第26話 大事な質問


「まずは、シオン。あんな時間に、俺がお前のところへ行った理由を説明する」


 二人の間に立った清志郎は、シオンの方に顔を向けると、事の経緯いきさつを話し始める。


 頭に血が上って、自分が我を忘れてしまったこと。

 シオンのことを気に掛けた綾音が、大学時代の伝手つてを使って明暦の大火について調べたこと。

 シオンが厳罰に処せられたことを知って心を痛めた綾音が、煮え切らない態度をとる自分を一喝したこと。

 冷静さを取り戻した自分が、シオンに謝るために浜町公園へ向かったこと。

 

 清志郎は、前日にあったこと一つ一つを、順を追って丁寧に説明した。

 その間、シオンは、真剣な顔で清志郎の言葉にうんうんと頷き、綾音は、緊張した面持ちで自分の足元をジッと見つめる。


 清志郎の話が終わると、シオンは、穏やかな眼差しを綾音の方へ向けた。


『清志郎、小娘に伝えておくれ。「シオンが感謝している」とね』


「わかった――おい、アヤ」


「な、なに?」


 突然、声を掛けられた綾音は、身体をビクっとさせて顔を上げる。

 しかし、清志郎がシオンの言葉を伝えると、ホッとした表情が浮かび上がる。


「清ちゃん、シオンさんはどのあたりにいるの?」


「ここに立ってる」


 清志郎が、手のひらでシオンのいる場所を指し示すと、綾音は、シオンの方に身体を向けて、かしこまった面持ちで深々と頭を下げた。


「初めまして。西園寺綾音と申します。先程は大変失礼しました。悪気はありませんので、お気になさらないでください。私も微力ながら、シオンさんのお役に立てるようがんばりたいと思います。どうぞよろしくお願いします」


 予想だにしない、綾音のしおらしい態度に、シオンは、口をポカンと開けて棒立ちになる。


「シオン、アヤは悪いヤツじゃねえだろ?」


『そ、そうだね。小娘にしては、礼儀をわきまえてるじゃないか』


 目尻の下がった、優しい眼差しを向ける綾音に、シオンは、顔を背けてどこか照れたような顔をする。


『……清志郎?』


「なんだ? 何か言い足りねえことでもあるのか?」


『ああ。小娘に伝えて欲しいことがあるんだ』


 横目でチラリと綾音の様子を窺いながら、シオンは言葉を選ぶように言った。


『さっき、「感謝している」と言ったが、あれは、「感謝している」の間違いだ。小娘にそう伝えておくれ』


「わかったよ」


 清志郎が笑いを堪えながらシオンの言葉を伝えると、綾音は、とてもうれしそうな顔をする。

 すると、そんな二人の笑顔に釣られたのか、シオンの口元が緩み自然に笑みがこぼれる。


「じゃあ、シオン。昨日の話の続きを頼む。『いっしょに過去の世界へ行く』ってヤツだ……。その前に一つ頼みがある。話の内容をアヤにも説明しておきてえ。お前が説明をした後、少し間隔を取ってもらってもいいか?」


『お安い御用さ。あたいから聞いたことを口にすることで、あんたも理解が深まるだろうしね』


 シオンは、清志郎の依頼を了承する。言葉の中に、綾音が引け目を感じないような配慮が見え隠れする。


「アヤ、シオンからOKが出た。俺が説明するからしっかり聞いてくれ」


「うん、わかった。シオンさん、ありがとうございます」


 二人が東屋のイスに腰を下ろすと、シオンはゆっくりと話し始めた。


★★


『――――あんたが過去の世界に留まっていられるのは一時間が限度だ。その間に、火災の発生を未然に防いで、大広間にいる、あたいの仲間と幕府の関係者を救って欲しいんだ。みんなが助かれば、憎悪の炎は存在しないことになる。歴史が変わってヒノカグツチの計画は失敗に終わるってわけさ。以上だ。何か質問はあるかい?』


