二冊目『虹色のメルヒェン』

虹色のメルヒェン(1)

『嫌です、絶対に!』


 リシュリュー家のリビングで、三ヵ月前のセレスティーヌはそう叫んでいた。


『まあ、セレスティーヌ。レディたる者が声を荒げるなどはしたないですわよ』

『ですが、お母様。私は認められません。受け入れられません!』


 両親が並んで座る革張りのソファは二人の体重をしっかりと受け止めて沈んでいる。これだけでもどれだけ高額なのだろう。ざっと数百万はくだらない高価な調度品に囲まれてもなお、この家は権力を求めている。否、権力を誇示することが家名そのものであると錯覚している。


『リシュリュー家の繁栄のためだ。お前も幼子ではないのだからわかるだろう』

『幼子ではないから理解できないのです!』


 セレスティーヌは革張りのソファを蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。


『何故、平和になった皇国に生まれてもなお、私の好きな生き方をさせてもらえないのですか……!』

『リシュリュー家の伝統がある。相手は名家ラファイエットだ、不足はあるまい』

『私は! 結婚して子供を産むだけの人生を望んでいるのではありません!』

『セレスティーヌ!』


 母親の咎めるような悲鳴と、父親の厳粛で事務的な宣告。どちらもセレスティーヌには己を責めるように思えた。どうして言うことを聞けないのかと。これではまるで、セレスティーヌが間違っているみたいではないか。

 でも彼女は知っている。今のリュミエール皇国には、数え切れないほどの仕事がある。職業がある。そして生まれによって就けない仕事は、皇帝以外には存在しないのだと。


『どうしても、私を家名の道具にしたいと仰せですか』

『お前がそう捉えるならそう思っても構わない』

『……ッ!』


 セレスティーヌは、その日家を飛び出した。


 ***


「……う……?」


 セレスティーヌの意識はそこで覚醒した。

 春のうららかな陽射し。窓から零れる、爽やかな朝を告げる鳥のさえずり。新しい朝が今日もやってきたのだ。


「夢を……」


 そう。どうやら夢を見ていたらしい。珍しく記憶に残る、浅い眠りをしていたのだろうか。爽やかな朝にそぐわない苦い後味の夢に、セレスティーヌは顔をしかめる。寝覚めの悪い顔はリシュリュー家の娘と知れたらたちまち叱咤されるところだ。


 セレスティーヌには夢があった。本に囲まれて仕事をしたいという夢だ。とある本と出会ったことで彼女は魅惑の本の世界に取りつかれ、そこから読書に没頭した。

 ファンタジー、伝記、軍記物、ラブロマンス……雑食と呼ばれるほどに読み漁った。

 セレスティーヌにとって、本とは異世界への扉だった。リシュリュー家の、定められた習い事しかできない鬱憤を晴らすように読みまくった。本でしか見られない景色がある。本だからこそ見つけられる事実がある。それがセレスティーヌには新鮮に思えたのだ。


 夢から覚めたセレスティーヌは、今の夢を追いかけるために準備を始める。リシュリュー家での暮らしでは食事や清掃など、身の回りのことは大体メイドがやってくれていた。だが今は誰もいない。

 かつての自室の半分もない広さの新居は、テーブルとクローゼット、ベッドに本棚があるだけで本当に殺風景だ。もらえるものはもらってしまえと、家出の際にちゃっかり持ってきた上等な衣服がここに来て役に立つ。寒い冬が来るまでは衣服を買う必要はないだろう。住まいも、毎月のアルバイト代でギリギリ工面できるラインではある。


 寝ぼけ眼の上司サミュエルのおかげで身の回りの整理整頓はできるようになった。

 問題は食事だ。


「……うう……」


 図書館からレシピ本を借りて日々奮闘しているが、今日も焦げ付いた卵焼きができあがった。味付けも甘すぎる、砂糖を入れすぎたらしい。劇物並みの不味さとは言わないが、普通に下手なクオリティだ。


「今度、お子様のいる司書さんに相談してみようかしら……」


 甘すぎる卵焼きと不格好なサンドイッチをランチボックスに詰め込んで、セレスティーヌは図書館へと向かった。

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