第15話 大火の呪い


『あたいの名はシオン。あたいの頼みを聞いておくれ』


 女性は、自分のことをシオンと名乗った。

 その瞬間、清志郎は二年前から見ている夢のことを思い出した。

 暗闇で話をする、二人の女性。そのうちの一人の名前がシオン。彼女は、水の神と協力して火の神の暴走を止めようとしていた。

 現実離れした内容だけに、さほど気に留めていなかった。しかし、目の前にシオンと名乗る女性が現れ、その姿が自分にしか見えていないことで「ただの夢ではなかったのでは?」と思い始めていた。


「俺は、シオンという名の女性を知っている。彼女は、水の神といっしょに火の神と戦っている」


 清志郎の言葉に、シオンは目を丸くして驚きをあらわにする。


『あんた、なぜそのことを……? 水波能女神ミヅハノメ火之迦具土神ヒノカグツチのことまで……』


 清志郎の抱いていた疑念が確信に変わった。


「夢の中でお前たちが話をしているのを聞いた。ただ、聞き取れたのは一度だけだ。細かい内容も憶えちゃいねえ。顔も見えなかった」


『信じられないよ。あたいとミヅハノメの話が聞こえていたなんて……。でも、これではっきりした。あんたはミヅハノメが言ってた、最後の希望に間違いないよ』


 シオンの切れ長の目がうれしそうに清志郎を見つめる。


『じゃあ、話は早い。あんたに頼みっていうのは――』


「――ちょっと待ってくれ。いくつか訊きてえことがある」


 清志郎は、シオンの言葉をさえぎるように右手の手のひらをかざした。


『それが普通だね。得体のしれない女からいきなり頼みごとをされて、二つ返事で応じる奴はいないよ。わかった。何でも答えるから言っとくれ』


 シオンは、肌蹴はだけた着物の衿元えりもとを直しながら清志郎の顔をジッと見つめた。


「清ちゃん……? そこにいるのって、もしかしたら……シオンさんなの?」


 二人の会話に割って入るように、綾音が遠慮がちに尋ねる。

 話の腰を折られたのが不快だったのか、シオンは綾音をジロリと睨みつけた。


「ああ、そうだ。夢の中に出てきた彼女だ。俺に頼みがあるらしい」


 清志郎は、綾音に今の状況を丁寧に説明して聞かせる。

 清志郎の話を黙って聞いていた綾音だったが、その表情や口調から清志郎の精神状態が正常であることを確認する。同時に、目の前にシオンがいることを確信する。

 綾音には、シオンの姿は見えておらず声も聞こえていない。ただ、清志郎の言葉や表情から二人の会話を推測することができた。


「まず、さっき聞こえた歌声だ。どこかで聞いたことがあると思った。新宿の火災現場でどす黒い炎に襲われたときだ。あの声はお前だったのか?」


『ああ。あれはあたいの歌さ。あたいは水の神の加護を受けている。歌うことで水を自由に操ることができるのさ』


「炎から俺を守ってくれた、水のしずくがお前の力だってことか?」


『そうだね。水さえあれば、あたいは力を発揮することができる。あのときは雪を使った。力の及ぶ範囲が限られるのは玉に瑕だけどね』


 シオンは、やってやったと言わんばかりに口角をあげて笑う。


「あの炎には、特殊消火剤も効かなかった。正直もうダメかと思った。お前は俺の命の恩人だ。心から感謝している」


 清志郎は、深々と頭を下げてシオンに感謝の気持ちを伝えた。シオンは、どこか照れくさそうな表情を浮かべる。


「なぁ、あの炎のこと、詳しく教えてくれねえか?」


 顔を上げるや否や、清志郎は思い詰めたような表情を浮かべた。

 清志郎の変化を感じ取った綾音が、心配そうに見つめている。


『話せば長くなる。でも、あんたには話しておくべきことだ』


 シオンは、二度三度頷いて真剣な眼差しを清志郎へ向ける。


『あたいは、もともと日本橋の花街かがい・吉原の芸子だった。これでも「江戸一番の歌姫」なんて言われてたんだ。幕府の命で吉原は浅草寺の方へ移転しちまったから、あたいのいたところは元吉原なんて呼ばれてる。

 わかっているとは思うが、あたいは幽霊――この地に三百年以上居座っている地縛霊さ。ミヅハノメの加護を受けることでこうして現世に留まっていられる。だから、ミヅハノメの力の源である隅田川から離れることはできない』


 シオンは穏やかに揺れる、隅田川の水面みなもに視線を向ける。


『あんたは、新宿であたいの歌を聞いた。ただ、あたいは新宿あそこにいたわけじゃない。隅田川ここで歌っていたんだ。遠く離れた場所から水を操ることができるなんて凄いと思ったかい? でも、そうじゃない。隅田川の水面みなもが監視カメラ代わりで、そこにぼんやりと映っている程度さ。例えるなら、火災を検知した機械が警報を発するみたいに、が殺意をあらわにした瞬間、あたいには、憎悪に満ちた、真っ黒な念が伝わってくる。あたいは、その念を封じるために歌うのさ。

