第52話 つながる思い


「俺は、礼を言われるようなことは何もしていません。消防士として当然のことをしたまでです。それから、怪我は俺の不注意が招いた結果です。里奈と春香のせいではありませんし、藤崎さんが気にされることでもありません」


 響の機械的で馬鹿丁寧な言葉に影響されたのか、清志郎の言葉もどこか堅苦しくなる。


「響ちゃん、お兄さんがいいって言ってるんだから気にしなくてイイんじゃない? 響ちゃんはいつも他人に気を遣い過ぎるところがあるから――」


「――そういうわけにはいかない。礼儀はわきまえるのが当たり前。気を遣い過ぎるなんて意図は毛頭ない」


 里奈が助け舟のつもりで発した言葉を、響は真っ向から否定する。

 清志郎と綾音は、呆れた様子で顔を見合わせる。


「申し遅れました。俺は、渡 清志郎と言います」


「西園寺 綾音です。藤崎さん、よろしくお願いします」


「どうぞお見知りおきを」


 清志郎と綾音が自己紹介をすると、響は両手を身体の前に重ねて深々と頭を下げる。相変わらずの無表情で丁寧過ぎる態度に、場の空気がさらに重いものへと変わる。


「そ、そうそう! 綾音さんはTOKYO DIVAのお仕事をしてるんだよね?」


「うん、そうだよ。何か聞きたいことでもある?」


 里奈のわざとらしい質問に合わせるように、綾音は笑顔で答える。


「あのね、響ちゃんもTOKYO DIVAにエントリーしているの――響ちゃん、綾音さんにお願いしておいたら? 審査の点数をちょっぴり甘くしてもらえるように。そうしたら決勝に残れるかも……なぁんてね」


「不正を働いて良い成績を残したって何の意味もない。それはとても恥ずかしい行為。それなら出場しない方が増し」


 場の雰囲気を和ませようとした、里奈の冗談交じりの言葉に、響は、眉一つ動かすことなく真顔で反論する。


「そんなこと言ったって……私、響ちゃんの歌が好きなんだもん! みんなに聞いて欲しいんだもん! 響ちゃんのバカ!」


「馬鹿と言ったら自分が馬鹿」


 響にたしなめられた里奈は、ほおを膨らませてぷいっと横を向く。

 清志郎と綾音は思った。「取り付く島がない」とは、今の響のためにある言葉だと。


「藤崎さん? TOKYO DIVAにエントリーされてるってことは、音楽の勉強とか活動をなさってるの?」


 綾音が気を遣ったように尋ねると、響は即座に首を横に振る。


「いえ。勉強も活動もしていません。あくまで我流です。頭に浮かんだ旋律を楽譜に落としたり、歌詞をつけて歌ったりしているだけです」


「あのね! あのね! 響おねえちゃんはすごいんだよ! 一度聞いた歌は何でも歌えちゃうの! それにね! 春香の好きな歌も簡単に作ってくれるの!」


 妹の春香がこれ見よがしに大きな声を上げる。

 その様子を横目で見ながら、響は黙っている。反論しないところを見ると、事実なのだろう。


「すげえよな。絶対音感ってヤツだろ?」 


 清志郎が少しわざとらしいリアクションをすると、響は小さく首を縦に振る。


「そう言えば、も言ってたよな。一度聞いた歌は歌えるって」


 遠くを見るような目をする清志郎に、響が反応する。


「あいつとはどなたですか? その方もTOKYO DIVAに出場されるのですか?」


 響の問い掛けに、清志郎は、首を横に振ってゆっくりと空を見上げた。


「あいつは歌姫で、藤崎さんと同じ絶対音感を持っています。TOKYO DIVAに出れば、いいところまで行くでしょう。あいつの歌は、人の心に響いて人を幸せにすることができますから……。あいつは、お節介で、いつも他人ひとのことばかり心配しています。気が強そうに見えて実は繊細で、涙もろくてすごく優しいヤツです」


 綾音たちがいるのを忘れて、清志郎はシオンのことを語り始める。言葉を発しているうちに、清志郎の脳内でイメージが形になって現れる。


『清志郎、良かったな。大切な仲間がみんな無事で』


『無事じゃねえヤツが一人いたよ。とんでもねえ大馬鹿野郎が』


 清志郎は、視線を足元に落として寂しそうな顔をする。


「あいつは大切な仲間です。会いたくてたまらないヤツです。会えないとわかっているのに諦めきれないヤツです……もともと違う世界に住んでて……もうこの世にはいねえのに……手の届かねえところへ行っちまったのに……」


