第34話 南城忠興


 聞く者を魅了する、美しい歌声で南城忠興の心を動かし、とがめを受けそうな子供を救ったシオン。その武勇伝は、瞬く間に江戸中へと知れ渡り、シオンの置屋には、連日、御座敷の依頼が殺到する。


 時を同じくして、シオンは、忠興の屋敷へ呼ばれる。

 屋敷の入口にいる門番に名前と用件を告げると、直ちに、面積が百畳はありそうな、天井の高い大広間へと案内された。

 白を基調とした明るい内装。ところどころに飾られた、色とりどりの花。天井に描かれた、たわむれるように宙を舞う、二匹の龍の姿――荘厳な雰囲気の中に心地良さが感じられるは、大切な客をもてなすための部屋。

 ただ、緊張のあまり頭の先からつま先まで強張らせていたシオンには、そんな心地良さを堪能する余裕などなかった。


「シオン、よく来てくれた。座ってくれ」


 上座の方から聞き覚えのある声が聞えた。

 天井から降りた半透明の幕の向こうに、侍のものと思しき人影が見える。先日の駕籠かごと同じで、幕の向こうからは、こちらの姿が見えているようだ。

 シオンは、着物の裾をつまみあげて腰を屈めると、背筋をピンと伸ばしてその場に座った。


「余は、自分の顔をさらさぬようにしておる。世間には余のことを良く思っていない者が多い。顔が知れることで厄介事が増えるからな。違和感があると思うが許せ」


「滅相もございません。お顔が見えなくてもお殿様はお殿様でございます。お話を伺ううえで何の支障もございません」


 想定外の事態に、シオンは、ひどく恐縮した様子で深々と頭を下げる。

 忠興の口から、ふふっという、笑い声が洩れる。


「先日の歌は実に素晴らしかった。余だけではなく、あの場に居合わせた者すべてが感銘を受けた。そちには改めて礼を言うぞ」


勿体もったいないお言葉でございます。芸子としてこれ以上の喜びはございません。このシオン、お殿様のお言葉を励みに、これからもより高みを目指し、芸を磨いていく所存でございます」


「うむ。そうしてくれ。では、本題に入るとしよう。おもてを上げて楽にせよ」


 シオンが顔を上げると、一呼吸おいて、忠興が話し始める。


「これまで南城家は文化の醸成に力を入れてきた。公家や大名といった、一部の特権階級のものではなく、町民や農民から生まれた庶民的なものに対してだ。そもそも文化というのは歓楽の源であって、それにより領民の暮らしは活性化される。領民に活力が生まれるのだ。そんな活力の積み重ねが国力の増大につながる。文化の醸成は、領主・領民双方にとって良い結果をもたらす。

 領主の中には、庶民文化から生み出される思想を取り締まろうとする者もいる。しかし、それは誤ったものだ。そんな後ろ向きな考え方しかできない領主は、遅かれ早かれ没落するのが目に見えておる。

 そのような理由から、南城家は庶民文化の保護や推進に尽力してきた。はたからどう思われようが、領民の暮らしが向上し皆が喜んでおるのは事実だ。余は、これまでの行いが間違いではなかったと自負しておる」


 忠興の言葉から揺るぎない自信と達成感が伝わってくる。ただ、決しておごった言い方ではなく、領民を大切に思う気持ちがひしひしと伝わってくる。

 これまで大名に対してあまり良いイメージを持っていなかったシオンは、目から鱗が落ちた思いがした。


★★


「前置きが長くなったが、本日来てもらったのは他でもない。そちの力になりたいと思ってな。理由は、そうだな……そちのことが気に入ったからだ」


 忠興の唐突な一言に、シオンは自分の耳を疑った。お礼を言わなければと思いながら、言葉が出てこなかった。

 そんなシオンを後目しりめに、忠興は淡々と話を続ける。


「そちの歌には不思議な力がある。聞いた瞬間、新たな文化への可能性を感じた。わかっているとは思うが、江戸は余の領地ではない。いくら尽力しても余には何の恩恵もない。逆に、出過ぎた真似をすれば、幕府からとがめを受ける。ただ、これは損得の問題ではない。余の純粋な思いだ。シオン、余に何かできることはないか?」


