怪盗ルナール(2)
「君たちも気付いてるんだろう? この世界が狂いつつあることに」
刑務所の地下も地下、凶悪犯のみが収監される独房。そこにそぐわない、からりとした笑い声が響く。能天気にも思われる甲高い男声はしかし、怪盗ルナールと名乗る男のものだった。
囚人服に身を委ね、灰色と白のボーダー姿となった彼にセレスティーヌはショックを覚える。まさか大怪盗がこんな惨めな姿を迎えるなんてと、信じられない様子だった。
「つまり、この本が傷ついていることをきみは自覚してるんだね」
「左様。なんなら原因もわかっている」
心ここにあらずのセレスティーヌはよそに、サミュエルはいつものお気楽な語り口でルナールに質問をしていく。銀の綿毛みたいな髪の毛は反射する光を見失い、普段よりもくすんだ色に見える。
「へえ、じゃあ話は早いや。きみは何が原因だと思ってるの?」
「しかし私もトリックスター。ただ推測を語るのでは怪盗の名がすたるというものだ」
「ぼくは語るだけでいいんだけどね」
サミュエルの要望はあっさりと無視され、代わりにルナールは艶めく金髪を翻した。マントもなければトランプだって持っていない。
「では、ご両人! 一体どうして、この本だけが汚れてしまったのか!?」
「ええー……」
サミュエルの嫌そうな声が返事代わりにこだました。
この本だけ。つまり、シリーズ第五巻で大人気を誇るこの一冊だけが、装丁を黒く汚している。他の巻が侵食されていないことは、この世界に潜る前にセレスティーヌが確認済みだ。
「セレス。きみ、心当たりある?」
「……え?」
サミュエルには自ら考えるという選択は最後の手段に思えた。であるがゆえにセレスティーヌに答えを出してもらおうと画策したのだが、当のセレスティーヌは心ここにあらず。憧れの怪盗ルナールの情けない姿に悲嘆に暮れているらしい。生返事が来るだけで、いつもの真剣な思考は停滞しているようだった。
頼みの助手は今回はお休みだ。サミュエルはため息をひとつついた。
「久々だな。ぼくが頭を使うなんて」
修復士として品位を疑う発言だが、事実サミュエルはここ数ヶ月楽をしてきた。セレスティーヌという助手のおかげで、ブレーンの部分は彼女に一任することが(さりげなく)できていたのだ。どうして本が嘆いているのか、本の知識が豊富なセレスティーヌはサミュエルにとって頼もしい存在であった。
思考の海に潜る。
「人気シリーズ。第五巻。新キャラ。ロングセラー」
思い付くワードを呟いていく。それはさながら、点と点を繋ぎ合わせて作る絵のように。セレスティーヌには及ばないが、サミュエルも修復士として必要な知識は心得ている。
『怪盗ルナール』シリーズについては、しかし詳しいわけではない。だから今からサミュエルがやることは推論に過ぎない。それが彼のやり方だ。
「――テコ入れ」
サミュエルは瞑目し、一言。それだけ告げた。怪盗ルナールの表情は崩れない。天下の大泥棒はポーカーフェイスが板についている。
「と言うと?」
「第五巻の新キャラの登場で爆発的に売れたのだと考えるのなら、その新キャラに原因がある。望まない形でのベストセラー……きみは、テコ入れで人気となったことを不本意に思っている」
怪盗ルナールそのものは、当然シリーズに何度も登場する。そのルナールが五巻だけにマイナスな思いを抱く理由。サミュエルはそう結論付けた。静かに、相手の出方を待つ。
くつくつと、怪盗の喉が鳴った。
「これが、名高い修復士の慧眼というやつか。なるほど実に面白い。修復士なぞやめて探偵にでもなったらいかがか?」
「ぼく、窓際で昼寝をしてるのが至福なんだよね」
それは残念、と怪盗ルナールは大袈裟に頭を垂れた。一人のエンターテイナーが幕切れを告げる、優美な一礼だった。
「左様。この本が出るまで……違う、警部が出るまで怪盗ルナールはシリーズとして不調で、もし五巻が売れなければ打ちきりという局面にあった」
対象が児童向けというのもあり、初動も悪くはなかったためシリーズ化に踏み切ったが、巻数を重ねるごとに顕在化するマンネリ。それに呼応するかのように離れていく読者。作者は自らの首をかけ、この巻の執筆に望んだとルナールは語る。
「自分の作家生命と、作家としてのプライド。そのふたつを秤にかけて、彼は前者をとった。ライバルを産み落とし、おかげで怪盗ルナールは大人気となったわけさ」
「作家としてのプライド、ですか……?」
ようやく我を取り戻したらしいセレスティーヌが話の輪に加わる。読者として裏話を聞かずにはいられなかったのだろうか、それとも。
怪盗ルナールは酷薄な笑みを唇に浮かべた。
「『売れる』本を書いたのさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます