけで何事もなかったように奥へと進んでいく。魔剣に破壊され、満天の星空が見える部屋で、兵士たちが机や書棚を調べていた。

「なにか見つかった?」

「人身売買の取引帳簿のようですね」

羊皮紙の束をめくりながら狼族の兵士が答えた。

「売り手がいれば必ず買い手もいる。取引相手につながる証拠がないか、徹底的に捜索するように。書類はすべて押収して。分析に回すから」

「了解しました」


一通り建物の中を見て回ったタケルたちは、被害者の移送を終えて階段を上がってきたリリカと合流した。1階と2階の踊り場で立ち止まり、何事か話し込んでいる。


マリアは石壁にもたれかかって、その様子を遠目に見ていた。帝国に奴隷制がないということは、もう十分理解した。こんな場所まで連れてきて、いったい何を見せたかったのか。帝国軍の強さをわざわざ敵国の王女へ誇示することで、帝国に対抗しても無駄だと伝えたかったのか。

黒髪の少年、帝国皇子の意図が分からない。


「姫殿下、お水をどうぞ」

ミーナが差し出した水筒を当然のように受け取ると、冷たい水を流し込み、乾いていた唇と喉を潤した。

「お疲れではないですか」

「さっき回復したばかりだからな、疲れはない」

風でほつれたこめかみの金髪を撫で、タケルの横顔を見やった。

胸の奥がしきりに疼く。モヤモヤとして心が厚い雲に覆われているようだった。


マリアはふと、どこか遠くで、かすかに子どもの泣く声が聞こえたように感じた。

「ミーナ、何か聞こえなかったか」

「姫殿下、どうかしましたか」

「いま、子どもの泣き声が聞こえた気がしたのだが…」

戸惑い顔を浮かべたミーナが、尖らせたネコ耳を探るようにヒクヒクと蠢かせた。

さっきの幼い女の子の泣きじゃくる声が耳に残っていたのだろうと思い、「気にするな、聞き間違いだ」。マリアが呟いたときだった。ミーナの表情に緊張感が走り、マリアの背後、石壁の方を振り向いた。

「どうした? この壁に」

偶然、マリアの手が触れた壁の石の一つがゴトリと音を立てて沈み込んだ。石壁の一部が両開きの扉のように左右に開いていく。

「隠し部屋!? こんなところに?」。驚いたミーナは、しかし考えるよりも早く身体が反応していた。

「姫殿下、危ない!」

ミーナは暗闇の中でキラリと何かが光って見えた刹那、マリアを床に押し倒していた。それが何だったのか、すぐに分かった。

「助けて!」

隠し部屋からヒトの少女が飛び出してきた。後を追い掛けて目を血走らせた奴隷商人の男が現れ、刀身の反り返った剣を振りかぶる。

「逃げて!」

マリアを庇って体勢を崩したままのミーナが叫ぶ。

床に尻餅をついて見上げる格好になったマリアの目の前で、鎖で繋がれた首輪を嵌めた少女へ、剣が振り下ろされる。


少女が斬り殺されると、マリアがとっさに顔を背けた瞬間、視界の端を黒い影が駆け抜けた。

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