 シオンの身体が小刻みに震え、心臓が早鐘のように鳴り響く。自分でも気持ちが高ぶっているのがわかった。

 忠興の言葉からは、敬意のようなものが感じられた。シオンへの賞賛や評価は、決して上辺だけのものではない。

 忠興は一国一城の主で「影の幕府」などと称される、一廉ひとかどの人物。そんな忠興が一介の芸子であるシオンに力を貸すと言ってくれた。「思いを告げるのは今しかない」。そんな言葉がシオンの脳裏を過った。


「どうした、シオン? 遠慮は要らぬ。何なりと申してみよ」


「大変ありがたいお言葉でございます。それでは、恐れながら申し上げます……。お殿様、あたいら芸子には夢があります。それは、歌や踊りを披露することでたくさんの人を幸せにすることです。でも、その前に、芸子が置かれている状況をお殿様に知っていただきたく存じます」


「芸子が置かれている状況だと? それはどういうことだ?」


「はい。実は――」


 シオンは、真剣な眼差しを忠興の方へ向けると、言葉を選ぶように話し始めた。

 芸子の大部分が生活苦を理由に置屋へ売られてきたこと。芸子として使い物にならない者は遊郭へ連れて行かれ死ぬまで遊女として働かされること。自分はそんな状況に対してやりきれない気持ちを抱いていること――シオンは、胸に溜めこんでいたものを包み隠さずさらけ出した。


「……そちの言いたいことはわかった」


 少し間が開いて、忠興がポツリと言った。


「ただ、それは社会の構造的な問題……いや、問題という言葉を使うこと自体が問題なのかもしれぬ。幕府が定めた序列を否定することにもなりかねぬからな。

 シオン、その件はあまりにも根が深い。制度改革というのは一介の外様大名がおいそれと口にできることではない。余の領地ならともかく、舞台が江戸ともなれば如何いかんともし難い」


 間髪を容れず、シオンは再び深々と頭を下げる。


「無理を申すつもりはございません! どうにもならないことは百も承知でございます! ただ、そんな実情があることをお殿様のような、信頼に足るお方に聞いていただきたかったのです。お耳を汚してしまい誠に申し訳ございませんでした。戯言ざれごとに耳を傾けていただけただけでも感謝の念に堪えません。どうか聞かなかったことに――」


「――シオン、勝手に話を終わらせるでない!」


 シオンの言葉にかぶさるように、忠興の口から力のこもった声が発せられる。

 身体をビクっとさせて、シオンはゆっくりと顔を上げた。


「『制度改革は無理』とは言ったが『何もしてやれぬ』と言った憶えはないぞ」


 シオンは、忠興の言葉の意味が理解できず首を傾げる。

 半透明の幕の向こうから微かに笑い声が聞こえる。


「こういうときこそ知恵を絞るのだ。例えば、こんなのはどうだ? 現在、芸子の活躍の場は、夜の宴の場に限られる。さらに、その客は一部の階級の男たちに限られる。しかし、客が庶民や女子供にまで広がったとしたら、芸子の出番が多くなるのではないか? 夜の席では力を発揮できなかった者も浮かばれるのではないか?」


 忠興の言うことは理に適っていた。以前シオンも似たようなことを考えたことがある。しかし、口で言うのは容易たやすいが、実践するのは難しい。

 素面しらふの状態で、芸子の歌や踊りを見聞きしたいという者などいるわけがない。いたとしても、それに金を払う者がどれだけいるだろう? そもそも男社会の中でそんな需要が生まれること自体あり得ないことだ。


 シオンの口から小さなため息が漏れる。

 すると、その意味を理解したかのように忠興が続ける。 


「シオン、諦めるのは早計だ。夢物語も実現するやもしれぬぞ」


「今なら……でございますか?」


 自信に満ちた忠興の言葉に、シオンは思わず訊き返す。


「そうだ。そちが『時の人』となった今ならだ。興行に必要な経費はすべて余が援助する。そちは新たな催しを考えるのだ――昼と夜、男と女、大人と子供、それぞれの層が興味を示しそうな、趣向を凝らした催しをな。もちろん、すべてに『歌姫シオン』を登場させる」


 シオンは、目を丸くして言葉を失う。

 そんなシオンを余所よそに、力強い声が大広間に響き渡った。


「シオン、江戸の町に根付かせてみようぞ。芸子の新たな文化というヤツを」



 つづく

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