第35話 パートナー
★
忠興から援助の申し出があったことを、シオンは、置屋の経営者である
降って湧いたような、千載一遇の機会に女将の目の色が変わる。すぐに、芸子と見習い全員が集められ、役割分担が行われた。
これまでどおり宴席で男性客を相手にするもののほか、男女が楽しめる歌劇、女性向けの舞踊、親子向けの芝居の担当がそれぞれ決められ、次の日から
忠興の信頼が厚いシオンは、女将から「指南役」に任命され、歌姫の
分不相応の役回りに戸惑いながら、シオンは手始めとして、自分たちを「大江戸少女歌劇団」と命名する。
一義的には、当時似たような大衆文化として人気を博していた歌舞伎との
★★
三ヶ月余りが経ち、大江戸少女歌劇団による興行が始まる。
場所は、忠興がシオンたちをイメージして造らせた芝居小屋。百人も入れば満員になる、小じんまりとした造りだったが、清楚で可愛らしく、どこか奇抜な外観が人々の間で話題となり、男性客だけでなく子連れの女性客の姿も目に付いた。
また、観覧料を観客それぞれの意思に任せる心付けとしたことで、身分、年齢、性別に関係なく連日多くの客が詰め掛けた。
忠興の戦略が功を奏し、大江戸少女歌劇団の知名度は着実に人々の間に浸透する。
観覧料を定額に切り替えてからも連日満員の状態が続き、興行は順風満帆のスタートを切った――が、ヒット作が生まれると
半年も経たないうちにシオンたちを真似た集団がいくつも現れ、観覧料を安くしたり茶菓子を配付したりと、興行内容と関係ない、オマケや値引きの部分でファンの取込みを図っていく。離れて行った得意客も少なくはなく、シオンたちの前に暗雲が立ち込める。
そんな中、シオンは、忠興の屋敷へ呼び出される。
いつものように、大広間に案内され、顔の見えない忠興の前に座る。
しばらく沈黙が続いた後、半透明の幕の向こうから声が聞えた。
「……シオン、毎月一曲、新しい歌を作って客に披露できぬか?」
忠興の提案に、シオンは、視線を自分の膝のあたりへ落とす。
「できないことはございません。ただ、受け入れられるかどうかはわかりかねます」
シオンは、自信なさげに答える。興行の不振から気が弱くなっているのが、態度に現れていた。
「できるなら問題はない。では、『第一部』はそれでいくとしよう」
「第一部……でございますか?」
忠興の真意が掴めないシオンは、小首を傾げて訊き返す。
「そうだ。歌劇団の興行を
第一部の『歌姫シオンの新曲が毎月聞ける』といった触込みと、第二部の『連続物の歌劇』で常連客を囲い込む。第二部の歌劇の脚本は、余が知っている草紙書きに作らせ、舞台の指導もそれなりの者に当たらせる。芸子たちにやる気を出させるのはそちの役目だ」
シオンは、何度も首を縦に振りながら、真剣な表情で忠興の言葉に耳を傾ける。
「そちだけでなく、芸子も厳しい稽古が必要となる。だが、常連客がつけば興行は安定する。着地点を見据え出し惜しみをせず、新たなものをどんどん披露していくのだ。
心配するでない。半年も経てば結果は出る。そして、江戸の町に新たな文化が生まれる。そちが思い描いたような文化がな。もちろん、新たな文化の根付きを目指す、余の思惑にも合致する」
シオンは、忠興が自分たちのことを親身に考えてくれていることを、とてもうれしく思った。同時に、そのとてつもない才能に感服せざるを得なかった。
それこそが、忠興の持つ、天賦の才。出会って一年しか経っていないが、斬新かつ冷静な考察力と的確な判断力を、幾度となく目の当たりにした。
あるときは驚嘆し、またあるときは感銘を受けた。振り返ると、その行動はいつも的を射たものであり、まるで未来を見通しているかのようだった。
「お殿様、承知いたしました。早速準備に取り掛かります。いつも貴重な御助言をいただきありがとうございます、芸子を代表して心から感謝申し上げます」
「そう堅苦しくするな。そちは、余の良き理解者であり、良き友人だ。これからも、余はそちと手を取り合って、この国を人々が暮らしやすいものにしていきたい。シオン、よろしく頼むぞ」
「勿体ないお言葉……。この上なく幸せでございます。このシオン、声が出る限り歌い、身体が動く限り踊り、お殿様のお役に立てるよう、この身を捧げる所存でございます」
シオンは、背筋を正して深々と頭を下げる。
「堅苦しくするなと言ったばかりではないか」
忠興のうれしそうな声に、シオンの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
その瞬間、忠興への信頼と忠誠心がさらに大きなものへと変わった気がした。「この人について行けば間違いない」。そんな言葉がシオンの中で幾度となく繰り返された。
★★★
四年の歳月が流れた。
形を変えた、シオンたちの興行は大成功を収め、常連客は
定員百人の芝居小屋は、四百人が収容できる立派なものへと建替えられたが、それでも週に十回程度行われる公演はいつも満員で、予約を取るのがひと苦労だった。
また、大量に発生していた
と言いながら、大江戸少女歌劇団の一人勝ちというわけではなく、独自の芸風があったり、シオンたちとはタイプが異なる歌姫がいたりする、実力派の集団がいくつか生き残った。
結果として、悪貨が良貨を駆逐する事態に陥ることはなく、健全な形で江戸の町に新たな文化の
まさに忠興が見据え、そして、望んだ通りにことは運び、十七歳になったシオンは、名実ともに江戸一番の歌姫となった。
ただ、シオンは相変わらずシオンだった。
舞台では、
トップスターでありながら、庶民的な雰囲気を醸し出し、誰からも愛されるシオン。そんな彼女のことを悪く言う者はほとんどおらず、警戒心を抱く者も皆無だった。
シオンは巻き込まれるべくして巻き込まれたのかもしれない――あの忌まわしい事件に。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます