第50話 TOKYO DIVA
「西園寺グループ協賛のビッグイベントをアヤが担当するわけか……。すげえじゃねえか。予選が三月中旬で決勝が四月初旬か……」
「
「ところで、アヤ。これは何のイベントだ?」
清志郎の一言に、綾音は、眉間に
「清ちゃん……? まさか『
「ああ、初耳だ。聞いたことねえ」
清志郎がサラリと言ってのけると、綾音は、呆れたような顔で清志郎の顔を見つめた。
「役人は世間知らずだって言うけれど、清ちゃんも例に漏れずその一派だったんだ……」
綾音は、深々とため息をついて右手で額を押さえる。
どうやらショックが大きかったようだ。
「おい、アヤ! 俺をそんな目で見るんじゃねえ! そんなに有名なのかよ、その『
恥ずかしさも手伝って、清志郎は声を荒らげる。
綾音は、仕方がないといった顔つきでゆっくりと話し始めた。
「『
国民の注目を集めるビッグイベントだから、たくさんの企業が協賛していて、西園寺グループは、かれこれ二十年、筆頭クライアントを務めてる。グループとして文化の醸成に力を入れているのが一義的な理由だけれど、優勝者とのコマーシャル契約の優先権が担保されているから、グループの知名度向上やイメージアップにもつながっているの。そんなわけで、プレッシャーはあるけれど、やりがいのあるお仕事だよ」
綾音の熱が
綾音の話によると、「
役人だからと言って、世間ずれしているとは思わない。毎日メディアには目を向け、インターネットのニュースもかかさず検索している。三十年以上の間、そんな有名なイベントを知る機会が無かったことに納得がいかなかった。
「それでね、今年は五十回の記念大会だから特別賞を設ける予定なの。そのネーミングも私が決めるんだけれど……
何の前触れもなく、綾音の口から「シオン」という言葉が飛び出した。
清志郎は、目を見開いて驚きの表情を
「アヤ! 今、シオンって言ったよな? 誰なんだ? シオンって言うのは?」
清志郎は、綾音の方へ身を乗り出して問い詰めるような言い方をする。
清志郎が気を悪くしたと思ったのか、綾音は申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん。言葉足らずだったね……。一六五七年に江戸の三大大火の一つ『明暦の大火』が起きて、江戸の町が大打撃を受けたのは知ってるよね? ちょうどその頃、江戸の町に一人の歌姫がいたの。彼女の名前はシオン。その素晴らしい歌声は人々を魅了して『江戸一番の歌姫』なんて呼ばれてたの。
シオンは、大火で荒廃した、江戸の町を復興するため、毎日歌い続けた。いろいろなところへ出掛けて行っては、その歌声で人々の心を癒し勇気と希望を与えた。四年という短期間で江戸の町が復興を遂げたのは、歌姫シオンに負うところが大きいって言われてるの。これ結構有名な話で中央区の図書館にもいくつか文献があるよ。『
綾音の説明を聞いているうちに、清志郎の表情が穏やかなものへと変わっていく。胸のあたりのモヤモヤが払拭され、温かい何かがそれに取って代わる。
やり残したことがある――シオンが言っていたのは、まさにこのことだった。
歴史は、大きく変わっていた。
シオンは幕府の転覆を謀った罪人などではなく、江戸の町の復興に寄与した、伝説の歌姫となっていた。
清志郎は思った。
文献に名前が刻まれているのは、今もシオンが人々の心に生き続けていることを意味するのだと。
綾音は、シオンと過ごした数日間のことを憶えていないが、このような機会を得たことで、シオンのことを心に留めることができたのだと。
それは、綾音のことを大切な仲間と位置づけ、最後まで守ろうとしたシオンにとっても喜ばしいことだと。
「でもね、ちょっぴり残念なこともあるんだ」
綾音は、肩まで伸びた髪を両耳に掛けながら、どこか寂しそうな表情を浮かべる。
「残念な話? イベントが上手くいかなかったらアヤの給料がカットされるのか?」
清志郎がおどけた口調で尋ねると、綾音は、違う違うと言わんばかりに笑顔で首を横に振った。
「シオンは、二十二歳の若さでこの世を去ったの。明暦の大火の後、無理をし過ぎたのが
「何だよ……それ……」
清志郎の顔に、驚きと憂いがいっしょになったような表情が浮かぶ。同時に、目の前が真っ暗になり、心が深い悲しみに覆い尽くされていった。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます