第47話 Everything


『清志郎、待っていておくれ』


 シオンは、声にならない言葉を清志郎に掛けながら、ゆっくりと立ち上がった。

 真っ赤な炎が二人の周りを取り囲み、宙に舞い上がった火の粉が辺りに降り注ぐ。


 シオンは、視線を天井に向けて静かに目を閉じた。清志郎と過ごした日々の出来事が脳裏に浮かぶ。

 出会ったのはほんの数日前。にもかかわらず、昔からずっといっしょにいるような気がした。


 左手を胸に当てて一つ小さく深呼吸をすると、シオンは囁くように歌い始めた。

 MISIAが歌った、しっとりしたバラード「Everythingエブリシング」。清志郎のことを思い浮かべた瞬間、旋律が心に溢れてきた。


 シオンの言葉は声にならない。その歌は誰にも届かない。

 しかし、闇雲に歌っているわけではなかった。

 シオンはに聞いてもらうために歌っていた。


『お願いだ。あたいの歌を聞いておくれ。あたいの願いを叶えておくれ。あたいの大切なひとを助けておくれ』


 シオンは思った。三百年の時間ときを隔てた世界で、清志郎が自分のことを見つけてくれたように、心の声に気づいてくれる人がきっといると。そんな人であれば、清志郎の存在にも気づいてくれるはずだと。


『清志郎、憶えてるかい? 初めて会った日のこと。あんた、頑固だったね。あたいが話を聞いて欲しいって言ってるのに、全く聞いちゃくれないんだから……。でも、仕方ないね。あたいのせいで、あんたは、大切なものをたくさん失っちまったんだから』


 シオンは、歌いながら心の中で清志郎に語り掛ける。


『あんたといっしょにいて、わかったことがあるよ。あんたは大切なものを命をかけて守ろうとする。そして、約束は必ず守ってくれる。

 さっきだって、あたいを守ってくれた。あたいの仲間も助けてくれた。自分のことを犠牲にしてね……。清志郎、あんたみたいなヤツのことを何て言うか知ってるかい? 「大馬鹿」って言うんだ。あんたは、どうしようもない大馬鹿だ』


