運命はロマンスグレー(2)
『ラヴィアンローズ』は、天才的な才能を持て囃され宮廷絵師となった男・モーリスと、宮廷で出会ったサンジェルマン伯爵の一人娘・ミレイユとの身分違いの恋物語である。世の中にラブロマンスは数あれど、恋愛小説としての知名度は非常に高い。「ラブロマンスといえば?」と道端で問えば、上位十番くらいにははいるのではなかろうか。
「いや、何もこれ以上の知名度を望みなどしないのですよ。強いて言えばもっと濃密なラブシーンを」
とざれ言をほざくのだが、
遊ぶように女と戯れてきた男の、本気の恋。それは多くの女性の胸をときめかせ、感動の渦に巻き込んだ。『ラヴィアンローズ』は身分違いの険しい恋であると同時に、感動巨編でもあるのだ。
「で、きみこそどうなのさ」
「どう、と言いますと?」
「サンジェルマン伯爵の娘さん」
サミュエルがそう問いかけると、モーリスはベレー帽を目深にかぶり直す。ロマンスグレーの瞳が影に溶けた。
「色気のない娘ですよ。そこのお嬢さんに似て、恋を知らない箱入りです」
それきり、モーリスは口を閉ざした。
モーリスはプレイボーイである。誰彼構わず女性であれば声を掛け、それがからかいであれ睦言であれ、何かしらのアクションをする。冷たくあしらうことだけはない。それがモーリスの個性だからだ。
だからこそ、唯一距離を置くように語ってしまうミレイユが、彼にとっては特別である証だった。
「モーリスさんはまるで子供です」
モーリス邸を出た道中で、セレスティーヌは不機嫌さを隠さずに言った。よほど腹に据えかねる思いがあったらしい。
「ミレイユさんを好きならば、もっと優しくしてあげるべきですのに」
「好きな子ほどいじめたい、ってやつなのかもね」
「それが子供だと言うんです」
横柄な態度では誰も好意的に受け止めませんと、セレスティーヌは腕組みする。
「モーリスさんは、この物語の結末を知っているんでしょうか」
「知らないと思うよ」
サミュエルが即答する。迷いのない口調だった。
「きみが語ってくれた結末を知っているなら、きっと彼は迷わない」
「モーリスさんは、迷ってらっしゃるんですね」
「目に余裕がなかったから」
モーリス邸を追われた今、しかし大人しく引き下がるつもりもない。本の世界に時の流れがあるかと言われれば「歪んでいる」と答えるのが正しいが、それでも腰を落ち着ける拠点は欲しいところだ。
裏手に小ぢんまりとした公園を見つけたので、そのベンチに腰を下ろした。サミュエルとの距離は小人ひとりぶん。
「セレスは、身分の壁の厚さを知ってる?」
その問いに、セレスティーヌは心臓が飛び出しそうになった。モーリスとミレイユの恋路を知っていたとしても、やはり胸が締め付けられる。貴族階級の身分へのプライドは、セレスティーヌ自身がよく知っていた。
「……ええ。貴族は家柄を重んじる身。平民出身の宮廷絵師など、家が許すはずがありません」
貴族はその名を轟かせることに価値がある。良い家柄を、良い縁を、そして良い子孫を。セレスティーヌがラファイエット家との婚約を告げられたときと同じだ。
貴族の娘は恋を知らなくていい。恋を知る機会なんて与えられなかった。家が決めた顔も知らぬ男と結ばれて、つつがなく家の装置として機能する。期待されているのはそれだけだった。家同士の潤滑油。その息苦しさを、セレスティーヌはよく知っている。
サミュエルはセレスティーヌの顔をじっと見つめる。その両目がいつもの眠たげなものではなく、何かを探るようなものだったからセレスティーヌは困惑した。この目はそう、初めてではない。
「ミレイユには婚約者がいるんだってね。モーリスはそのことも知っているし、なんならミレイユとは両思いかどうかもわからない。思いを遂げるためのハードルが高いよね」
恋ってものは厄介だ、とサミュエルは小さく息を吐いた。宮廷絵師を憂うその横顔は、セレスティーヌが知っている彼よりも大人びて見える。
「私たちに、何ができるんでしょうか」
「見届けることだよ」
サミュエルの銀の綿毛が、夕日に照らされオレンジ色に染まっていた。
「ぼくたちがするのは背中を押すことでも、踏みとどまらせることでもない。今までと同じように、彼の生きざまを心に刻むことだよ」
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