第16話 やり場のない怒り


 「消防士の殉職は、絶対にあってはならない」


 現場へ赴くとき、清志郎はいつも自分に言い聞かせる。

 しかし、消防士を取り巻く環境は危険と隣り合わせであり、いつ何時、命を落とすかもしれない。他人を救うために自分が犠牲になることだってある。

 実際、清志郎の父と祖父、カズワリーの四人は、火災が原因で命を落とした。

 彼らが消防士だったことで、悲惨な出来事は起きるべくして起きたのかもしれない――が、清志郎は納得がいかなかった。

 なぜなら、彼らの死には、いずれもが関わっていたから。

 元をただせば、あの炎は、明暦の大火の際、シオンとその仲間のトラブルにより生み出されたもの。そして、清志郎の先祖・渡清吉が自らを犠牲にして命を救ったのは、シオンその人だった。


 事実が明らかになった瞬間、清志郎の中でくすぶっていた何かが激しい憤りへと姿を変えた。


「幽霊だかなんだか知らねえが、ふざけるんじゃねえ! お前が仲間に恨みを買ったのは自業自得だろうが! そんな痴話喧嘩ちわげんかにどうして俺の家族や仲間が巻き込まれなきゃいけねえんだ!? 

 とんでもねえことやらかしといて『力を貸せ』だと!? どのつら下げて言ってやがる! 誰が協力なんかするか! 一昨日おととい来やがれ!」


 わなわなと身体を震わせながら、清志郎は我を忘れたように大声でまくし立てる。


「アヤ、行くぞ!」


「えっ……? 待ってよ! 清ちゃん!」


 隅田川に背を向けると、清志郎は早足に歩き始めた。状況が理解できない綾音は、慌てて後を追う。


『待っとくれ! あたいの話を聞いとくれ!』


 清志郎の前にシオンが立ちはだかる。

 しかし、その存在などお構いなしに、清志郎はそのまま歩き続ける。

 清志郎の身体がシオンの身体をすり抜けていく。


『あんたが怒るのはもっともだ! 申し訳ないと思ってる! 謝るよ! このとおりだ!』


 間髪を容れず、シオンは、清志郎の前に回り込むと深々と頭を下げた。しかし、結果は同じだった。

 清志郎の身体が再びシオンの身体をすり抜けた。


『頼むよ! 頼むからあたいの話を聞いとくれよ! 渡の末裔まつえい!』


 浜町公園の入口で、シオンは三度みたび清志郎の前に立ちはだかる。両手を左右に広げて、祈るような眼差しで清志郎を見つめる。


『あたいは何もしちゃいない! められたんだ! あの娘たちにも何度も話をした。誠心誠意話をした。でも、聞いてくれなかった。ただ、あたいはあの娘たちを悪者にしたくなかった。この街を守りたかった。だから、三百年以上、あの炎と戦ってきたんだよ!』


 シオンは声を張り上げて必死に訴えた――が、その声が清志郎の耳に届くことはなかった。

 清志郎の身体が三度身体をすり抜けると、シオンは、黒目がちの目を見開いて、その場に呆然ぼうぜんと立ち尽くした。

 ゆっくりと後ろを振り向いたシオンの瞳に、地下鉄の階段を下りていく、清志郎と綾音の姿が映る。


『信じておくれ! あたいは何もやっちゃいない! お願いだ! 力を貸しておくれ! あんたの力が必要なんだ! 渡の末裔!』


 浜町公園から外へ出られないシオンは、公園の入口に立ってひたすら叫び続けた。

 声が聞こえなくなったのは、清志郎が地下鉄の改札を通った頃だった。


★★


「清ちゃん、シオンさんと何かあったの?」


 地下鉄のホームを黙々と歩く清志郎に、綾音が心配そうに声を掛ける。

 他人に対して、あれほど怒りをあらわにする清志郎を見たのは久しぶりだった。綾音の記憶では、小学四年生のとき以来だった。


「少し大人げなかったかもしれねえ。ただ、俺はあいつが許せねえ」


 ホームの端で足を止めると、清志郎はグッと唇を噛む。

 電車到着のアナウンスが流れ、暗闇から黄色の明かりが近づいてくるのが見えた。


「明暦の大火のとき、あいつは仲間とトラブルを起こした。そして、仲間もろとも命を落とした。仲間は、死んだ後もあいつのことが許せず、炎に姿を変えて罪もない人を襲ってる」


 地下鉄が減速しながら二人の横を通っていく。

 綾音は、風にあおられた髪を右手で押さえながら、いぶかしい顔をする。


「火が意思を持って人を襲うなんて、そんなことがあるの?」


「詳しいことはわからねえ。ただ、あの炎はカズワリーの四人を殺した。祖父ちゃんと親父の命も奪った。それだけじゃねぇ……。俺の先祖・渡清吉が命を落とした理由もわかった。明暦の大火のとき、清吉はシオンをかばって柱の下敷きになった。俺の大切なものは、すべてあいつに奪われたんだ」


 発車を知らせるベルが止んでドアが閉まる。風を切る音といっしょに地下鉄は闇の中へ消えて行った。

 地下鉄を降りた客は足早に出口へと向かい、閑散としたホームに清志郎と綾音が取り残された。


「よくわからないんだけど、シオンさんはどうして仲間に憎まれているの? 死んでからもずっと憎まれるような、酷いことをしたの?」


 綾音は、髪を両耳に掛けながら首を傾げる。


「あいつは、自分がめられたと言っていた。ただ、あいつの言うことは信じられねえ。苦し紛れの言い訳か何かだ」


「そうかなぁ? 何か引っかかるんだけど……」


 綾音は人差し指を口元に当てて、納得がいかないといった表情を見せる。


「考えることなんかねえよ。時間の無駄だ。あいつのことはもう忘れろ。俺は二度と浜町公園あそこには行かねえ」


 再び地下鉄がホームに入って来る。

 電車に乗り込んだ二人は、隣同士に腰掛ける。綾音はチラリと清志郎の方へ目をやる。怒りが収まっていない様子だった。


『今日は何を言っても無駄かな』


 綾音は、ヤレヤレといった顔で小さくため息をつく。


「あっ……」


 不意に、綾音の口から言葉が漏れる。何かを悟ったように二度三度首を縦に振る。


「清ちゃん、私、用事を思い出したの。このまま新宿へ行くね」


「そうか。じゃあ、俺は次の駅で降りるから」


 清志郎が電車を降りると、綾音はおもむろにメールを打ち始めた。


『この時間なら研究室にいるかな』


 地下鉄は、真っ暗な闇の中をゴーっという音を立てて疾走していく。綾音の母校・西北大学を目指して。



 つづく

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