第17話 葛藤


 その夜、清志郎は、ベッドに仰向けになって昼間あったことを思い出していた。


 隅田川の地縛霊シオンは、世界を救うために力を貸して欲しいと言った。しかし、清志郎は、彼女の言葉に耳を貸さなかった。

 ただ、自分が間違ったことをしたとは思わなかった。シオンのせいで清志郎の家族や仲間が酷い目に遭ったのだから。

 シオンに命を救われたことを差し引いても、そんな頼みをすること自体、厚顔無恥としか言いようがない。


 静寂を破るように、枕元の携帯電話の着信音が鳴る。

 掛けてきたのは、カズワリーのメンバーの一人「桜庭さくらば 俊二しゅんじ」。


「ちわっす! 清志郎さん、元気っすか?」


「お前は相変わらず元気そうだな。俺は暇過ぎて間がもたねえよ」


 威勢のいい桜庭の声に釣られたのか、清志郎の声もトーンが上がる。


贅沢せいたくな悩みっすね。清志郎さんがいない分、自分たちが忙しくなってるんすよ」


「そうだったな……。悪いな。シュン」


「冗談っすよ! 冗談! マジになられると困るっす。カズワリーは問題なく回っているので心配することないっす。清志郎さん、これまで休めなかった分ゆっくり休んでください」


 清志郎より四つ年下で普段から底抜けに明るい桜庭は、カズワリーのムードメーカー。宴会部長としての活躍も目覚ましい。いるだけで場の雰囲気がガラリと変わるだけに、ある意味、無くてはならない存在だ。


「そうそう、電話したのは、清志郎さんの送別会のことっす。清志郎さんは二月十二日の金曜日まで出勤停止で、十六日火曜日には消防庁に戻らなければいけないっす。やるとしたら十五日しかないっす。ということで、十五日は予定を空けておいて欲しいっす。翌日の仕事に支障が出ない範囲でやらせてもらうっす」


「みんな忙しいんだから無理することねえよ。それに、にも悪いし――」


「――湿っぽくなったらダメっす! そんなこと言ってたら、四人も浮かばれないっすよ!」


 清志郎の言葉を遮って、桜庭は声のトーンを上げる。


「それはそれ。これはこれっす。自分だけの意見じゃないっす。メンバー全員の総意っす。ここで交渉が決裂したら宴会部長としての沽券こけんに関わるっす。是が非でも出席してもらうっす。どうしてもダメなら、自分が差しで付き合うっす」


「お前と二人で飲むなら、みんなと飲むよ」


 清志郎の顔から笑みがこぼれる。さり気なく励まそうとする、桜庭の気持ちがとてもうれしかった。


「喜んで出席させてもらう。ありがとな」


「良かったっす。断られたらどうしようか冷や冷やしたっす。こう見えて、自分、小心者っすから……。実は、清志郎さんにぜひ聞いてもらいたい話があるっす」


「お前が小心者? そんなこと言ったら、小心者じゃねえヤツなんていねえよ」


「相変わらず口が悪いっすね。清志郎さんは」


 清志郎と桜庭は声をあげて笑う。


「話ってなんだ? どうせ大したことじゃねえんだろ? 聞いてやるから言ってみろよ」


「そうっすか? じゃあ、お言葉に甘えて」


 桜庭はコホンと咳払いをすると、おもむろに話し始めた。


★★


「清志郎さんが新宿の現場に出動したとき、自分は紅林副隊長の班の一員として、川崎でコンビナート火災の対応に当たってたっす。話したかったのは、そのときのことっす。副隊長に言ったら『夢でも見たんじゃないのか?』なんて相手にされなかったっす」