 憎まれ口のような言葉とともに、シオンの顔に微かに笑みが浮かぶ。


『でも、他人ひとのことは言えない。あたいも、あんたに輪をかけた大馬鹿だ。だから、約束は守る……。絶対にあんたを守ってみせる』


 炎の勢いが増している。いつの間にか階段にも火の手が及び、柱を伝う炎が清志郎の足元まで迫っていた。


「シオン、ダメだ……。お前まで巻き込まれる……。俺から離れろ……」


 息も絶え絶えに、清志郎が苦しそうに呟く。

 しかし、そんな声を後目しりめにシオンは歌い続ける。絶体絶命の窮地に立たされながら、その顔には穏やかな表情が浮かんでいる。

 そんなシオンを見ていると、清志郎は、なぜか心が穏やかになっていくのを感じた。


 次の瞬間、清志郎は「その答え」を知る。


 シオンの歌が聞こえた。

 燃え盛る炎の音を掻き消すように「Everything」が響き渡っている。

 ただ、シオンの口から声は出ていない。シオンの歌は、直接、清志郎の心に響いていた。


「シオン……聞こえる。お前の声が聞こえる」


 清志郎は、思い出した。小さい頃、隅田川のほとりで、似たような感覚を覚えたことを。そして、幸せな気持ちで心が満たされたことを。


「やっぱりお前だった。いつも俺たちを見守ってくれてたのは……。シオン、ありがとな」


 清志郎は、満足げな笑みを浮かべながら、力尽きたように目を閉じた。身体はうに限界に達していた。


『ダメだ! 目を開けておくれ! お願いだ! 清志郎!』


 シオンは心の中で叫んだ。

 しかし、清志郎には、そんな声に応える力はもう残っていなかった。


★★


 不意に、階段の方から何かが壊れるような音が聞こえた。

 シオンの瞳に、火事装束を身にまとった、大柄な男たちの姿が映る。

 その数は六人。それぞれの手には、障害物を排除するための道具――鳶口とびぐちのこぎりが握られている。

 目元だけ開いている猫頭巾を頭から被っているため、表情はよくわからない。


「ほら見ろ! ちゃんとじゃねえか! 時間がねえ! 救助活動を押っ始めるぜ!」


 階段を先頭で上がってきた、リーダー格の男が、大きな声でシオンの救助を指示する。

 二人の男が、持っていた鳶口とびぐちで火のついた床の一部を破壊してシオンの元へと赴き、シオンを火の外へ連れ出そうとする。

 しかし、シオンは、男たちの手を振りほどいて首を何度も横に振る。このまま清志郎を置いて行くわけにはいかなかったから。


 相変わらず、シオンは声を出すことができない。仮に出せたとしても、男たちに清志郎の存在を認識させることはできない。ただ、死んでも諦めるわけにはいかなかった。

 シオンは、柱の下敷きになっている清志郎の方を指差しながら必死に訴えた。


「もしかして、あんた、口が利けねえのか? おかしいな……。俺たちがここへ来たのは、あんたの歌が聞こえたからなんだぜ。こいつらは、俺の空耳だとか抜かしやがったがな」


 リーダー格の男の言葉に、シオンの動きが止まる。驚いた様子で男の顔をまじまじと見つめた。


「大丈夫だぜ。そのも、俺たちが責任を持って助けるからよ」


 男には、清志郎の姿が見えていた。

 シオンは、目を見開いて両手で口を押さえた。瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。

 

「二人ずつに分かれて、そこの二本の柱を持ち上げろ! 俺がいいって言うまで下ろすんじゃねぇぞ……! 何? そんなことやる意味がわからねえ? 決まってるだろ! 柱の下にいる若造を助けるんだよ! 時間がねえんだ! ごちゃごちゃ言ってねえで言うとおりにしろ! 後で好きなだけ飲ませてやっからよ!」


 男に言われるまま、火消したちは渾身の力を込めて火のついた柱を持ち上げる。

 男は、気を失った清志郎を柱の下から引きずり出すと、すばやく背中に担ぎ上げた。


「よし、いいぜ! 今から外に出る! 陣形を崩すなよ! 二人の安全が第一だ!」


 男たちは、足早に階段へと向かう。

 辛うじて人一人が通れるほどの退路が確保されている。


「……くっ!」


 清志郎の口から言葉が漏れる。傷の痛みで意識を取り戻したようだ。


「おう、気が付いたか、若造? もう少しがんばれ。外に出たら手当てしてやっからよ」


 清志郎は、驚きの表情を浮かべる。


「俺の姿が……見えるのか? あんたは一体……」


「俺か? 俺は……おっと! 舌を噛むといけねえ。しばらく黙ってな」


 男は、清志郎を背負って狭い階段を一気に駆け下りる。そして、勢いをそのままに正面玄関から中庭へと飛び出した。別の男に抱きかかえられたシオンも後に続く。

 全員が中庭へ出た瞬間、轟音とともに屋敷の二階が崩れ落ちた。さっきまで清志郎たちがいた場所だった。


「絵に描いたような危機一髪じゃねえか。でも、二人とも無事でよかったぜ」


 男は、荒い呼吸をしながら、ゆっくりと清志郎を芝生の上に座らせる。

 間髪を容れず、シオンが勢いよく清志郎に抱きついた。


「痛ててて! シオン、俺は重病人だぞ! もっといたわれよ!」


「そうか……! その嬢ちゃん、どっかで見た顔だと思ったら、歌姫のシオンじゃねえか!? 道理ですげえ歌を歌うはずだぜ。なんたって、あんなに離れた火災現場から声が聞こえたんだからよ」


「シオンの歌が聞えたって……あんた、一体何者だよ?」


 狐につままれたような顔で、清志郎は、さっきと同じ質問をする。

 男は、被っていた猫頭巾をゆっくりとはずす。

 シオンが、あっと声を呑むように男を指差した。


「若造の姿が見えるのも特別なら、嬢ちゃんの歌が聞えるのも特別ってわけか? ただ、俺は特別でも何でもねえ。しがねえ火消し『渡 清吉』ってんだ」



 つづく

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