名家の系譜(2)

「私のことを呼びましたか!」

「ぎゃッ!?」


 セレスティーヌは飛びのいた。背後から掛けられた声におののいた。今朝一番に聞くには耳に痛い、朗々としたバカでかい大音声は、一発でインプットされてしまうおまけつきだ。

 外見だけ、そう外見だけは非常に理知的なのに。セレスティーヌは溜息をぐっと堪える。銀縁メガネにオールバックにした灰色の髪は一切の無駄をそぎ落としたかのようなスマートな印象を受ける。上質なモノトーンのローブは名家だからこそ纏えるものだし、金色の徽章はリュミエール皇国が支給する修復士の証左(サミュエルは「なくすから」と家のどこかにしまいこんでいるらしい)。

 どこからどう見ても、真面目で厳格そうな貴族の青年だ。……青年と言っても年嵩はかなりあるように窺えるが。


「あ、アルベールさん……!?」

「マドモワゼル。驚くのは結構だが、淑女たるものもっと品のある悲鳴をあげてはいかがかな」


 貴族の端くれ、リシュリュー家の次女たるセレスティーヌにそう説教を垂れた時点で、彼女はすっかり安心した。目の前の厳格そうな男は自分の素性に気付いていない。それはそれとして「品の無い悲鳴」をあげてしまったことはへこんだ。


「すみません、はしたない真似を」

「いやはや構いませんよ。で? 私のことを話題にしていませんでしたか、いやしていましたね皆まで言うな」


 にこやかに、そしてはきはきと、図書館中に響き渡るのではないかと思うほどよく通る声。間違ってもこの人と内密な話はできないなとセレスティーヌは確信した。そして視野が非常に狭い。セレスティーヌは早々に会話を切り上げたい衝動に駆られた。


「いえその、これから一緒にお仕事をする方ですから」

「セレスはきみのことが気になるんだってさ」

「サミュさん!?」


 穏便に話を済ませようとしたら、思わぬ伏兵がやってきた。サミュエルの方を振り返るが、いつもの食えない穏やかな顔がそこにあるだけだ。


「ほお、ほおほお! 私が気になると!」

「あのそんな大袈裟なことは」

「リュミエール皇国でも希少な才能、その歴史の中でも史上初と言われる貴族出身の修復士! このアルベール・ラファイエットが気になると!」


 知りたいことは全部アルベールが勝手に喋り出していた。


「私に修復士という神からの授かりものがあったのは、今から六年前の話です。当時騎士としての鍛錬を積むものの思うような成果をあげられず私は焦っていた。騎士として家に泥は塗れない、しかし私には騎士としての誇りがある! どうにかして名を挙げたいと思っていたとき、私の中の修復士の才能が開花したのです」


 続きはこちらをどうぞ、と半ば押し付けられた本を見てセレスティーヌは絶句した。『騎士の系譜』と題された分厚い大判の書籍。厚さはどれくらいあるだろうか、おそらくタイトルから察するに家の系譜のようだが相当なボリュームだ。

 だが、セレスティーヌが驚いたのは本の厚さに対してではない。タイトルこそ読めるが、表紙には本来いるであろう名家ラファイエットの初代当主――「青嵐せいらんの騎士」リュカ・ラファイエットの姿だけが、すっぽりと抜け落ちている。まるで初めから存在していなかったかのように。


「アルベールさん、この本は……」

「我が家系図を、私のリュミエール国立図書館での初仕事にしようと思うのですよ」


 どういうわけか、アルベールの表情は得意気だ。自分の家の大切な家系図が精神的に傷を負っている。その状況に対して思うことはないのだろうか。サミュエルがわずかに眉をひそめるのを、セレスティーヌは視界の端で捉えた。


「修復士としての私の実力も存分に発揮できますし、何より名家ラファイエットの名をもっと世に知らしめなくては! そういう意味においても、この本を修復するのは私にこそふさわしい」

「本の修復を、自己顕示に使うと言うのですか」

「そんなことは言っていません、マドモワゼル。私は修復士として傷ついた本を治す。ただ、どの本を治すかは私が決めるということです」


 セレスティーヌの胸に、なんだかとても苦いものが下りてきた。ああそうだ、これはリシュリュー家にいたときに感じた嫌悪に似ているのだと、数拍して思い出す。


 貴族というのは自己顕示欲の塊だ。権力に憑りつかれた魔物だ。今ならセレスティーヌは、貴族という特権階級に対してそういった称号を授ける。

 リュミエール皇国が建国されるにあたり、いかに尽力した家の系譜であるからといって、その子孫も立派であるとは限らない。先祖が築き上げた財産、地位、そういったものに腰かけて思うまま権力を振るう。

 それが市井の抱く貴族のイメージであり、そのイメージと乖離しているわけでもない。セレスティーヌはそれを、悔しいと思った。


 見届けなくてはならない。アルベール・ラファイエットという貴族は果たして、どんな風に本を治すのかを。


「アルベールさん。お願いがあるのですが」


 思い立ったセレスティーヌは早かった。

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