「何だかヤバそうな話じゃねえか。そんな話、消防庁へ復職する人間にしていいのか?」


「大丈夫っす。優しい清志郎さんのことは百二十パーセント信頼してるっすから」


 清志郎の冗談交じりの言葉に、桜庭は笑いながら続ける。


「現場は一面火の海だったっす。それを見た瞬間、妙な胸騒ぎがしたっす。いつもとは明らかに雰囲気が違ったっす。はっきり言って、自分、ビビってました」


「おいおい、お前がビビるなんてどんな化け物が現れたんだ? ゴジラでも出たのかよ?」


「人を何だと思ってるんすか? 冗談抜きで怖かったんすよ。炎がだったんすから」


 その瞬間、清志郎の顔から笑みが消えた。


「シュン、生きてるみたいって、どういうことだ? もう少し具体的に言ってくれ」


「はい。自分、サポート班だったんで現場全体が見えるところにいたんすけど、空から救助に向かった多目的ヘリコプターメイデンに大蛇みたいな火が襲いかかったり、海上から消火に当たった海上消防艇マーレの行く手を竜みたいな火がはばんだりしてるように見えたっす。SF映画の特撮かと思いました」


「それで? メイデンもマーレもその化け物みたいな火にアッサリやられちまったのか? メイデンは、その後新宿に来てくれたよな?」


 間髪を容れず、清志郎は聞き返す。口調こそおどけた感じだったが、その表情は真剣そのものだった。


「それが不思議なんすよ。あの日は雪が降っていて風も強かったんすけど、雪が大蛇を囲んで動きを止めたように見えたっす。その隙にメイデンが逃げ遅れた人を救出したっす。しばらくして火は消えた……と言うより『無くなった』といった感じがしたっす。それから、マーレの前に、海水が津波みたいに勢いよく舞い上がって水の壁ができてたっす。これが炎と激しくぶつかっていました。しばらくしたら、どちらも消えたっす。

 みんなにも聞いてみたんすけど、副隊長と同じことを言われました。確かにサポート班だから見えたのかもしれないっす。胸騒ぎがした割に終わってみれば一般人も消防士も死傷者はゼロ。自分の胸騒ぎも当てにならないっすね。どす黒く見えた炎も凄かったっすけど、透明感のある水がもっと凄かったっす」


 これまでの清志郎であれば、他のメンバー同様、桜庭の話を一笑したかもしれない。しかし、今はそんなことはしない。

 なぜなら、桜庭が見たは、あの日、清志郎が死の縁で垣間見たもの――シオンの水を操る能力に間違いなかったから。


★★★


 電話を切った後も、桜庭の話が頭から離れなかった。

 清志郎が新宿で憎悪の炎と対峙していたとき、シオンは川崎で同じ炎と戦っていた。窮地に陥ったカズワリーを後押しし、メンバーや逃げ遅れた人を守ってくれたのは、誰でもなくシオンだった。


『それで許されると思ってるのかよ。祖父ちゃんと親父が酷い目に遭ったことに変わりはねえんだ』


 清志郎は頭を左右に振って、懸命に何かを振り払おうとする。


『祖父ちゃんは泊まり客をかばって柱の下敷きになった。親父は逃げ遅れた人に自分のマスクを貸して一酸化炭素中毒になった。どちらもあいつのせいだ。他のメンバーが無事だったのは不幸中の幸いだったが、一つ間違えば、犠牲者が出たかも……』


 不意に清志郎の思考が途切れる。

 眉間に皺を寄せて何かを考える素振りを見せる。


『どちらも、二人以外は無傷。祖父ちゃんも親父も直接火に巻き込まれたわけじゃねえ。あの炎にられた人は……誰もいねえ』


 ドクンドクンという心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。自分が戸惑っているのがわかった。

 これまでシオンは、一般人だけでなく消防士の命も守ってくれた。今回犠牲者が出たのは、憎悪の炎が二箇所同時に出現したから。決して、シオンがカズワリーのメンバーを見捨てたわけではない。現に清志郎は、命を助けられた。


 再び携帯電話が鳴る。

 画面に表示されたのは「西園寺綾音」の名前。

 時刻は午後十一時を回っている。綾音がこんな時間に掛けてくるのは珍しい。


「アヤ、どうした? こんな時間に珍しいじゃねえか?」


「清ちゃん、わかったんだよ! シオンさんのこと! 当時何があったのか!」


 清志郎の話を無視するように、受話器の向こう側で綾音が興奮気味に叫ぶ。

 その様子は尋常ではなく、普段の綾音とは別人のようだった。



 つづく

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