 清志郎は、歯を食いしばって声を詰まらせる。全身から悲しみと悔しさが滲み出ている。


「会いてえよ……シオン……お前に……」


 シオンのことは、目的を達成するための一時的なパートナーとして割り切ったはずだった。情が移らないように接したつもりだった。

 しかし、それは、自分の気持ちを誤魔化したに過ぎなかった。

 

 突然、清志郎がそんな態度を見せた理由を誰も理解できなかった。

 動揺を隠せない綾音は、あたふたしながら、声をかけようかどうか迷っている。里奈と春香は、心配そうな表情を浮かべて顔を見合わせる。


 いつの間にか太陽は雲に隠れ、ビルの屋上を大きな影がすっぽりと覆っていた。

 会話が途切れたことで、都会の喧騒が辺りを席巻する。ヒューヒューとかすれるような音を立ててビル風が舞う。春を思わせる、穏やかな風景が一変した。


 ただ、一変したのは、風景だけではなかった。

 の表情が変わった。

 もともと無表情だったことを考えれば、「表情が現れた」と言った方が正しいかもしれない。

 手に持ったコートを無造作に投げ捨てた彼女は、清志郎の前に両膝をつくと、悲しみに打ちひしがれる、その顔を覗き込んだ――穏やかな笑みを浮かべて。


★★


「――ミヅハノメ、あたいは、ずっとあいつのそばに居たい。だから、あいつのいる時代に人として転生することを願う。ただ、明暦の大火で荒廃した江戸の町を放っておくことはできない。あたいは、江戸の町が一日も早く元に戻るよう全力を尽くす。だから……江戸が復興したとき、あたいの命を断って転生させておくれ」


「わかりました。神の力をもってすれば造作もないことです」


 ミヅハノメが二つ返事で了承すると、一呼吸間が開いて、シオンの口からポツリと言葉が漏れる。


「一つ条件があるんだ」


「条件ですか?」


 ミヅハノメは、不思議そうに尋ねる。


「『あたいの記憶』と『あいつへの想い』を心の奥に封印しておくれ。あいつが、あたいのことを必要だと言うまで」


「シオン、自分が何を言っているのか、わかっているのですか?」


 間髪を容れず、ミヅハノメが驚いたような口調で言った。


「歌姫としての記憶と人を愛する気持ちを失えば、あなたはあなたでなくなります。それは死んだも同然です。決して報われることはありません。江戸で仲間の芸子たちといっしょに寿命を全うした方がどれだけ幸せなことか……。

 何もきっかけがない状態で、彼がに対して『シオンが必要だ』などと意思表示する可能性はゼロに等しい。あなたは一生として生きることになるのですよ。

 そうまでして転生する意味はあるのですか? もはや、それは願いと呼べるものではありません」


 ミヅハノメは、語気を荒らげてまくし立てる。気心が知れたシオンのことを不幸にしたくないといった気持ちがひしひしと伝わってくる。


「あんたの言うことはもっともだよ。でもね、あたいは怖いんだ。あいつがあたいを『必要としていない』と思っていることを知るのが……。今のあいつにとって、あたいは目的を達成するためのパートナーに過ぎない。目的が達成されれば、単なる過去の記憶になり下がる。南城忠興がそうだったようにね……。あたいは、そのことを知るのがすごく怖いんだ」


「シオン、あなたの言っていることには矛盾があります。そう思っているのなら、あなたは彼のいる時代に転生すべきではありません。記憶や人格を失ってまで彼の世界で生きる意味がどこにあるというのです?

 ただ、あなたがどうしてもと言うのなら、良い方法があります。彼の心をあなたへ向けさせましょう。愛の神に頼めばそれも可能――」


「――それじゃあ、ダメだ!」


 ミヅハノメの言葉をさえぎるように、シオンは叫ぶように言い放った。


「あんたの気持ちはうれしい。でも、それじゃあ、ダメなんだ。それは、愛を金で買うようなものだ。あたいが欲しいのはそんな愛じゃない」


 シオンの言葉に深い葛藤が見え隠れする。


「あたいは、あいつに必要とされないかもしれない。でも、いつもあいつのそばにいて、あいつに何かあったとき、力になりたいんだ。だから、あいつと接点のあるところへ転生させて欲しい。傷つきたくないなんて虫が良いのは自分でもわかってる。でも、この思いはどうにもならないんだ……。ミヅハノメ、頼むよ」


 二人の間に沈黙が流れる。

 ふと、シオンの頭の中にミヅハノメの思いが流れ込んで来た。大切なものを失ったような悲しみが感じられる。まるで心が泣いているようだった。

 シオンは、ミヅハノメが自分のことをどれほど大切に思ってくれているのかを悟った。


「……ごめんよ、ミヅハノメ」


 沈黙を破るように、シオンが言葉を発する。

 すると、ミヅハノメは、何もなかったかのように、いつもの口調ではっきりと言った。


「それがあなたの願いであるのなら、却下する理由はありません。あなたの願い、このミヅハノメがしかと承りました。明日、あなたがヒノカグツチの野望を打ち砕き、江戸の復興が形になったとき、あなたの願いは叶えられるでしょう」


