第44話 過去への扉


三人あたいらは絶対に負けない』


 その言葉が何かの合図であるかのように、シオンの全身からコバルトブルーのオーラがほとばしる。それは、シオンの体内に宿る霊的エネルギーが具現化したもの。深く澄んだ海を彷彿させる、青色の光がどす黒い炎を蹴散らすように拡がっていく。

 シオンが口ずさむ、静かな旋律に呼応するように、水の檻ウォーター・ジェイルを構成するしずくが辺りに飛び散り、人一人が通れるぐらいの水のトンネルへと姿を変えた。


『清志郎、このトンネルの終点がほこらの入口だよ!』


「わかった。任せとけ!」


 水のスーツを身にまとった清志郎は、トンネルの中を一目散に駆け出した。

 行く手には、憎悪の炎数体が立ちはだかり、清志郎目掛けて次々に襲い掛かる。

 陽炎かげろうのように揺れる炎がトンネルの壁に衝突すると、真っ白な蒸気が立ち上り、金属がれ合うような、不快な音が響く。そんな音がするたび、シオンの身体には、これまで感じたことのないような、激しい衝撃が伝わってくる。


『くっ……やってくれるじゃないか。合体したのは伊達じゃないってことかい』


 シオンは、苦しげに顔を歪めながら炎を睨みつける。


『でも、パワーアップしたのはあんたたちだけじゃない。あたいのトンネルだって捨てたものじゃないよ。それに、今のあたいは独りじゃない。がついてるんだ!』


 シオンは、波状攻撃を仕掛ける炎をあおるように大声で叫んだ。

 二人がついている――その言葉を背中越しに聞いた清志郎の顔に笑みが浮かぶ。なぜなら、清志郎も同じことを考えていたから。


 清志郎は、焼けただれたフェンスを跳び越え、水がほとんどなくなった隅田川に降り立つ。

 辺りを見回すと、トンネルの出口付近に、びついた取っ手が付いた、正方形の石板が目に入った。


「これが、水のほこらか」


 清志郎は腰を落として両の手で取っ手を掴むと、両足を踏ん張ってそれを引っ張ってみた――が、石板はびくともしない。さらに力を込めたが、やはりピクリとも動かない。


「大人の力で普通に持ち上がるんじゃなかったのかよ?」


 清志郎は、焦った様子で石板をしげしげと見つめる。


「……そういうことかよ」


 次の瞬間、清志郎は、石板が動かない理由を理解する。

 憎悪の炎が発する高熱のせいで、石板の縁と周囲の岩盤が融けて一体化し、まるで溶接が施されたされたような状態になっていた。


 清志郎は、手に持っていたバールで石板のところどころを叩いた。しかし、石板は思いのほか頑丈にできており、破壊することはおろか、キズをつけることもままならない。僅かな溝にバールをかませてじ開けようとしたが、溝が浅くバールが入っていかない。


 清志郎の目に、全身全霊をかけて憎悪の炎を抑え込んでいるシオンの姿が映る。

 立ち上るオーラが明らかに弱まっているのがわかった。


「時間がねえ。何とかしねえと」


 焦る気持ちを押さえながら、清志郎は、再び石板の隙間にバールをかませて取っ手を引く。しかし、扉が開く気配は全く感じられない。

 清志郎の頬をひと筋の汗が伝った。


「くそったれ!」


 バールを素早く引き抜くと、渾身の力を込めて先端を石板にぶつけた。祈るような気持ちで何度も何度もぶつけた。しかし、無情にも状況は何も変わらなかった。


「どうしたら……いいんだよ……」


 清志郎は、歯を食いしばりながらバールを握り締める。

 そのとき、バールの柄に書かれた、手書きの文字が目に入った。

 松山千尋――それは、殉職した同僚・松山が書いたもの。几帳面な松山は、自分の持ち物には名前を書くようにしていた。


 清志郎の脳裏に、松山の温厚な顔が浮かぶ。

 同時に、以前、松山が話してくれたを思い出した。


「――火というのは、恐ろしく強い。まともにやりあって勝てる相手じゃない。わしらは火に対して圧倒的な弱者だ。ただ、弱さを認めた瞬間、人は強くなれる。力で敵わないなら、他の何かで対抗すればいい。知恵を使うんだ。先人は知恵を出し合っていろいろな策を講じてきた。カズワリーの最新の装備もすべて先人が積み重ねてきた、知恵の賜物たまものだ。装備だけじゃない。わしらは、時として火の力さえも利用できる。あの強大な力を利用してやるんだ」


