第50話 TOKYO DIVA


「西園寺グループ協賛のビッグイベントをアヤが担当するわけか……。すげえじゃねえか。予選が三月中旬で決勝が四月初旬か……」


 「TOKYOトウキョウ DIVAディーバ」のポスターを手に取ってしげしげと眺めていた清志郎だったが、不意に怪訝な表情を浮かべる。


「ところで、アヤ。これは何のイベントだ?」


 清志郎の一言に、綾音は、眉間にしわを寄せて珍しいものでも見るような顔をする。


「清ちゃん……? まさか『TOKYOトウキョウ DIVAディーバ』 のこと知らないんじゃないよね!?」


「ああ、初耳だ。聞いたことねえ」


 清志郎がサラリと言ってのけると、綾音は、呆れたような顔で清志郎の顔を見つめた。


「役人は世間知らずだって言うけれど、清ちゃんも例に漏れずその一派だったんだ……」


 綾音は、深々とため息をついて右手で額を押さえる。

 どうやらショックが大きかったようだ。


「おい、アヤ! 俺をそんな目で見るんじゃねえ! そんなに有名なのかよ、その『TOKYOトウキョウ DIVAディーバ』ってのは!? 俺にわかるようにちゃんと説明しろ!」


 恥ずかしさも手伝って、清志郎は声を荒らげる。

 綾音は、仕方がないといった顔つきでゆっくりと話し始めた。


「『TOKYOトウキョウ DIVAディーバ』は、女性シンガーを発掘するための音楽コンテスト。一九六七年から始まった、歴史のあるイベントで、決勝は、桜の花が咲く頃、日本武道館で行われるの。グランプリに輝いたシンガーのほとんどは、日本を代表するビッグネームになっていて、世界で活躍している人も少なくない。

 国民の注目を集めるビッグイベントだから、たくさんの企業が協賛していて、西園寺グループは、かれこれ二十年、筆頭クライアントを務めてる。グループとして文化の醸成に力を入れているのが一義的な理由だけれど、優勝者とのコマーシャル契約の優先権が担保されているから、グループの知名度向上やイメージアップにもつながっているの。そんなわけで、プレッシャーはあるけれど、やりがいのあるお仕事だよ」


 綾音の熱がこもった説明を、清志郎は、このうえなく真剣な表情で聞いていた。なぜなら、胸のあたりに感じるモヤモヤを払拭できずにいたから。


 綾音の話によると、「TOKYOトウキョウ DIVAディーバ」は、清志郎が生まれる前から毎年行われている。にもかかわらず、内容はおろか名前すら知らなかった。

 役人だからと言って、世間ずれしているとは思わない。毎日メディアには目を向け、インターネットのニュースもかかさず検索している。三十年以上の間、そんな有名なイベントを知る機会が無かったことに納得がいかなかった。


「それでね、今年は五十回の記念大会だから特別賞を設ける予定なの。そのネーミングも私が決めるんだけれど……Shion d'orシオン・ドール(黄金のシオン)なんてどうかと思ってるの」


 何の前触れもなく、綾音の口から「シオン」という言葉が飛び出した。

 清志郎は、目を見開いて驚きの表情をあらわにする。


「アヤ! 今、シオンって言ったよな? 誰なんだ? シオンって言うのは?」


 清志郎は、綾音の方へ身を乗り出して問い詰めるような言い方をする。

 清志郎が気を悪くしたと思ったのか、綾音は申し訳なさそうな顔をする。


「ごめん。言葉足らずだったね……。一六五七年に江戸の三大大火の一つ『明暦の大火』が起きて、江戸の町が大打撃を受けたのは知ってるよね? ちょうどその頃、江戸の町に一人の歌姫がいたの。彼女の名前はシオン。その素晴らしい歌声は人々を魅了して『江戸一番の歌姫』なんて呼ばれてたの。

 シオンは、大火で荒廃した、江戸の町を復興するため、毎日歌い続けた。いろいろなところへ出掛けて行っては、その歌声で人々の心を癒し勇気と希望を与えた。四年という短期間で江戸の町が復興を遂げたのは、歌姫シオンに負うところが大きいって言われてるの。これ結構有名な話で中央区の図書館にもいくつか文献があるよ。『TOKYOトウキョウ DIVAディーバ』はシオンの功績を称えて設立されたの。だから、特別賞は彼女の名前を入れたいと思ったんだ」


 綾音の説明を聞いているうちに、清志郎の表情が穏やかなものへと変わっていく。胸のあたりのモヤモヤが払拭され、温かい何かがそれに取って代わる。


 やり残したことがある――シオンが言っていたのは、まさにこのことだった。


 歴史は、大きく変わっていた。

 シオンは幕府の転覆を謀った罪人などではなく、江戸の町の復興に寄与した、伝説の歌姫となっていた。


 清志郎は思った。

 文献に名前が刻まれているのは、今もシオンが人々の心に生き続けていることを意味するのだと。

 綾音は、シオンと過ごした数日間のことを憶えていないが、このような機会を得たことで、シオンのことを心に留めることができたのだと。

 それは、綾音のことを大切な仲間と位置づけ、最後まで守ろうとしたシオンにとっても喜ばしいことだと。


「でもね、ちょっぴり残念なこともあるんだ」


 綾音は、肩まで伸びた髪を両耳に掛けながら、どこか寂しそうな表情を浮かべる。


「残念な話? イベントが上手くいかなかったらアヤの給料がカットされるのか?」


 清志郎がおどけた口調で尋ねると、綾音は、違う違うと言わんばかりに笑顔で首を横に振った。


「シオンは、二十二歳の若さでこの世を去ったの。明暦の大火の後、無理をし過ぎたのがたたったらしいんだ」


「何だよ……それ……」


 清志郎の顔に、驚きと憂いがいっしょになったような表情が浮かぶ。同時に、目の前が真っ暗になり、心が深い悲しみに覆い尽くされていった。



 つづく

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