第11話 命の代償


 目を開けると、そこには、初めて目にする、白い天井があった。


「清ちゃん……? 気が付いたんだ。良かった」


 ベッドの脇に座る綾音がホッとした表情を浮かべる。

 目の縁には薄黒いくまができ、とても疲れているように見える。


「心配したんだよ。まる二日間、眠ったままだったから」


「アヤ……ここは……病院か?」


 清志郎は、視線を泳がせながら弱々しい口調で尋ねる。頭の中に白いもやがかかったようだった。


「新宿の東都医大付属病院だよ。清ちゃんは火災現場で気を失って搬送されたの。お医者様は、軽い一酸化炭素中毒と火傷だから命に別状はないっておっしゃってた」


「そうか……。悪かったな。心配掛けちまって」


 清志郎の言葉に、綾音は何度も首を横に振る。


「あの姉妹……里奈と春香はどうなった?」


「二人とも無事だよ。軽い火傷があるぐらい。マンションのベランダにいるところをヘリコプターで救助されたの。少し前にお母さんといっしょに挨拶に来て、清ちゃんに何度もお礼を言ってたよ」


「そうか……。良かった……」


 安堵あんどの表情を浮かべると、清志郎は静かに目を閉じる。

 しかし、次の瞬間、その目が大きく見開いた。


「アヤ! みんなは……カズワリーの四人はどうなった!?」


 清志郎はベッドから上半身を起こすと、点滴の管が付いた手で綾音の細い腕につかみ掛かった。その表情から鬼気迫るものが感じられる。

 綾音は、顔を強張らせて唇を震わせる。そして、何も言わずに視線を逸らした。


「そういうこと……なのか……?」


 力のない言葉と同時に、清志郎の両手から力が抜けていく。


「清ちゃん……」


 何か言葉を掛けようとした綾音だったが、言葉が出てこなかった。


「……畜生……畜生……畜生……畜生! 畜生!! 畜生!!!」


 廊下まで聞えるような、大きな声が病室に響き渡る。

 清志郎は歯を食いしばって、苦しそうな表情で全身を震わせた。


「俺は何もできなかった……俺のせいだ……俺のせいでみんなは……」


 喉の奥から言葉をしぼり出すと、清志郎は項垂うなだれるようにうつむいた。

 イスから立ち上がった綾音は、清志郎の顔を両手で優しく抱きしめる。


「清ちゃんは何も悪くないよ。立派に任務を果たしたんだもの。子供たちを助けたんだもの。みんな、褒めてくれてるよ。『清志郎、よくやった』って。清ちゃんのこと……みんな……誇りに……思ってるよ……」


 涙がこぼれるのを必死にこらえながら、綾音は語り掛けた。清志郎の嗚咽おえつと身体の震えが収まるまでずっとずっと。


★★


 マンションの中層階が原形を留めていないほどの被害があったにもかかわらず、住人に死傷者がいなかったのは奇跡以外の何物でもなかった。


 そんな中、消防庁事故調査委員会が調査と審議に時間を費やした背景には、カズワリーの隊員四人の殉職に伴う、指揮官の責任問題があった。

 参考人として召致された清志郎は、自分が目にしたことを包み隠さず証言した。しかし、委員の理解を得ることはできなかった。瞬時に人間を気化する、どす黒い炎やそんな炎から自分を守ってくれた水の存在を信じろと言うのは、土台無理な話だった。


 並行して行われた、警察機関による捜査の結果は、火災自体に事件性はあるものの指揮官に対する刑事責任は問わないとのことだった――が、事故調査委員会による審議の結果は、指揮官の更迭こうてつだった。清志郎は、カズワリーの隊長職から解任され消防庁へ復職することとなった。

 解任の理由は「隊員の死を重く受け止め隊の立て直しを図る」というもの。ただ、実際は、暫定運用にあるカズワリーの今後の展開への影響を懸念したものであり、極めて政治的な判断だった。


 委員会の決定に清志郎は納得がいかなかった。ただ、反論はしなかった。

 清志郎は、自分が取るべき行動を冷静に考えた。


『自分がいなくてもカズワリーは機能する。しかし、自分がいることで国会で槍玉やりだまに挙げられたり、様々な場でバッシングを受ける可能性がある。そうなれば、カズワリーの活動に制約がかかり、今後の展開が白紙に戻されるかもしれない』


 カズワリーは、清志郎が消防庁防災対策官として立上げに尽力した特別消防部隊。その背景には、祖父や父にまつわる、やりきれない思いがあった。

 消防機関の充実により消防士と社会双方の安全性を高めることこそ、清志郎が目指しているもの。その考えを貫くのであれば、自分がどんな行動をとるのがベターなのかは、火を見るより明らかだった。


 カズワリーの中で清志郎を責める者は誰一人としていなかった。それどころか、清志郎が解任される話を聞いたとき、全員が目の色を変えて怒りをあらわにした。


「清志郎は、何も間違ったことはしていない」

「清志郎に責任を押し付けるのはおかしい」

「決定を変えるよう、消防庁へ直談判する」


 どの隊員の顔も真剣そのものだった。

 清志郎は、不謹慎だと思いながら、仲間の思いをとてもうれしく思った。同時に、この二年間、自分がやってきたことに間違いはなかったと確信した。

 しかし、そんな仲間たちに清志郎ははっきりと告げた――カズワリーを去ることを。


 清志郎は、一週間の出勤停止後、二月十五日付けで、隊長職の解任及び消防庁への復職を命ぜられる。



 つづく(第2部へ)

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