 話を聞いたときはピンと来なかった。正直なところ、相槌を打って済ませたところもある。しかし、今ならわかる。松山の言いたかったことが。


「松さんが言ってたこと、やっとわかったよ。今から実行する。しっかり見ててくれ」


 首から下げたお守りをグッと握り締めると、清志郎は、シオンの方へ身体を向けた。


「シオン! ほこらの入口の石板が高熱で融けちまってる。すぐには開けられそうにねえ。だから、に開けさせる」


『ヤツらにって……どういうことだい?』


 清志郎の予想外の提案に、シオンは思わず訊き返した。

 ただ、動揺はなかった。清志郎の目が輝きを失っていなかったから。


「水のトンネルを解除してくれ。俺が石板の上に立ってヤツらに俺ごと攻撃させる。石板が崩壊したら、抜け道ワームホールの周りに水の壁を作ってくれ。そこで心的波動同調シンクロする。少しでもタイミングがずれたら抜け道ワームホールは一巻の終わりだ。ただ、この方法しかねえ。シオン、できるか?」


 命知らずという表現がピッタリの作戦だった。

 シオンは、呆れたような顔で苦笑する。


『あたいが「できない」なんて言っても、どうせ納得しないんだろ?』


「そう言われたら、もう一度頼むだろうな」


『答えはYESしかないじゃないか。いいよ。やってやるよ。水のスーツを最大限に強化しておくが、合体したヤツらの攻撃は半端じゃない。気絶なんかしたら承知しないよ。心的波動同調シンクロができなくなったらおしまいだからね』


 そういうが早いか、シオンは、力強い旋律を歌い始めた。トンネルが崩壊し、水がほこらの方へと移動を開始する。

 その瞬間、数体の憎悪の炎が清志郎に襲いかかった。


「松さん、こいつら掛かりやがった。ざまあ見ろってんだ!」


 全身を炎に包まれながら、清志郎は、勝ち誇ったような表情を浮かべる。

 ただ、そんな表情とは裏腹に身体は凄まじい苦痛に見舞われていた。

 高熱による体温の上昇と高圧の空気による圧迫。呼吸もままならない状態で、全身が押しつぶされそうだった。頭が朦朧もうろうとして、少しでも気を抜けば意識が飛びそうだった。

 そんな状況に陥りながら、清志郎はニヤリと笑った。

 なぜなら、足元の強固な石板――ほこらの扉が融け落ちていくのを感じていたから。


「……シオン!」


『わかってるよ!』


 石板が融け落ちた瞬間、水がほこらの中へ吸い込まれるように流れ込み、抜け道ワームホールが置かれた台座をすっぽりと覆った。同時に、ほこらの周りに半球状の水の壁が出現する。


 清志郎は、覚束おぼつかない足取りで、十数段ある、ほこらの階段を駆け下りる。最後の段で足を滑らせ、背中から仰向けに倒れ込んだ。


『清志郎、よくやった。さすがはあたいのパートナーだ』


 シオンは、大の字になった清志郎の顔を覗き込んで、ホッとしたような顔をする。


「お前の方こそすげえよ。お前がいなかったら、俺はとっくの昔にお陀仏だぶつだった……。いや、すげえのはお前だけじゃねえ。アヤやカズワリーのみんなもだ。みんなのおかげで、俺はここまで来れたんだ」


 清志郎は、感慨深げに呟くと、身体を起こして壁にもたれかかった。


「みんなの思いは無駄にはしねえ。シオン、早いとこ頼むぜ」


『わかった。今から心的波動同調シンクロの契約をする。清志郎、念じておくれ。契約期間は、あたいたちが過去の世界へ到着するまでだ』


 目を閉じた清志郎の胸のあたりに、シオンが右手をかざす。

 不意に、辺りに地鳴りのような音がとどろく。ほこら全体が激しく揺れている。天井からパラパラと土が落ち、ほこらの中の温度が急激に上昇していく。

 シオンの身体に、これまで感じたことのない激しい衝撃が走った。ほこらの周りに展開している、水の壁が激しい攻撃を受けているのがわかった。それは、完全体となった、憎悪の炎によるものだった。


『アグリーメント!』


 シオンの言葉とともに、心的波動同調シンクロは成立した。シオンは、肉体の重みと息苦しさを感じる。


「清志郎、あんたの身体のダメージも相当だが、この息苦しさは尋常じゃないよ。急がないと」


 シオンは、自分たちが危機的な状況に置かれていることを悟った。

 急いで立ち上がると、台座の上でおぼろげに青色の光を放つ抜け道ワームホールの方へ歩を踏み出す。


 その瞬間、耳をつんざくような轟音とともに、シオンの身体に、鋭利な刃物ですたずたに切り裂かれるような衝撃が走った。憎悪の炎が水の壁を無力化した瞬間だった。

 ほこらの天井が崩れ落ち、巨大な炎の大蛇がシオン目掛けて襲いかかる。シオンは、必死の形相で抜け道ワームホールへと手を伸ばした。「間に合ってくれ」。ただ、そう願いながら。



 つづく

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