サミュエルという事象(6)

「そんな言い方……」

「いいよセレス。これは世間の問題だから」


 激昂するセレスティーヌを制したサミュエルの声は優しかった。その優しさがセレスティーヌをより不甲斐ない思いにさせていると、知っているのだろうか。

 諦めたような彼の目を、セレスティーヌは恨めしく思った。


「きっとそこだろうね。ぼくが村で初めての修復士になったことと、村で内紛が起きたこと。あまりにも時期が近すぎた」

「村の人間はあなたを嫌悪しておいでで?」

「さあ」


 配慮というものを知らないアルベールの物言いはいっそ清々しいものだった。サミュエルも気を害するような男ではないからなんてことない風に応じる。セレスティーヌだけが怒りを覚え、そして蚊帳の外みたいだった。


「目を閉じると首を絞められる悪夢ばかり見ていたから、何が現実で何が本の世界か、もうわかんないや」

「サミュさん」

「修復士ってのは才能ひとつで選ばれて、誰にも拒否権はないわけだけど。『過激派ばかりの片田舎出身の少年に、修復士という国の仕事を任せていいのか』と疑うやつが出ても……まあ、おかしくはないよね」


 サミュエルは焼けた大地を歩き続けた。熱さもなく、痛みもなく、ただ焼け焦げた草の臭いはやたらと鼻をつく。視覚と嗅覚のみで描かれる世界というのが、ここをいっそう曖昧な世界に魅せていた。


 ゴシップのような見出しが踊ることはなくなったが、先頭を行くサミュエルが足を止めた。終着点らしい。焼けた土地に積み上がっていた屍の山はもうない。セレスティーヌが悲惨さに胸を痛めた事象はない。

 代わりに、人のいない家が――燃えかすとなった家が一軒、あるだけだった。


「ここはね、ぼくの家」


 家だったもの、とサミュエルは言い直した。

 ぽつんと、燃えた柱の骨組みが真っ黒に染まってかろうじて建っている。ジュブワの村が内紛で燃えた、その残りかすだとでも言うように。一階建てのつくりをしたそれは決して大きいとは言えない。王都の中流階級でももうちょっと大きめな家に住んでいる。

 物悲しい風が一陣、吹き抜ける。他に音はない。誰かが待っているわけでもなく、誰かを期待しているわけでもない。虚しさがセレスティーヌに去来した。であればサミュエルはどんなにか辛いだろう。


「新聞の歪みの原因、ですか。確かにらしい反応は他に見当たりませんが」


 アルベールの声には困惑の色がありありと滲んでいる。


「これを、どうやって修復するおつもりで?」

「……本の思いを受け止めること。それがぼくの信じる修復士だけど」


 目の前にある廃材が、何か声を発する気配すらない。命というものを感じない。ただ瓦礫寸前の骨格が、かろうじて姿を留めているだけだ。

 今までならば。偉人であれ空想の人物であれ動物だって、その思いを言葉にしてサミュエルたちに伝えてくれた。しかしここにあるのは命の抜けた無機物だ。サミュエルに何か無念を伝えることもない。


「ぼくを苦しめていた村の人達ももう出てこないし……困っちゃうよね、さすがに」


 乾いた笑い声で喉を震わせるサミュエルは、また諦めた笑みを貼り付けていた。セレスティーヌの胸の奥に強い炎が灯る。


「私の術式で再度、この家を浄化しますか?」

「でもそれって根本的解決にはならないでしょ? どうして本が歪んだのか、その原因を突き止めないことには」

「けれどお得意のメッセージとやらは聞こえないじゃないですか」

「そうなんだよね。もう、ぼくに愛想でも尽かしちゃったのかな」


 まただ。彼がははっと掠れた声で笑うたび、セレスティーヌの深層に宿った炎が激しさを増していく。春に出会ってまだ数ヶ月、季節を一巡してさえいない。そんな男の何を理解していたのかと言われれば、セレスティーヌは彼のファミリーネームすら知らなかったけど。

 セレスティーヌが敬愛してやまない修復士サミュエルは、そんな顔で笑わない。


 パン、とお上品な平手打ちがサミュエルの頬にヒットした。


「……え。セレス、え?」

「いい加減に、してください!」


 目を白黒させているサミュエルは目に見えて動揺していた。それもそうだろう、訳ありバイトの彼女が手を出すような荒々しい気性の娘でないことは、彼もわかっている。生真面目で感受性豊かな女性であると、わかっているはずだ。

 慣れないことをしたせいか、てのひらがひりひりと痛む。きっと赤くなってしまっているだろう。しかし情けない様を見せたくはなかったので、唇を噛み締めてみっともない自分を隠す。そうして、セレスティーヌは大声で……人生で一番くらいの大声で叫んでやった。


「なんですか、さっきから諦めたことばっかり! 私が知っている修復士は、自分の使命を投げ出すことなんてしません!」

「あの、マドモワゼル? なにやら人が変わったようで」

「アルベールさんは黙っていてください!」


 空気の読めない男に口を挟む余地など与えない。セレスティーヌの鬼気迫る一喝にアルベールは肩をびくりとさせ、すごすごと引っ込んだ。


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