★★★


 清志郎の顔を覗き込む響の口から、ポツリと言葉が漏れる。


「泣かないでおくれ。あたいまで悲しくなるじゃないか」


 その瞬間、清志郎の周りから都会の喧騒が消える。まるで時間が止まったようだった。

 清志郎は、ゆっくりと顔を上げる。

 目の前で両膝をついているのは、藤崎響に間違いない。しかし、さっきまでの彼女とはどこか違う。

 その表情は、清志郎が知っている誰かにとてもよく似ていた。


「あたいはTOKYO DIVAに出る。そして、優勝してみせる。もし優勝することができたら、あんたに一つお願いがあるんだ」


 響の潤んだ瞳が、清志郎に何かを強く訴えかけている。

 清志郎は、その瞳に吸い込まれそうになった。


「連れて行っておくれよ、あたいを。今度は、本物の南極に」


 もう一度会えたら話したいことは山ほどあった。何から話そうか迷うぐらいたくさんあった。

 しかし、清志郎の口から言葉は出なかった。胸が一杯で黙って頷くのがやっとだった。


「あんたのケガが治るまで待つよ。待つのは慣れっこさ。三百年以上、あんたを待ってたんだからね」


 響は、黒目がちの瞳を揺らしながら満面の笑みを浮かべた。

 里奈と春香は驚きを隠せなかった。笑った響はもちろん、感情を顔に出した響を見るのは、生まれて初めてだったから。

 しかし、二人の顔には笑みが浮かんでいた。それは、笑顔の響がとても幸せそうで、その顔を見ていたら自分たちまで幸せな気持ちになったから。


 響の両手が清志郎の右手を探り当てる。

 瞳を見つめたまま自分の身体を清志郎にり寄せていく。いつの間にか、二人は息がかかるぐらいの距離まで近づいていた。

 長い黒髪が風になびくたび、シャンプーの良い香りが清志郎の鼻をつく。


「ま、待て……。みんなが見てる」


「何か問題でもあるのかい? 見物料をとるつもりはないよ」


 響は、フッと吐息をついて、清志郎の右手をセーラー服の胸のあたりへと引き寄せる。


「ちょ、ちょっと! 藤崎さん、何やってるの!? あなた、清ちゃんとは初対面でしょ!?」


 響のあまりにも積極的な態度に業を煮やしたのか、ベンチに座っていた綾音が立ち上がって大きな声を上げた。


「初対面と言えば初対面だが……とりあえずキスはした」


「な、な、なんですってぇ!? 清ちゃん! ホントなの!?」


 響の挑発的な言葉に、綾音から怒号のような声が発せられる。同時に、鋭い視線が清志郎にグサリと突き刺さった。


「そ、それはえ! 絶対にえ! 断じてえ! 響……とは」


 清志郎は、奥歯に物が挟まったような言い方をして罰が悪そうに視線を逸らす。


「じゃあ、誰とならあるのよ!? しかも、いつの間にか呼び捨てになってるし!」


「綾音、落ちつきな。年増のヒステリーはみっともないよ」


 あたりの空気が凍りついた。

 綾音の方からピキッという音が聞こえたような気がした。


「あなたね……人がおとなしくしていれば……言いたいこと言ってくれるじゃない! 誰が年増よ!? 誰が小娘よ!? いい加減になさい……! あれ? 小娘……?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする綾音を、響が感慨深そうに見つめる。すると、綾音の顔にも笑みが浮かぶ。


「仕方ないわね。今日はあなたに花を持たせてあげる」


 綾音は、清志郎の顔を横目でチラリと見ると、自分の顔を響の耳元に近づける。


「でも、絶対に負けないからね」


 綾音が囁いた宣戦布告のような一言に、響はフフンと含み笑いを浮かべる。


「望むところさ。あんたがあたいに勝とうなんて三百年早いよ。あんた、知らないのかい? 火事と喧嘩けんかは、江戸の専売特許だよ」


「またわけのわからないこと言ってるし」


 時折笑顔を見せながら、綾音と響は言い合いをする。

 そんな二人を見ていたら、清志郎は、心が温かい何かで満たされていくのを感じた。


 いつの間にか空は暮れ始め、新宿の街は夕焼けの色に染まっていく。とても暖かく、とても心地良い、オレンジの色に。



 つづく(エピローグへ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る