第47話 Everything
★
『清志郎、待っていておくれ』
シオンは、声にならない言葉を清志郎に掛けながら、ゆっくりと立ち上がった。
真っ赤な炎が二人の周りを取り囲み、宙に舞い上がった火の粉が辺りに降り注ぐ。
シオンは、視線を天井に向けて静かに目を閉じた。清志郎と過ごした日々の出来事が脳裏に浮かぶ。
出会ったのはほんの数日前。にもかかわらず、昔からずっといっしょにいるような気がした。
左手を胸に当てて一つ小さく深呼吸をすると、シオンは囁くように歌い始めた。
MISIAが歌った、しっとりしたバラード「
シオンの言葉は声にならない。その歌は誰にも届かない。
しかし、闇雲に歌っているわけではなかった。
シオンは誰かに聞いてもらうために歌っていた。
『お願いだ。あたいの歌を聞いておくれ。あたいの願いを叶えておくれ。あたいの大切な
シオンは思った。三百年の
『清志郎、憶えてるかい? 初めて会った日のこと。あんた、頑固だったね。あたいが話を聞いて欲しいって言ってるのに、全く聞いちゃくれないんだから……。でも、仕方ないね。あたいのせいで、あんたは、大切なものをたくさん失っちまったんだから』
シオンは、歌いながら心の中で清志郎に語り掛ける。
『あんたといっしょにいて、わかったことがあるよ。あんたは大切なものを命をかけて守ろうとする。そして、約束は必ず守ってくれる。
さっきだって、あたいを守ってくれた。あたいの仲間も助けてくれた。自分のことを犠牲にしてね……。清志郎、あんたみたいなヤツのことを何て言うか知ってるかい? 「大馬鹿」って言うんだ。あんたは、どうしようもない大馬鹿だ』
憎まれ口のような言葉とともに、シオンの顔に微かに笑みが浮かぶ。
『でも、
炎の勢いが増している。いつの間にか階段にも火の手が及び、柱を伝う炎が清志郎の足元まで迫っていた。
「シオン、ダメだ……。お前まで巻き込まれる……。俺から離れろ……」
息も絶え絶えに、清志郎が苦しそうに呟く。
しかし、そんな声を
そんなシオンを見ていると、清志郎は、なぜか心が穏やかになっていくのを感じた。
次の瞬間、清志郎は「その答え」を知る。
シオンの歌が聞こえた。
燃え盛る炎の音を掻き消すように「Everything」が響き渡っている。
ただ、シオンの口から声は出ていない。シオンの歌は、直接、清志郎の心に響いていた。
「シオン……聞こえる。お前の声が聞こえる」
清志郎は、思い出した。小さい頃、隅田川の
「やっぱりお前だった。いつも俺たちを見守ってくれてたのは……。シオン、ありがとな」
清志郎は、満足げな笑みを浮かべながら、力尽きたように目を閉じた。身体は
『ダメだ! 目を開けておくれ! お願いだ! 清志郎!』
シオンは心の中で叫んだ。
しかし、清志郎には、そんな声に応える力はもう残っていなかった。
★★
不意に、階段の方から何かが壊れるような音が聞こえた。
シオンの瞳に、火事装束を身に
その数は六人。それぞれの手には、障害物を排除するための道具――
目元だけ開いている猫頭巾を頭から被っているため、表情はよくわからない。
「ほら見ろ! ちゃんといるじゃねえか! 時間がねえ! 救助活動を押っ始めるぜ!」
階段を先頭で上がってきた、リーダー格の男が、大きな声でシオンの救助を指示する。
二人の男が、持っていた
しかし、シオンは、男たちの手を振りほどいて首を何度も横に振る。このまま清志郎を置いて行くわけにはいかなかったから。
相変わらず、シオンは声を出すことができない。仮に出せたとしても、男たちに清志郎の存在を認識させることはできない。ただ、死んでも諦めるわけにはいかなかった。
シオンは、柱の下敷きになっている清志郎の方を指差しながら必死に訴えた。
「もしかして、あんた、口が利けねえのか? おかしいな……。俺たちがここへ来たのは、あんたの歌が聞こえたからなんだぜ。こいつらは、俺の空耳だとか抜かしやがったがな」
リーダー格の男の言葉に、シオンの動きが止まる。驚いた様子で男の顔をまじまじと見つめた。
「大丈夫だぜ。その妙な恰好をした若造も、俺たちが責任を持って助けるからよ」
男には、清志郎の姿が見えていた。
シオンは、目を見開いて両手で口を押さえた。瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「二人ずつに分かれて、そこの二本の柱を持ち上げろ! 俺がいいって言うまで下ろすんじゃねぇぞ……! 何? そんなことやる意味がわからねえ? 決まってるだろ! 柱の下にいる若造を助けるんだよ! 時間がねえんだ! ごちゃごちゃ言ってねえで言うとおりにしろ! 後で好きなだけ飲ませてやっからよ!」
男に言われるまま、火消したちは渾身の力を込めて火のついた柱を持ち上げる。
男は、気を失った清志郎を柱の下から引きずり出すと、すばやく背中に担ぎ上げた。
「よし、いいぜ! 今から外に出る! 陣形を崩すなよ! 二人の安全が第一だ!」
男たちは、足早に階段へと向かう。
辛うじて人一人が通れるほどの退路が確保されている。
「……くっ!」
清志郎の口から言葉が漏れる。傷の痛みで意識を取り戻したようだ。
「おう、気が付いたか、若造? もう少しがんばれ。外に出たら手当てしてやっからよ」
清志郎は、驚きの表情を浮かべる。
「俺の姿が……見えるのか? あんたは一体……」
「俺か? 俺は……おっと! 舌を噛むといけねえ。しばらく黙ってな」
男は、清志郎を背負って狭い階段を一気に駆け下りる。そして、勢いをそのままに正面玄関から中庭へと飛び出した。別の男に抱きかかえられたシオンも後に続く。
全員が中庭へ出た瞬間、轟音とともに屋敷の二階が崩れ落ちた。さっきまで清志郎たちがいた場所だった。
「絵に描いたような危機一髪じゃねえか。でも、二人とも無事でよかったぜ」
男は、荒い呼吸をしながら、ゆっくりと清志郎を芝生の上に座らせる。
間髪を容れず、シオンが勢いよく清志郎に抱きついた。
「痛ててて! シオン、俺は重病人だぞ! もっと
「そうか……! その嬢ちゃん、どっかで見た顔だと思ったら、歌姫のシオンじゃねえか!? 道理ですげえ歌を歌うはずだぜ。なんたって、あんなに離れた火災現場から声が聞こえたんだからよ」
「シオンの歌が聞えたって……あんた、一体何者だよ?」
狐につままれたような顔で、清志郎は、さっきと同じ質問をする。
男は、被っていた猫頭巾をゆっくりとはずす。
シオンが、あっと声を呑むように男を指差した。
「若造の姿が見えるのも特別なら、嬢ちゃんの歌が聞えるのも特別ってわけか? ただ、俺は特別でも何でもねえ。しがねえ火消し『渡 清吉』ってんだ」
つづく
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