第25話 西園寺綾音の憂鬱


「清ちゃん……? 今……何て言ったの?」


 電話口から聞こえる、綾音の声に只ならぬものを感じた。

 シオンと話をした日の翌朝、「いっしょに過去の世界へ行って欲しい」と頼まれたことを伝えたときのことだった。

 清志郎は太い眉をしかめて焦ったような顔をする。


「アヤ、聞いてくれ。シオンにあんな話をされたが、正直俺もピンと来てねえ。過去の世界へ行くなんてイメージできねえんだ。ただ、危険が伴うのは確かだ。そのことはシオンも言っていた。でも、やるしかねえんだ。このまま放っておけば、何もかも焼き尽くされちまう。俺もお前もみんな死んじまうんだ。わかってくれ」


 綾音の不安を払拭ふっしょくしようと、清志郎は必死に説明する。

 綾音は黙ったままだった。清志郎のことを人一倍心配しているだけに、突拍子もない話を受け入れることができないのかもしれない。

 沈黙が続く中、電話口の向こうから、様々な声や音が入れ替わり立ち代わり聞こえてくる。綾音は、携帯電話を持って移動しているようだ。


じゃないの……気になったのは……」


 携帯電話の向こうから、消え入りそうな声が聞こえた。


「そこじゃねえ?」


 言葉の意味が理解できない清志郎は、眉間に皺を寄せて訊き返す。


「どういう意味なのかなぁって……。シオンさんと清ちゃんが……一つに……なるって……」


「はぁあ?」


 躊躇ためらいがちに話す綾音に、清志郎はいぶかしい顔をする。


「だ、だからぁ……! 過去の世界へ行くとき、シオンさんと一つになるって言ったじゃない? それが気になったの。だって、シオンさん……十八の女の子でしょ? 男と女が一つになるなんて」


「お前……何言ってんだよ!?」


 思わず大きな声が出た。自分の声が上擦うわずっているのがわかった。寝不足のせいで頭の中に掛かっていた、白いもやが一気に吹き飛んだ気がした。


「そんなのわからねえよ。でも、今日の午後、もう一度シオンに会うことになってるから、そのときにはわかるかもな」


 清志郎の脳裏にシオンの顔が浮かぶ。同時に、気恥ずかしさがこみ上げてきた。邪念を振り払うように、清志郎は頭を左右に大きく振る。


「決めた! 午後からお休み取る! 私もシオンさんのところへ行く!」


 突然、綾音が大きな声を上げた。


「行ってどうするんだよ? お前にはシオンの声は聞こえねえだろ?」


「いいもん! 清ちゃんに通訳してもらうから! 一時過ぎに浜町公園の入口に行くからね!」


「アヤ! おい! アヤ!」


 プープーと電話の切れた音が聞こえる。

 清志郎は、携帯電話の画面を見つめながらため息をついた。


「仕方ねえな。あいつ、言い出したら聞かねえから……。俺も他人ひとのこと言えねえけどな」


 清志郎は、自分の言葉に苦笑すると、空を見上げて小さく笑った。


★★


 午後の浜町公園は、前日から降った雪がところどころ残っていた。

 冬晴れの青空が広がってはいるものの、気温は上がらず、冷たい風が吹いている。人通りがほとんどないのはそのせいだろう。


「シオンさん、どこにいるのかな?」


「とりあえず下流の方へ行ってみるか。昨日は新大橋のあたりにいたからな」


 公園の入口で落ち合った、清志郎と綾音は、東屋の方へと歩き出す。

 すると、隅田川が見えたところで清志郎の足が止まった。


「シオンの歌が聞こえる。下流の方からだ」


 耳を澄まして歌声の出所を確認すると、清志郎は再び歩き出した。歩調が速くなったことで、見る見る間に綾音との距離が開いていく。


「ズルイよ」


 清志郎の背中を見つめながら、綾音は唇をとがらせる。シオンと清志郎が二人だけの世界にいるような気がして、それがとても羨ましく思えたから。

 シオンのことは嫌いではない。むしろ応援したいと思っている。ただ、シオンの歌を聞くことができ、シオンとコミュニケーションをとることができるのは、世界中で清志郎ただ一人。綾音としては、どこか面白くない。


「アヤ、どうした?」


 前を行く清志郎が振り向いて言葉を掛ける。

 我に返った綾音は、自分がおかしなことを考えていることに気づき、自責の念に駆られる。


「清ちゃん、ごめん」


「何謝ってるんだよ? おかしなヤツだな。それより、東屋にシオンがいたぞ」


 綾音の言葉を軽く受け流して、清志郎は再び歩き始める。


「しっかりしろ。綾音」


 綾音は自分に言い聞かせるように、両手で頬をパンパンと叩いた。


★★★


『悪かったね。わざわざ来てもらって』


 清志郎の姿を見るや否や、東屋のイスに座っていたシオンは、すくっと立ち上がってうれしそうに笑った。


『昨日はミヅハノメから詳しい話を聞いていなくてね。あれからすぐに確認したよ。ただ、あまり大きな声では言えないよ。なんたって、重要機密・だ・か・ら・ね』


 清志郎の前に立ったシオンは、息がかかるぐらいの距離に自分の顔を近づける。黒目がちの瞳がキラキラ輝いている。


「シ、シオン、顔が近えよ!」


 清志郎は思わず顔を背ける。午前中、綾音におかしなことを言われたせいで、変に意識してしまった。

 間髪を容れず、背後から突き刺すような視線と言葉が飛んでくる。


「清ちゃぁん? シオンさんと何やってるのぉ? 私にもわかるように説明してくれないかなぁ?」


 視線の主である綾音の口から、穏やかながらピリピリした言葉が発せられる。笑顔を取り繕ってはいるが、目は笑っていない。


『清志郎、そのは誰だい? 何だか機嫌が悪そうだね。もしかしたら昨日のかい? あたいはそんなを呼んだ憶えはないよ』


「小娘はねえだろ? こいつは『西園寺 綾音』。年は二十九だぞ」


 自分より十以上年上の綾音を、シオンは小娘扱いする。

 ただ、シオンは見た目こそ十八歳だが実際は三百歳を超えている。綾音を小娘扱いしたのは、ある意味理に適っており、おかしなことではない。


「こ、小娘って、誰のことよ!?」

『小娘に小娘と言って何が悪いんだい?』


「シオンさんが何を言ってるのかわからないけれど、無性に腹が立つよ!」

『呼んでもいないのにノコノコやって来て何を怒ってるんだい? この小娘は』


「清ちゃん! シオンさんに何とか言ってやってよ!」

『清志郎、この小娘に何とか言ってやりな』


 まるでステレオ放送だった。

 二人の美女に挟まれ、両手に花と言えば聞こえはいい。しかし、辺りは静電気を帯びたような、ピリピリした空気に覆われ、前日とは違った緊張感が漂っている。


「わかった! わかったから二人とも落ち着け! これまでの経緯いきさつを説明するから!」


 綾音とシオンの間に割って入ると、清志郎は二人をなだめるように言った。



 つづく

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