三冊目『ラファイエット家系図』
名家の系譜(1)
セレスティーヌは顔面蒼白になった。
貴族令嬢たるもの、そう易々と笑顔を崩してはならない。余裕のある美しい、そして品のある微笑みを。リシュリュー家で散々マナーとして叩き込まれた作法である。しかし、三ヵ月ですっかり市井の生活に適応しつつあるセレスティーヌは、そんな仮面の付け方を忘れていた。
何故なら、今日付で配属になった新たな修復士に眩暈を覚えたからだ。
「本日付でリュミエール国立図書館第五分室より配属となりました、修復士アルベール・ラファイエットと申します。名家ラファイエットの名に恥じぬ働きをしてみせますので、ええ、どうぞ皆々様よろしく!」
ラファイエット。
セレスティーヌがあの家にいたままだったら婚約させられるところだった、相手の御家である。
ラファイエットは騎士の名家。主に武芸に秀でた家柄であり、騎士団でも名高い名将を輩出することで有名なのだが、それが修復士とはいったいどういう風の吹き回しか。セレスティーヌにはわけがわからなかった。貴族が図書館で勤務することなんてないとたかをくくっていたのだ。
修復士は特殊な才能。ゆえにアルバイト感覚で採用できるものではなく、国がその才能を管理し、配属先を決定する。セレスティーヌのわがままひとつでどうこうできる相手ではなかった。
「なんで、どうして、ラファイエット家が……!」
セレスティーヌは動揺を隠せなかった。リシュリュー家にいたとき、ラファイエット家についてあまり興味がなかったのもあり、婚約者についての話はほとんど聞いていなかった。婚約の話が浮上し、家の道具になれと父親に言われたあの日、彼女は半ば衝動的に家を飛び出したのだから。
果たして今日配属された男は、未来のフィアンセだったのか。ラファイエット家には大勢の子息がいるから、セレスティーヌと結ばれる予定だったのか判断はできない。
「セレス。きみ、あの男に興味があるの?」
朝礼での衝撃的な挨拶を終えた午前の作業中、ペアで行動することが当然となったアルバイト生活。そのパートナーである修復士サミュエルは、唇を尖らせてそう聞いてきた。
サミュエルが他人に関心を持つなんて珍しい、とセレスティーヌは思った。本の修復以外のエネルギーを使わないような、へにゃっと溶けてしまいそうな男だ。年齢だってセレスティーヌよりは年上だろうが、まだ十分若い。
「あの男、って……アルベールさんのことですか」
「他にいないでしょ。きみ、朝から変に意識してない?」
「そんなことはっ」
意識してしまうのは防衛本能みたいなものだ。セレスティーヌは語気を強くして否定する。普段からサミュエルを叱咤激励する役回りであり、怖がりなところをからかわれることもある彼女が声を荒げるのはおかしいことではない。しかし、今回はタイミングが悪すぎた。
「ほら、強く否定する。ぼくにだってわかる、きみは嘘をついている」
「嘘というか」
「あの男の何がそんなに気になるの?」
身分を隠して働いている以上、ラファイエット家とリシュリュー家の関係を引き合いに出すわけにはいかない。かといって下手な嘘をつけばまた自分の首を絞めるだけ。セレスティーヌは苦悶した。葛藤し、視線を彷徨わせた。
導き出した答えは。
「……私、貴族に興味がありまして……その、ラファイエット家は騎士の名家と聞いていましたから」
嘘はついていない。セレスティーヌは自分自身に強く言い聞かせた。
サミュエルは疑り深い眼差しでじろりと舐めまわすように見つめてきた。普段のふわふわした態度からは乖離した、疑心暗鬼な視線だ。そういった鋭い光がサミュエルに宿る瞬間というのをセレスティーヌはあまり見なかったものだから、余計にたじろいだ。
「そっか。セレスも案外ミーハーなんだね」
拷問のような観察の果てに紡がれたのは、そんな言葉だった。セレスティーヌは「私はミーハーなんかじゃありません!」と叫びたい思いをぐっと飲み込み、波風立たなかったことに内心安堵する。サミュエルが本当に納得したかどうかはあまり考えたくなかった。
「それにしても、意外です」
「何が?」
「サミュさんが対抗意識を燃やすことが」
「……え。何に」
理解できないという様子で首を傾げるサミュエルは、本当に意味を理解していないようだ。セレスティーヌもわずかなすれ違いを察知し、言葉を補完する。
「サミュさんがこんなに詰問する様、そうそうないじゃないですか。私を追及したのは新しい修復士のアルベールさんに危機感を抱いているのかと」
「ぼくが? なんで?」
「違うんですか」
思えば、昼寝が大好きな脱力系青年・サミュエルがライバルに対抗するような人間だと考えたことが、そもそも間違いだったのかもしれない。そうなると今度はセレスティーヌが首を傾げる番だ。
「じゃあどうして詰問なんてしたんですか? サミュさんもラファイエット家に興味が……」
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