第38話 ラストステージ


 大きな楕円形の木製テーブルの周りに、会議用のイスが十脚ほど置かれた防災対策ルーム。

 テーブルの上には数台のパソコンと電話が並び、正面の壁には巨大なマルチスクリーンが設置されている。

 エアコンの音に交じって聞こえてくるのは、室内に設置された、複数の電子機器の作動音。


「なんだい? あたいに話って」


 スクリーンの脇のイスに腰を下ろしたシオンは、足を組んで部屋の中をぐるりと見渡した。


「明日の最終確認だ。俺が過去の世界へ留まっていられるのは一時間。無駄な動きをしていたら文字通り『命取り』になる。そうならねえように、しっかりと段取りを確認しておく」


 清志郎は、シオンの隣の席にゆっくりと腰を下ろす。


「あんたの言うことはもっともだ。あたいにできることがあれば、何でも言っとくれ」


「じゃあ、まず俺の持ち物の確認だ。明日、俺は火災現場へ行くような装備で臨む。必要な物一式は今日のうちに家へ持って帰る」


 清志郎の言葉を聞いて、シオンは、なるほどという顔をする。カズワリーの本部へ立ち寄った理由が理解できた。


「でも、そんなものよく借りられたね。メンバーには何て説明したんだい? まさか『過去の世界で一戦やらかす』とは言えないだろ?」


「抜かりはねえ。付き合いのある消防団の送別昼食会に出席すると言っておいた。その前に消防講習会があるとも言っておいた。これまでも、俺が何度か講師を務めたことがある。現場へ出動する服装で、特殊消火剤サイレントダウナーの実演を兼ねた講習会だ。ただ、今回は特殊消火剤サイレントダウナーの量が少し多いがな。

 俺の謹慎処分も昨日で解けたことだし問題はねえ。それに、どうせ明日で歴史が変わってリセットされるんだ。何も心配することはねえよ」


 清志郎は小さく笑いながら、部屋の隅に置かれた段ボール箱に目をやる。中には、桜庭が用意してくれた道具が一式入っている。


「あとは、お前が用意する物だな」


「あたいがかい?」


 シオンは、よくわからないといった様子で小首を傾げる。

 

「そうだ。重要なものが二つある。それを今から俺たちで


 清志郎は、右手の人差し指と中指を立ててシオンの目の前に突き出した。


「一つめは、火元を落とした地図だ。明暦の大火当日、南城忠興の屋敷の何箇所かで火災が発生した。出火場所を押さえておけば、時限発火装置を効率的に排除できる。場合によっては消火することになるが、いずれにせよ限られた時間できっちりやり遂げるには、地図は必要不可欠だ。シオン、作れるか?」


 清志郎は、テーブルの上にコピー用紙と油性マジックを置くと、シオンに、出火場所を示した、屋敷の見取り図を描くよう言った。


「あのとき、あたいは二階の控えの間にいた。だから、大広間の入口からの出火しか見ていない。ただ、取り調べを受けたときに聞いた場所や、ミヅハノメと話をした中でわかった場所もある。六、七箇所から火が出たのは確認してる。絵心はないが、やってみるよ」


 シオンは、真剣な眼差しでコピー用紙を見つめながら小さく頷く。


「それから、二つめだ。当日お前は声を奪われた。そして、偽者がお前にとって代わった。そうだったな?」


「ああ、そのとおりさ。大広間にいた、あたいの仲間や幕府の要人に『火を放ったのはシオン』と思わせるのが奴らの狙いだ。あたいの声を奪ったうえで、あたいとみんなを分断して偽の声を流したんだ」


 当時のことを思い出したのか、シオンの目つきが鋭いものへと変わる。


「今回も、人の声を操る、何とかっていう神がお前をマークしているのは間違いねえ。遅かれ早かれ、お前の声は封じられる。声が出せなければ、みんなに危険を知らせることもできねえ。俺が火元を全て排除できればいいが、お前が知らねえ場所に発火装置が仕掛けられている可能性もある。

 それに、何といっても相手は火の神だ。いくら水と火の力が均衡している世界でも、何が起きるかわからねえ。ただ、大広間の連中に火事の発生を知らせれば救うことはできる。火の神の計画を阻止できるってわけだ」


