第49話 帰還


 単調で無機質な機械音。身体が揺さぶられる、激しい振動。

 不快な音と揺れに促されるように目を開けると、手を伸ばせば届きそうな、白い天井があった。狭い空間に仰向けに寝かされている。窓から見えるのは、分厚い雲に覆われた、灰色の空。

 そこが多目的ヘリコプターヘブンリーメイデンの機内であることはすぐにわかった。しかし、なぜそこに自分がいるのかわからなかった。


「……痛っ!」


 身体を起こそうとした瞬間、腰から両足にかけて激痛が走る。痛みで一気に目が醒めた。


「清志郎、じっとしてろよ。名誉の負傷と言えばカッコイイが、腰と両足の骨折は重傷だぜ」


「痛むか? 大丈夫。もうすぐ着陸だ」


 ヘルメットを被り防火服を身にまとった、二人の男がこちらに顔を向ける。


「タケ……? 松さん……? 無事……なのか?」


 二人の姿を目の当たりにした瞬間、清志郎は大きく目を見開いた。


「ああ、無事だぜ。あんな無茶やらかしたわりにな。着陸したらすぐに病院へ連れてってやるよ」


「記憶が混乱しているようだ。痛み止めの影響かもしれん」


 清志郎の様子を危惧するように竹下と松山が呟く。


「清さん! 僕もいますよ! だから安心して休んでください! 顔は見えないけど菊池です! あっ、ついでに梅宮もいます!」


「菊池さん、人をガムのおまけみたいに言わないで下さい!」


 機内に響く機械音を追いやるように、菊池と梅宮の大きな声が聞こえてきた。どうやら四人とも無事のようだ。


 普段なら耳触りに思える、エンジンとプロペラの音がとても心地良く感じられた。そして、それらに混じって聞こえる、懐かしい声は、まるで砂の上にかれた水のように、瞬時に清志郎の心の底に染み入った。


「良かった……みんな無事で……本当に良かった……」


 清志郎は、声を詰まらせながら右手で目頭を押さえる。

 想定外の出来事に、四人は驚きの表情を浮かべた。


「……俺、何もできなくて……みんなを見殺しにして……ずっと辛くて……でも、何とかしたくて……だからがんばって……」


 清志郎の口から嗚咽おえつまじりの途切れ途切れの言葉が漏れる。

 四人には、清志郎の言っていることが理解できなかった。ただ、清志郎が自分たちのことを大切に思っているのが痛いほど伝わってきた。

 四人は、顔を見合わせると満面の笑みを浮かべる。


「清志郎」


 松山がいつもの柔和な顔で声を掛ける。


「今日もみんな無事だった。カズワリーのモットーの通り、こうして全員で帰還することができた。隊長のおかげだ。ありがとう」


 松山の言葉に、清志郎は顔をくちゃくちゃにしてうんうんと何度も頷く。

 隊長として言葉を掛けたかったが、喉の奥のそれは声にはならなかった。


「お姉ちゃん、あのおじさん、泣いてるよ。ケガをしたところが痛いのかな? 可哀そう」


「春香、おじさんじゃなくてお兄さんだよ。私たちを助けてくれた、強くて、優しいお兄さん。よし、神様にお祈りしよう。お兄さんのケガが早く治りますようにって」


「うん。わかった」


 里奈と春香は、両手を合わせると、目を閉じて何かを呟き始める。

 二人は、高層マンションの火災で逃げ遅れた、小学生と幼稚園児の姉妹。身を呈して二人を救った清志郎は、腰と足を骨折する重傷を負った。しかし、仲間が清志郎をサポートし、七人は空中庭園ヘブンズガーデンから多目的ヘリコプターヘブンリーメイデンで無事脱出することができた。


『俺はみんなを救うことができた。ありがとう、シオン』


 灰色の空に目をやると、清志郎は、心の中で感謝の言葉を繰り返した。いくら感謝しても足りないと思いながら。


★★


「清ちゃん、こんにちは。調子はどう? 今日は、ちょっぴり早く来れたよ」


 病室のドアをノックする音に続いて、綾音の笑顔が覗く。


「アヤ、いつも悪いな」


 清志郎は、読んでいた雑誌をベッドの脇に置いて軽く会釈をする。


 東京メトロ西新宿駅から程近い「東都医科大学付属病院」。入院中の清志郎のもとに綾音が訪ねてきた。


「あれ? お母様は?」


「さっき帰った。三時から銀座で行われる、親父の講演会に出席するらしい。その後、いっしょに飯を食うとか言ってた」


「清ちゃんのお父様、現役を引退しても大忙しだね。有名人だから仕方ないか。それに、相変わらず仲がいいしね。絵に描いたような、理想の夫婦だよ。憧れちゃうなぁ」


 綾音は、ベッドの脇の丸イスに腰を下ろすと、トートバッグの中から白いビニール袋を取り出す。


「今日お仕事で銀座へ行ってきたついでに……じゃ~ん! 木村屋のあんパンを買ってきたの。懐かしくない?」


「懐かしい! 懐かし過ぎだ! 昔、隅田川の東屋のベンチに座ってよく食ったよな? 小さいけど上手いんだ、これが」


 ノスタルジーに駆られたように、清志郎は歓喜の声を上げる。


「紅茶を入れるから、いっしょに食べよう」


「おう。よろしく頼む」


 笑顔の清志郎に、綾音の顔も自然と綻ぶ。


「ところで、身体の調子はどう? 入院して十日になるけれど、少しは良くなった?」


「経過は良好だ。まだ下半身に負荷が掛けられねえから移動は車椅子だが、来週からはリハビリ歩行を始められる」


「そうなんだ。良かったね」


 綾音は、笑みを浮かべながら、水を入れた電気ポットのコードをコンセントに差し込む。


「アヤ、銀座には何しに行ったんだ? 社長秘書のお前が昼間に外出なんて珍しいじゃねえか。親父さん、今日は休みか?」


「知りたい?」


 清志郎の質問に、綾音はニヤリと含み笑いをする。

 間髪を容れず、トートバッグの中から四つに折りたたんだ紙を取り出した。


「私ね、四月までの三ヶ月、特命のお仕事をすることになったの」


「特命?」


「そう特命。普段はお父さん……じゃなくて、社長の秘書業務が中心だけれど、三ヶ月は秘書は片手間なの」


 綾音は、右手で何かをシッシッと払いのける仕草をしながら、うれしそうに続ける。


「そのお仕事って言うのは……これ!」


 綾音は、勿体付けたように手に持っていた紙を広げる。

 A3版のそれは、イベントのポスターの原案。「第五十回 TOKYOトウキョウ DIVAディーバ」という文字が書かれ、背景に、桜の花に彩られた隅田川がデザインされていた。



 つづく

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