 シオンの話が終わったのを確認して、清志郎はその内容を綾音に説明する。

 突拍子もない話ではあるものの、清志郎はシオンの言っていることを概ね理解した。

 ただ、周りの空気が重いものへと変わっていくのを感じずにはいられなかった。

 過去の世界へ行くことに怖気おじけづいたわけではないが、水の神の力が及ばない中、一時間という短時間で任務をやり遂げることに大きなプレッシャーがあった。

 自分が任務を完遂できなかったら世界は終わる――そんな考えが清志郎の心に重く圧し掛かっていた。


『どうしたんだい? 浮かない顔して』


 清志郎の様子が気になったのか、シオンが心配そうに声を掛ける。


「過去に行くのはどうってことねえ。ただ、一時間ですべてを終わらせるのは正直厳しい。失敗は絶対に許されねえからな」


 清志郎は、浮かない顔でため息をつく。

 すると、シオンは、右手の人差し指を立ててチッチッチッと左右に振って見せた。


『さっきも言ったが、あんたは過去の世界では「員数外の人間」だ。姿はあたいにしか見えないし、声もあたいにしか聞こえない。今のあんたとあたいの立場が逆になるわけさ。透明人間のあんたなら、きっと上手くいくよ』


 シオンの言うとおりかもしれないと思った。

 江戸時代に防火服を着てヘルメットを被った人間がいきなり現れたら、誰もが化け物を見るような目で見るだろう。いくらシオンが目的を説明したとしても、話を聞く者などほとんどいない。そうなれば、まともに任務を遂行できるわけがない。逆に、姿が見えなければ、完遂できる可能性は高くなる。


 シオンの話を聞いて、清志郎は、気持ちが少し楽になった。


『過去の世界では、あたいの力は使えない。ただ、火が出た場所は大体わかってる。事前に確認しておけば、あんたが火事を未然に防ぎ、あたいがみんなを避難させられる。一時間あれば大丈夫さ』


「そうだな。ここでごちゃごちゃ言ってても始まらねえ。要は、あの炎を無かったことにすれば、世界は救われる。これまであいつにられた人たちも救えるってわけだ。願ったり叶ったりだぜ」


 開き直ったような態度を見せる清志郎に、シオンはその通りと言わんばかりに首を縦に振る。

 辺りの空気が、和やかなものへと変わっていくのが感じられた。


★★★


「あのぉ……清ちゃん?」


 清志郎とシオンの会話が途切れたのを見計らって、綾音が遠慮がちに声を掛ける。


「どうした? アヤ」


「あのね、シオンさんに一つがあるんだけど……いいかな?」


『構わないよ。清志郎、小娘に言ってやりな』


 シオンは二つ返事で了承する。

 そのとき、清志郎はピンと来た。綾音の「聞きたいこと」というのは、おそらく朝の電話で言っていたことだ。

 清志郎は、平静を装いながら、シオンが了承したことを綾音に伝えた。


「シオンさん? 過去の世界に行くとき、シオンさんと清ちゃんが一つになるって聞いたんだけど……。具体的に、どんな感じなの?」


 恥ずかしそうに話す綾音に、シオンは何かを悟ったような顔をする。


『ふぅん。清志郎、あんたも気になるかい?』


 明後日あさっての方向を向いて素知らぬ振りをする清志郎に、シオンは、悪戯いたずらっぽい眼差しを向ける。


「俺は別に……気になんかならねえよ」


 清志郎からどこか歯切れの悪い答えが返って来る。

 シオンは、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。


『それはそうだろうね。何せ男と女が一つになるんだ。あたいだって恥ずかしいよ。でも、必要なことなんだ……。どうだい? 試してみるかい?』


「た、試す!?」


 清志郎は声を上擦うわずらせる。

 シオンは、ゆっくり立ち上がると、前屈みになって顔を清志郎の方へと近づける。

 少し開いた胸元。透き通るような白い肌。濡れた真っ赤な唇。長いまつ毛を抱いた、漆黒の瞳――そんなすべてが、清志郎の瞳にはっきりと映った。


「シオン、ちょっと待て……! 心の準備が……!」


 清志郎は、シオンから逃げるようにジリジリといざっていく。

 シオンの口から吐息交じりの言葉が漏れる。


『ここなら他人ひとの目も気にならない。清志郎、シテみないかい? あんたとなら上手くイキそうだよ』



 つづく

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