 清志郎は、自分に言い聞かせるように、一つ一つ段取りをしっかりと確認する。漏れや手戻りが生じないよう、綿密な最終チェックを行っている。


「声の代わりになるものを用意するってことかい? 例えば、『もうすぐ火事が起きる 早く逃げろ』と書かれた紙とかかい?」


「そうだ。文字は言葉の代わりになる。文字で事実を伝えて、みんなを避難させるんだ」


「あんた、見かけによらず頭がいいんだね」


「見かけによらずは余計だ」


 シオンの言葉に、清志郎の口元から笑みが漏れる。しかし、すぐに、神妙な顔つきが、それに取って代わる。


「問題は、宴の席にいる者全員が味方だとは限らねえってことだ。首謀者側の人間に俺たちの計画を悟られるのはマズい……。大広間に南城家の人間はいたか?」


「もちろんさ。あの宴は、南城忠興が数年の歳月をかけて用意周到に計画したものだからね。ただ、南城家の人間は、全員あの場で焼け死んだ。あそこにいたのは、計画を知らされていないばかりだ」


 捨て駒という言葉を口にした瞬間、シオンの表情が険しくなる。捨て駒となった者にしかわからない何かがあるのだろう。


「わかった。伝える内容は、俺が紙に箇条書きにする。何か質問はあるか?」


「特にないよ。とりあえずやってみよう」


 コートを脱いだシオンは、セーターの袖をまくり上げて黒の油性マジックを手に取ると、ぎこちない手つきで屋敷の見取り図を描き始めた。


★★


 二人が準備に取り掛かって三時間近くが経過した。

 出火箇所を書き込んだ、屋敷の見取り図と出火を知らせるチラシが出来上がり、二人は最終的な段取りの確認に入る。


・二月十四日、満月が出る頃、シオンが隅田川の水を操り、水底にある「水のほこら」をあらわにする。その際、ミヅハノメが周囲に結界を張り、関係者以外は浜町公園に立ち入れないようにする。


ほこらの入口は人一人が通れるぐらいの正方形の石で塞がれており、それを清志郎が取り除く。大人であれば持ち上げられる程度の重さではあるが、人力で開かないときには、バールでこじ開ける。


ほこらの中でシオンと清志郎は心的波動同調シンクロを行う。その後、時流読女神トキヨミが作った抜け道ワームホールを通って、一六五七年の明暦の大火の日――火災が発生する一時間前の世界へ移動する。なお、抜け道ワームホールは、「鍵」であるシオンが念じることで作動する。


・タイムスリップが完了した時点で二人の心的波動同調シンクロは解け、シオンの意識は当時の身体に戻り、清志郎はシオン以外にその存在が悟られない「透明人間」と化す。なお、当時のシオンはミヅハノメの加護を受けていないことから水を操る能力は備わっていない。


・清志郎は時限発火装置の除去と出火した箇所の消火を、シオンは大広間にいる百人の避難を、それぞれ担当する。二人ともであることから怪我をすることもあれば命を落とすこともある。


・音を司る神・音之響神ネノヒビキの力で声を消される可能性が高いシオンは、注意喚起のチラシを広間にいる者に見せることで火災の事実を伝える。その内容は以下の通り。

 一 もうすぐこの部屋は大火に囲まれる

 二 今なら逃げることができる

 三 落ちついてこの部屋を出ること

 四 すぐに階段を下りて建物から出ること


・清志郎が現地に留まれる時間は一時間。一時間が経過すれば、清志郎は自動的に現代へ送られる。残り時間を確認するため、シンクロが解けた時点で清志郎はストップウオッチで六十分のカウントダウンを開始する。


「とりあえず、こんなところか……? 冷えて来たと思ったらもう八時じゃねえか。結構時間がかかっちまったな。シオン、寒くねえか?」


「ああ、大丈夫だ。この部屋は暖かい。ただ、身体はくたくただよ。歌ならいくらでも歌えるが、文字や絵を描くなんてほとんどやったことがないからね。でも、のおかげで疲れも半減さ」


 シオンは、チョコレートでコーティングされたドーナッツの欠片かけらを美味しそうに頬張る。

 テーブルの上には「Miss Donut」と書かれた箱と二つのコーヒーカップが置かれている。それは、綾音がミスドのファンであることを知っている桜庭からの差し入れ。

 ドーナツを口にした瞬間、虚ろになっていたシオンの目が輝きを取り戻した。


「でも、あんたの言ったとおりだったよ」


「何がだ?」


 訊き返す清志郎に、シオンがしたり顔で言う。


「あの桜庭とかいう男、悪いヤツじゃなかった。こんなに美味しいものを持ってきてくれたんだからね。強いて言うなら、飲み物がエスプレッソだったら言うことなしだったね」


「エスプレッソって、江戸の人間が言う台詞かよ?」


 呆れたような顔をする清志郎に、シオンは無邪気な笑顔を見せる。

 シンクロ時間も残り二時間を切った。「最後まで笑顔でいてくれて良かった」。清志郎は心の中で満足気に呟く。


「いや、まだ最後じゃねえ。シオンにを見せてやらねえと」


「清志郎。アレってなんだい?」


 心の中で思ったことが声になっていた。

 しまったという表情を浮かべる清志郎だったが、説明する手間が省けたのはかえって好都合だった。


「シオン、これから屋上へ行く。コートを着ろ」


「わかった。ちょうどドーナッツもなくなったところだ――桜庭、ごちそうさま」


 シオンは、空になった箱に手を合わせてペコリと頭を下げた。


★★★


 屋上でエレベーターを降りて鉄製の扉を押し開けると、身を切るような冷たい風が吹き込んできた。

 昼間の春のような暖かさとは打って変わって、吐く息も凍りそうな厳寒の世界が広がっている。

 シオンは、手に息を吐きかけながら目を凝らした。闇の中にぼんやりと白いものが浮かんでいる。


「あの白いのが、あんたが言ってた多目的ヘリコプターヘブンリーメイデンかい? 意外と大きいんだね」


「ああ。パイロットを入れて十五人は乗れる。お前が力を貸してくれた、川崎や新宿の現場でも活躍したんだ。本当は乗せてやりたかったけどな」


 清志郎は残念そうな顔で、メイデンを見つめる。


「気にしなくていいよ。それで? あたいを屋上に連れて来たのは、これを見せるためかい?」


「いや、そうじゃねえ。俺がいつも見ている、夜の東京をお前にも見て欲しくてな。プラネタリウムで見たような星は見えねえが、俺はここから見る景色が好きだ。メイデンの向こうのフェンスのところが特等席だ」


 冷たい風が我が物顔で吹きすさぶ中、清志郎とシオンはフェンスの方へと歩いていく。


「シオン、あれだ」


 清志郎がフェンスの外を指差す。

 風にあおられる髪を掻き分けながら、シオンは、清志郎の指先の方へ視線を向ける。

 そこには、様々な色の光に彩られた東京があった。

 一つ一つの光が不規則にまたたき、それぞれがまるで生きているようだった。


「……すごい……すごいよ!」


 シオンは、興奮気味に声を上げると、半分口を開けたまま隣にいる清志郎の方へ顔を向ける。


「光があるところには必ず人がいる。あのまたたきは人が息づいている証拠だ。命の光ってヤツだ。ここに来るといつも思う。あの光を絶やしちゃいけねえ。俺たちが守らねえといけねえってな……。また青臭いこと言っちまった。忘れてくれ」


 清志郎が照れたような顔で口髭を撫でると、シオンは、笑顔で首を横に振る。


「今日一日付き合ったら、あんたの青臭い台詞にも慣れちまった。これからそんな台詞が聞けなくなるかと思うと残念でならないよ。録音でもして江戸に持って行きたいくらいさ」


「録音? 江戸にボイスレコーダーを持ち込むのか? 充電はできねえぞ」


「真面目に答えてるんじゃないよ」


 二人は顔を見合わせると声を上げて笑う。

 いつの間にか、白いものが宙を舞っていた。


「清志郎、ありがとう。今日のことは一生忘れないよ。小娘にも礼を言っておいておくれ」


 シオンは、穏やかな眼差しを清志郎に向ける。漆黒の瞳の中で、街のがゆらゆらと揺らめいている。

 次の瞬間、清志郎は目を見開いた。目の前の「綾音」の顔がシオンに見えたから。


「シオン……」


 清志郎が声を掛けようとしたとき、シオンがフェンスの端に向かって走り出した。

 シオンは、外灯の下でスカートの裾をひるがえすようにこちらを振り向くと、飛びきりの笑顔を見せる。


「今日のお礼だ! あんたのために心をこめて歌うよ。あたいが大好きなゴスペル『アメイジンググレイス』。聞いておくれ!」


 外灯の明かりをスポットライトに見立てて、シオンは宇宙そらを仰いだ。

 白い吐息がゆらゆらと揺れながら闇の中へと吸い込まれるように消えていく。降り注ぐ、無数の雪の粒が外灯の明かりを浴びて輝きを放つ。

 シオンは、静かに目を伏せると囁くように歌い始めた。


 東京の街で開催された、歌姫シオンの最初で最後のステージだった。



 つづく(第4部へ)

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