第29話 無念と後悔の場所
★
「ま、待たせたな……清志郎……」
背中越しに、どこかたどたどしい声が聞こえた。
振り向いた先には、朝日を浴びて
白色のセーターにグレンチェックの短めのスカート。黒色のロングブーツとタイツ。アウターには黒色の厚手のロングコート。モノクロのファッションを好む綾音らしいコーディネイトで、落ちついた雰囲気が漂っている。
「ところで、清志郎……? あたいにこんな格好で街を歩けって言うのかい?」
自分の足元に目をやりながら「綾音」はあからさまに不機嫌な顔をする。
「こんな格好? 何か問題でもあるのか?」
清志郎は、首を傾げて不思議そうな顔をする。
「大ありだよ。膝まである履物は重いし、下着の上に着けた布切れが脚にぴったり張りついてる。歩き難いったらありゃしないよ。これが普通の服装なのかい? それとも、小娘の趣味なのかい?」
「両方だ。一般的な服装でもあり、アヤの趣味でもある」
清志郎が淡々と答えたのが面白くないらしく、「綾音」は不満そうに口を尖らせる。
「わかった。服装が気に入らねえから、東京の街へ行くのを止めるってことでいいんだな?」
「バ、バカなこと、お言いでないよ! そんなこと一言も言ってないじゃないか! 行くよ! 行くに決まってるだろ!」
清志郎の意地の悪い問い掛けに、「綾音とシンクロしたシオン」は血相を変えて声を荒らげる。その様子から、シオンが東京行きをとても楽しみにしているのが
★★
二月十三日午前八時の浜町公園。
綾音とシオンは、清志郎を介してシンクロを行った。
シンクロの期間は午後九時までの約十三時間。二人の波動はすんなり一致し、シオンは綾音と一つになった。女同士ということもあったのか、その過程は清志郎のときよりもスムーズだった。
こうして、シオンは、清志郎のエスコートのもと、憧れの東京の街へ繰り出すこととなった。
浜町公園を出て、地下鉄の階段を降りようとしたとき、不意にシオンが足を止める。どこか不安そうな様子が
「どうした? 暗いところが苦手なのか?」
「そんなわけないだろ。どこに暗闇が苦手な幽霊がいるんだい? 笑い話にもならないよ」
清志郎の真面目とも冗談ともとれる質問に、シオンは即座に反論する。
「小娘の身体のことが気になってね。生まれつき身体が弱くて運動も制限されていたらしいじゃないか? こんな階段を普通に下りて大丈夫なのかい? あたいも生身の身体には慣れていないし、負荷がかかるといけないと思ってね」
シオンは、足元の長い階段を心配そうに見つめる。
「ありがとな。アヤのこと心配してくれて。お前、優しいとこあるんだな」
「し、心配なんかするわけないじゃないか! 小娘がどうなろうがあたいの知ったこっちゃないよ……! ただ、あたいは身体を借りてる身だ。借りたものを壊したり傷つけたりするのは道理に反する。それだけのことさ」
シオンは、声を荒らげてどこか照れたような表情を見せる。
わざとらしい反応に、清志郎は口元に力を入れて笑いを堪える。
「わかった。じゃあ、お前の質問に答える。今もアヤは半年に一度、通院している。でも、何か薬を飲んでるわけじゃねえし、急に倒れたり熱を出したりすることもねえ。日常生活に支障はねえってことだ。相変わらず激しい運動は禁じられてるが、この程度の階段を下りるのは問題ねえよ」
「それなら良かった。あたいの取越し苦労……いや、勘違いだったね」
清志郎の説明に、シオンはホッとした顔をする。それでも、左手で階段の手すりを掴んで、注意深く階段を下りていった。
★★
「――シオン、行きたいところがあるんだ。付き合ってもらってもいいか?」
「ああ。どこでも付き合うよ」
地下鉄新宿線に乗った二人は、新宿駅で下車すると、西口を出て副都心の方へ向かった。
地下鉄の中では、車内に貼られた路線図を見ながら、東京の街についてガイドさながらの説明をしていた清志郎だったが、下車してからは口を
不意に、清志郎の足が止まる。
百メートル四方の広大な区画に、黒色と黄色のトラロープが張られ、ところどころに「立入禁止」と書かれた、注意喚起の看板が掛けられている。看板の向こうにあるのは、今にも崩れそうな、廃墟のような高層ビル。
瞬時に、シオンは、それが何であるかを悟った。
「ここは、あのときの火災現場だね?」
シオンが清志郎の背中に問い掛けると、清志郎は無言で頷く。
新宿駅からほど近い一等地にもかかわらず、大惨事の爪痕が痛々しく残る、この空間は、周りとは一線を画している。道を挟んだ反対側の商業施設が多くの買い物客で賑わっているのとは対照的に、ヘルメット被った関係者以外、人の姿は見当たらない。
「過去の世界へ行く前に、もう一度、この景色を見ておきたかった。
一言一言を噛みしめるように言いながら、清志郎はゆっくりと振り返る。
太い眉毛の下の真剣な眼差しが、シオンの瞳に注がれる。
「悪かったな。こんな辛気臭いところに付き合わせちまって……。ただ、お前にも見て欲しかった。俺の無念と後悔が置かれている場所を」
清志郎のどこか寂しそうな言葉に、シオンは、唇をグッと噛んで申し訳なさそうな顔をする。
「清志郎、あたいは――」
「――シオン、勘違いしないでくれ。お前を責めているわけじゃねえ。謝ってもらうためにここへ連れて来たわけじゃねえんだ」
謝罪しようとするシオンに、清志郎は言葉を被せた。
「これから俺が弱音を吐くようなことがあったら、俺の顔をぶん殴ってくれ。『あのときの悔しさを忘れたのか?』ってな。この景色をいっしょに見たお前にガツンと言われたら俺はやれると思う……いや、絶対にやり遂げてみせる」
清志郎の瞳から熱い思いと揺るぎない決意が
シオンは、ゆっくりと首を縦に振った。
「わかった。あんたが少しでも弱音を吐いたら、思いっきりぶん殴って気合を入れてやるよ。覚悟しておきな。ただ、あたいもあんたに一つお願いがあるんだ」
「俺にできることがあれば何でもする。遠慮なく言ってくれ」
真剣な表情を浮かべる清志郎に、シオンも真剣な眼差しで応える。
「あたいにも頼むよ。
つづく
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