 もともと、あいつら――『憎悪の炎』は、明暦の大火のとき、あたいの仲間が抱いた憎しみから生まれた。言い換えれば、あのたちがあたいに向けた憎悪が原因となっている』


 淡々と話すシオンだったが、その言葉から深い悲しみが伝わってくる。

 しかし、清志郎は、それをすんなり受け入れることができなかった。胸のあたりにつかえている何かが邪魔をしていた。


「俺は、新宿の火災現場で四人の仲間を失った。みんな、あの炎に焼かれて一瞬で消えちまった」


 清志郎は一言一言を噛みしめるように言った。声のトーンがいつもと違う。綾音の脳裏に、事故の後、病院で垣間見た、苦しそうな清志郎の姿が蘇る。


「お前が四人を助けなかったことをとやかく言うつもりはねえ。ただ、お前の話を聞く限り、あの炎の発生原因はお前にあるんじゃねえのか? お前がしっかり対処していれば、俺の仲間は死なずに済んだんじゃねえのか?」


 清志郎は、シオンの顔をキッと睨みつける。あまり見せたことのない、険しい表情に、綾音は胸に手を当てて不安をあらわにする。


『確かにあんたの言うとおりさ。そのことは申し訳ないと思っている。本当に済まなかった』


 シオンは、着物の帯のあたりに両手を添えて深々と頭を下げた。誠実で真摯な態度に、清志郎の強張っていた表情が少し和らぐ。


『あたいらも何もせずに手をこまねいていたわけじゃない。三百年以上の間、憎悪の炎を何度も封じてきたんだ。ただ、時間が経つとあいつらは蘇っちまう』


 シオンは、伏し目がちに唇をグッと噛んだ。やり場のない無念さが感じられる。


『憎悪の炎は、この街から発せられる、負のエネルギーを吸収して日に日に力を増している。あたいらの力が及ばなくなるのも時間の問題だ。でも、あんたが力を貸してくれたら話は別さ。あいつらをほうむり去ることができるんだ』


 シオンの表情が明るいものへと変わる。

 しかし、清志郎は、相変わらずモヤモヤした何かを払拭できずにいた。


『憎悪の炎が復活する周期は少しずつ短くなっている。昔は一度封じれば百年はおとなしくしていた。ただ、一九七五年のホテルネオジャポンの火災から三十五年後に渋谷タワービルの火災が起きた。それから十年後に今回の――』


「――おい。今、何て言った?」


 清志郎の言葉がシオンの言葉をさえぎった。

 シオンは、訝しそうに清志郎の顔に目をやる。

 清志郎の表情が、再び険しいものへと変わっていた。いや、先程とは比べ物にならないほど険しくなっていた。


「ホテルネオジャパンの火災と渋谷タワービルの火災で殉職した消防士がいたのを知っているか?」


 清志郎は、鬼のような形相でシオンを睨みつける。怒りと悲しみをたたえた眼差しがシオンを貫く。


「俺の祖父じいちゃんと親父だ! 畜生! 二人ともあの炎にられたってことかよ! お前の仲間は、渡の人間を選んで殺してるのか!? 俺たちに何か恨みでもあるのかよ!」


 胸のあたりにつかえていたものを一気に吐き出すように、清志郎は大声で叫んだ。

 その瞬間、シオンは、目を見開いて首を何度も横に振った。清志郎の怒号に圧倒されたわけではない。清志郎がであることを知ったから。


『あんた……もしかしたら、渡清吉の末裔まつえいなのかい?』


 シオンは、身体を震わせながら声を上擦うわずらせる。


「渡清吉は俺の先祖だ! それがどうかしたのかよ!?」


 清志郎の怒りを抑えきれない様子に、シオンは罰が悪そうに目を逸らす。

 綾音にも場の空気が重くなったのが感じられた。


『……あんたに一つ言っておかなければならないことがある』


 一呼吸おいて、シオンは伏し目がちに清志郎を見つめた。


『渡清吉がどうして亡くなったのか知ってるかい?』


「ああ。明暦の大火のとき、倒れてきた柱の下敷きになったんだろ? それがどうしたって言うんだ?」


 シオンの唐突な質問に、清志郎は不機嫌な口調で答える。

 小さく息を吐いたシオンは、やりきれないような表情を浮かべた。


『そのとおりさ。ただ、補足しないといけないことがあるんだ』


「補足? どういうことだ? はっきり言えよ」


 シオンの回りくどい言い方に、清志郎は苛立ちをあらわにする。

 すると、シオンの口から躊躇ためらいがちに言葉が発せられた。


『あんたの先祖・渡清吉は、燃え盛る炎の中で大きな柱の下敷きになって死んだ……。「シオン」という名の芸子をかばってね』



 つづく

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