サミュエルという事象(3)
黒色だった。
アルベールとともにセレスティーヌが降り立った世界。新聞が報じた過去の記録。どんな事件を克明に語るのかと思いきや、その中身はどろりとした漆黒ただ一色だった。
足元に不安はない。ただ、その踏みしめているものが土地なのか床なのか未知の素材なのかはわからない。上も下も右も左も、そういった概念が存在していない。真っ暗闇にぽつんと佇む。本当にここが新聞の中なのか。矛盾するほど情報量が少なかった。
「アルベールさん、ここがサミュさんのいる世界なのですか?」
「間違いなく『リュミエール・タイムズ』に潜入しました。しかしこれは……」
さすがのアルベールも普段の尊大な口調に翳りが見える。それもそうだろう、一面の真っ黒な世界というのは不安をかきたてるものだ。そしてそれは、治せなかった本の末路に似ている。……家系図のような。
「これが報道を司る新聞だと言うのですか……?」
アルベールの言葉は苦さが滲んでいる。セレスティーヌも同感だ。
だが、ここで立ち止まっているわけにもいかないだろう。セレスティーヌは己を奮い立たせるように深く息を吸って、吐く。暗闇のなかで確かなのは自分とアルベールの姿のみ。どこへ足を踏み出せばいいのかもわからないが、進むという信念だけは曲げたくなかった。
「アルベールさん、まずはサミュさんを探しましょう。以前やっていた方法でサミュさんは探せないですか?」
「
え、とセレスティーヌは言葉に詰まった。フルネームでないとアルベールの力は機能しないなんて知らなかったのだ。以前見たときは自信満々にご先祖の名をしたためていたので万能だと思っていた。
そして当然、情報が抹消されたサミュエルの姓など知るよしもなく……
『ジーネ=クロワの再来か エトランゼ地方で内戦勃発』
真っ暗だった世界に、忽然と活字が降ってくる。横書きの大きな見出しはまさしく新聞のそれ。文字のみの情報は、それでもセレスティーヌを動揺させるに足るものだった。
「これ、は……!?」
「エトランゼ地方の内戦? 十年前にそんなもの」
アルベールは記憶を手繰るように腕組みをする。日々大小関わらず何かしらの出来事が起こっているリュミエール皇国で、十年前の事件を思い出すのは至難の技だ。それこそ歴史に名を刻む凄惨な戦争、事故、震災でなければ。
大見出しの後、続けて新聞記事のリード文が現れる。
『エトランゼ地方で少数民族の紛争が再発した。かつてジーネ=クロワ内乱が起こった土地で、ジュブワ族内での争いが表面化。皇国からの独立を目指す革命派と、独立に反対する穏健派でついに火蓋が切って落とされた。多数の戦死者が出ている模様』
同じ民族の中での対立、そして紛争へと発展。十年前であればリュミエール皇国は当然、地盤の安定した国家であった。百年前のジーネ=クロワ内乱の混沌とは訳が違う。事実、こんな記事は今目の前に出されてもセレスティーヌにはピンと来ない。
「十年前……確かに、そんな事件が地方であったような……?」
アルベールの反応は正しい。つまり、世間一般さらには貴族であっても、その程度の認知度ということである。
それでも、ジュブワ族は大きく疲弊し、まるで自傷行為のように多くの被害者を出していった。ジュブワ族のみが死傷したというのが、この紛争が「この程度」で済んでしまった最悪の要因だ。
「この新聞記事が出てきたということは、サミュさんの過去に関係が?」
「彼のフルネームはサミュエル・ジュブワであると……そういうことでしょうか、マドモワゼル」
「試してみてください」
セレスティーヌがせっつく。一刻も早くこの暗闇からサミュエルを見つけ出したい、その一心だった。彼が『ラヴィアンローズ』で見せたような苦しみを今も味わっているというのなら、その苦痛を取り除きたい。セレスティーヌは切に願った。
アルベールが宙にサミュエルの名を綴る。美麗な筆記体はたちまち淡い光を放つ。黒ではない色がこの世界にやっと差し込み、一筋の道を指し示した。
「道標が!」
「成功です、マドモワゼル。先を急ぎましょう!」
サミュエル・ジュブワ。
その名前をセレスティーヌは噛み締める。少数民族ジュブワの青年。その民族をセレスティーヌは知らないけれど。
なんだか、サミュエルには似合わない名前に思えた。
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