第17話 葛藤
★
その夜、清志郎は、ベッドに仰向けになって昼間あったことを思い出していた。
隅田川の地縛霊シオンは、世界を救うために力を貸して欲しいと言った。しかし、清志郎は、彼女の言葉に耳を貸さなかった。
ただ、自分が間違ったことをしたとは思わなかった。シオンのせいで清志郎の家族や仲間が酷い目に遭ったのだから。
シオンに命を救われたことを差し引いても、そんな頼みをすること自体、厚顔無恥としか言いようがない。
静寂を破るように、枕元の携帯電話の着信音が鳴る。
掛けてきたのは、カズワリーのメンバーの一人「
「ちわっす! 清志郎さん、元気っすか?」
「お前は相変わらず元気そうだな。俺は暇過ぎて間がもたねえよ」
威勢のいい桜庭の声に釣られたのか、清志郎の声もトーンが上がる。
「
「そうだったな……。悪いな。シュン」
「冗談っすよ! 冗談! マジになられると困るっす。カズワリーは問題なく回っているので心配することないっす。清志郎さん、これまで休めなかった分ゆっくり休んでください」
清志郎より四つ年下で普段から底抜けに明るい桜庭は、カズワリーのムードメーカー。宴会部長としての活躍も目覚ましい。いるだけで場の雰囲気がガラリと変わるだけに、ある意味、無くてはならない存在だ。
「そうそう、電話したのは、清志郎さんの送別会のことっす。清志郎さんは二月十二日の金曜日まで出勤停止で、十六日火曜日には消防庁に戻らなければいけないっす。やるとしたら十五日しかないっす。ということで、十五日は予定を空けておいて欲しいっす。翌日の仕事に支障が出ない範囲でやらせてもらうっす」
「みんな忙しいんだから無理することねえよ。それに、亡くなった四人にも悪いし――」
「――湿っぽくなったらダメっす! そんなこと言ってたら、四人も浮かばれないっすよ!」
清志郎の言葉を遮って、桜庭は声のトーンを上げる。
「それはそれ。これはこれっす。自分だけの意見じゃないっす。メンバー全員の総意っす。ここで交渉が決裂したら宴会部長としての
「お前と二人で飲むなら、みんなと飲むよ」
清志郎の顔から笑みがこぼれる。さり気なく励まそうとする、桜庭の気持ちがとてもうれしかった。
「喜んで出席させてもらう。ありがとな」
「良かったっす。断られたらどうしようか冷や冷やしたっす。こう見えて、自分、小心者っすから……。実は、清志郎さんにぜひ聞いてもらいたい話があるっす」
「お前が小心者? そんなこと言ったら、小心者じゃねえヤツなんていねえよ」
「相変わらず口が悪いっすね。清志郎さんは」
清志郎と桜庭は声をあげて笑う。
「話ってなんだ? どうせ大したことじゃねえんだろ? 聞いてやるから言ってみろよ」
「そうっすか? じゃあ、お言葉に甘えて」
桜庭はコホンと咳払いをすると、
★★
「清志郎さんが新宿の現場に出動したとき、自分は紅林副隊長の班の一員として、川崎でコンビナート火災の対応に当たってたっす。話したかったのは、そのときのことっす。副隊長に言ったら『夢でも見たんじゃないのか?』なんて相手にされなかったっす」
「何だかヤバそうな話じゃねえか。そんな話、消防庁へ復職する人間にしていいのか?」
「大丈夫っす。優しい清志郎さんのことは百二十パーセント信頼してるっすから」
清志郎の冗談交じりの言葉に、桜庭は笑いながら続ける。
「現場は一面火の海だったっす。それを見た瞬間、妙な胸騒ぎがしたっす。いつもとは明らかに雰囲気が違ったっす。はっきり言って、自分、ビビってました」
「おいおい、お前がビビるなんてどんな化け物が現れたんだ? ゴジラでも出たのかよ?」
「人を何だと思ってるんすか? 冗談抜きで怖かったんすよ。炎が生きてるみたいだったんすから」
その瞬間、清志郎の顔から笑みが消えた。
「シュン、生きてるみたいって、どういうことだ? もう少し具体的に言ってくれ」
「はい。自分、サポート班だったんで現場全体が見えるところにいたんすけど、空から救助に向かった
「それで? メイデンもマーレもその化け物みたいな火にアッサリやられちまったのか? メイデンは、その後新宿に来てくれたよな?」
間髪を容れず、清志郎は聞き返す。口調こそおどけた感じだったが、その表情は真剣そのものだった。
「それが不思議なんすよ。あの日は雪が降っていて風も強かったんすけど、雪が大蛇を囲んで動きを止めたように見えたっす。その隙にメイデンが逃げ遅れた人を救出したっす。しばらくして火は消えた……と言うより『無くなった』といった感じがしたっす。それから、マーレの前に、海水が津波みたいに勢いよく舞い上がって水の壁ができてたっす。これが炎と激しくぶつかっていました。しばらくしたら、どちらも消えたっす。
みんなにも聞いてみたんすけど、副隊長と同じことを言われました。確かにサポート班だから見えたのかもしれないっす。胸騒ぎがした割に終わってみれば一般人も消防士も死傷者はゼロ。自分の胸騒ぎも当てにならないっすね。どす黒く見えた炎も凄かったっすけど、透明感のある水がもっと凄かったっす」
これまでの清志郎であれば、他のメンバー同様、桜庭の話を一笑したかもしれない。しかし、今はそんなことはしない。
なぜなら、桜庭が見たそれは、あの日、清志郎が死の縁で垣間見たもの――シオンの水を操る能力に間違いなかったから。
★★★
電話を切った後も、桜庭の話が頭から離れなかった。
清志郎が新宿で憎悪の炎と対峙していたとき、シオンは川崎で同じ炎と戦っていた。窮地に陥ったカズワリーを後押しし、メンバーや逃げ遅れた人を守ってくれたのは、誰でもなくシオンだった。
『それで許されると思ってるのかよ。祖父ちゃんと親父が酷い目に遭ったことに変わりはねえんだ』
清志郎は頭を左右に振って、懸命に何かを振り払おうとする。
『祖父ちゃんは泊まり客を
不意に清志郎の思考が途切れる。
眉間に皺を寄せて何かを考える素振りを見せる。
『どちらも、二人以外は無傷。祖父ちゃんも親父も直接火に巻き込まれたわけじゃねえ。あの炎に
ドクンドクンという心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。自分が戸惑っているのがわかった。
これまでシオンは、一般人だけでなく消防士の命も守ってくれた。今回犠牲者が出たのは、憎悪の炎が二箇所同時に出現したから。決して、シオンがカズワリーのメンバーを見捨てたわけではない。現に清志郎は、命を助けられた。
再び携帯電話が鳴る。
画面に表示されたのは「西園寺綾音」の名前。
時刻は午後十一時を回っている。綾音がこんな時間に掛けてくるのは珍しい。
「アヤ、どうした? こんな時間に珍しいじゃねえか?」
「清ちゃん、わかったんだよ! シオンさんのこと! 当時何があったのか!」
清志郎の話を無視するように、受話器の向こう側で綾音が興奮気味に叫ぶ。
その様子は尋常ではなく、普段の綾音とは別人のようだった。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます