怪盗ルナール(4)
「セレス。五巻の結末は?」
もしも読者ならばもっとも毛嫌いされる、その道を地で行く。本来憤慨ものの「ネタバレ」を要求してくるサミュエルに対して、セレスティーヌは一瞬戸惑った顔をする。わきまえた読者らしい葛藤だ。
だがルナールを救うために必要と判断したらしく、一拍置いてから小声で答える。視線の先にはバスティエ警部がいた。
「……この部屋には特殊な糸が無数に張られていて、ひとつでも触れれば網状に変化して捕らえる仕組みなんです」
「現実ではあり得ない技術だよね」
「そこは物語ということで。で、その罠を怪盗ルナールは……色々あってかいくぐり、宝石を盗むことに成功するんです。それでその、ひと悶着あって、警部は再戦を誓うわけです」
泣く泣く仔細を省いた痕跡が伺える語り口だった。セレスティーヌは喋り足りない様子で口を動かしていたが、それ以上サミュエルに語ることはなかった。
サミュエルとしては十分だったらしく、「ありがと」と軽く一言だけ返した。労いというものを欠片も感じさせない適当さである。それでもセレスティーヌは何も言わず、だけど不完全燃焼な表情を隠すことはせず、ルナールが現れるそのときを待った。
変化は十数分の後に訪れた。
ガラスの粉砕される大きな音が耳を貫く。館内にどよめきと緊張が走ると同時に、部屋の灯りが一気に消えた。
「何だ、何が起きている!?」
「照明器具がすべて破壊されています!」
「ルナールめ、闇に乗じて盗むつもりか! 各自持ち場を離れるな!」
警官たちとバスティエ警部の声が交錯する。サミュエルとセレスティーヌは、その一部始終を見届けるべく……暗闇では聞き届けるべく、神経を研ぎ澄ませていた。
ひゅっと、セレスティーヌの耳元に何かが流れる。
「風……?」
刹那、仕掛けが発動した。バスティエ警部渾身の、網に変化する特殊な糸だ。獲物が引っ掛かり、すべての張り巡らされた糸が一ヶ所に集約されていく。その中心にあるのが標的というわけだ。
ルナールは捕まってしまったのだろうか。セレスティーヌの心臓がひときわ大きく高鳴る。
「捕らえた! 観念しろ、こそ泥め!」
バスティエ警部の怒号とともに、手持ちの非常用照明が罠を照らす。展示室の上方で宙ぶらりんになったそれは、繭玉のようになっていた。外側からも何がいるのかわからない糸の密度だが、わずかにはみ出した一本の腕が真相を物語っている。
腕、と呼ぶのもお粗末な、布製のくたびれた人形の腕だった。
「ダミーだと……!?」
「アーッハッハッハ!」
漫画の手本になりそうな高笑いと、バスティエ警部の苦渋の一言が零れたのは近いタイミングだった。高笑いは繭玉の罠よりも更に頭上――天井の割られたガラス窓から、怪盗ルナールが発したものだ。
魔術師と恐れられる、その手腕。マントをなびかせる派手なパフォーマンス。エンターテイナーと自称してやまないその男は、得意気な笑みを浮かべているのが地上からでもわかる。
「宝石泥棒専門が聞いて呆れるな。まさかこんな単純なギミックで私を捕らえようなどと」
「怪盗ルナール……!」
バスティエ警部の憎々しげな呻きも、ルナールは気に留めていないようだ。
「失望だ、実につまらない幕切れだ。こんな骨のない相手では私も盗み甲斐がないというもの」
「なんだと?」
「ゆえに。その宝石、あなた方にお預けしよう。怪盗ルナールが狙うのは真に難攻不落の宝のみ。数にものを言わせた警備など破る価値なし。ゆめ忘れるな、私は金目当てのこそ泥ではないのだよ」
ぱぁん! と、ひときわ大きな破裂音が鼓膜を揺らした。セレスティーヌは思わず目を閉じる。しかし閉じた瞼を物ともしない閃光に、うっすらと目を開く。
花火だ。
色とりどり、泥棒の現場には夜の華が鮮やかに咲いている。割れた天井の穴から覗く満開の花火を背景に、怪盗ルナールはお決まりのセリフを吐いてみせた。
「では諸君! さらばだ!」
――夢を見ている心地だった。セレスティーヌにはそう思えた。怪盗の犯行現場に立ち会うはずだったのに、あとに残ったのはひとつのショーを見たような、心の充足感。
怪盗ルナールは「宝石を盗まない」という選択をした。宵闇の真珠を盗み、バスティエ警部に勝利宣言を叩きつける本来のシナリオとは異なる結末だ。これが物語にどう影響を与えるかと言われると、シナリオが改変されることはない。
けれど。
「セレス。きみ、嬉しそうだね」
サミュエルの浮わついた声に、セレスティーヌはそっと顔をあげた。花火の光が世界を包み込む。元の世界へと戻る予兆だ。
目があった上司は面白そうに自分を見ていたが、セレスティーヌは思わず笑ってしまった。怪訝そうにサミュエルは首を傾げる。その理由を、そっと囁くことにした。
「サミュさんこそ」
【四冊目:修復完了】
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