怪盗ルナール(3)
売れる、という言葉の意味を噛み締めるように、セレスティーヌは静かに反芻する。打ちきり寸前の小説を続ける方法、それはもちろん売れることだ。
では売れるためにはどんなことをすればいいのか。その答えが、バスティエ警部の登場にあったという。
「怪盗ルナールにライバルはいなかった。国中どこにでも現れる、それが私のスタンスだからさ。私だけを追いかける警官は存在しなかった。しかし、警部の登場でシリーズは怪盗ルナールvsバスティエ警部の構図を鮮明にした」
人気が出れば再演を望まれる。怪盗ルナールは事実、六巻以降宝石を盗むことが増えていった。すべてはバスティエ警部を登場させるためだ。宝石を盗むまでの鮮やかな手腕と駆け引きは健在だとしても、以前のような金銭的価値の少ないものはターゲットにしなくなっていった。
ルナールは固く閉じられた錠前を苦々しげに睨んだ。
「私は警部と戦いたくて盗むのではない。作者の苦肉の策に付き合ってやる義理はないのだよ」
「……それは、きみが難攻不落のものを盗む理由に関わってくるのかな」
「私は怪盗であるが、それ以前にエンターテイナーだ。誰も思い付かないことをしてこその芸人というもの」
盗人が芸人を名乗るのはどうかと思うけど、とサミュエルは断りをいれておく。
「うん。でもきみの思いは受け止めたよ」
「サミュさん、どうするんですか? ルナールさんがバスティエ警部との対峙を望んでいないことはわかりましたけど……」
「まさかお嬢さん、このルナールの話をタダで聞いて帰るおつもりか?」
怪盗はあくどい笑みを浮かべてみせた。不穏な微笑みにセレスティーヌはたじろぐ。
「タダでって、え……?」
「どうせなら最後まで見ていきたまえ。私という
***
どんなに小さな穴でも、そこに穴があれば。怪盗ルナールはすり抜けて脱出してしまう――ルナールを表す有名な言葉だ。
いくら地下の牢獄でも、錠前ひとつで怪盗ルナールを閉じ込めておくことはできない。サミュエルとセレスティーヌが「面会」を終えた後、ものの数分でルナールは脱獄してしまったらしい。相変わらず目を見張る手際のよさである。
そして、バスティエ警部宛に再度予告状が届く。「本物の宵闇の真珠を頂きます」と。ここでやっと原作のシナリオに戻ってきた。
「怪盗ルナールは盗みをショーか何かと勘違いしているのです」
「宵闇の真珠」が保管されている美術館の廊下を行きながら、バスティエ警部は語りかける。修復士であるという「身分」は、本の世界を誤解なく練り歩くために必要な素養でもある。でなければ、怪盗の犯行予告現場に入ることもできなかっただろう。
「大切な誰かの品物を強奪する。その方法がどんなに見事であっても、犯罪は犯罪です。私は娯楽目的の怪盗気取りを認めるわけにはいかんのですよ」
「ええ、そーですねー」
サミュエルが適当に相槌をうつ。バスティエ警部は間延びした返事に一瞬顔をしかめたが、咳払いをひとつして先に進んだ。
本来ならばセレスティーヌがやる役回りをサミュエルがしているのは、やはり怪盗ルナール絡みである。セレスティーヌはルナールの大ファンだ。いかに処世術だとは言っても、「私はバスティエ警部に同調することはできません!」と言ってきかなかったため、無言に徹することになった。彼女はなかなかに頑固だというのは、サミュエルが数ヶ月過ごしての発見だ。
振り返れば、渋面のセレスティーヌがついてきている。あからさまに不機嫌で、思わずサミュエルは噴き出してしまった。
「ちょっと、サミュさん?」
「いやーごめんごめん。きみの顔が面白くて」
「レディに対してとんでもない口をききますね!」
ぷりぷりと怒り出した彼女を、更に面白いと思う。サミュエルの笑いが途絶えることはなかった。
案内されたのは、がらんとした展示室だった。壁一面に高価な絵画がいくつも展示されているが、あるはずの彫刻や骨董が撤去されている。その空間にあるのはただひとつ。中央に保管された「宵闇の真珠」だけだ。
「中央に宝石が……これみよがしに置いてしまって問題ないのですか?」
「無論、罠は何重にも張ってある」
心配は無用だと、バスティエ警部は鼻をならした。鼻下のちょび髭が息でわずかに揺れる。
「いかな修復士にも全容を伝えるわけにはいかんがね。これで怪盗ルナールも終わりだ」
自信に満ち溢れた警部の横顔を、サミュエルは気だるげな瞳で見ているだけだった。
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