名家の系譜(3)

「いやはや、驚きました。マドモワゼルはこの私の仕事に興味がおありなのですね」


 修復士が本を治す手段はいくらかある。厳密には修復士の数だけ方法がある、といったところだ。いわば本のカウンセラーみたいな部分があるから、アプローチは人によって異なる。

 アルベール・ラファイエットは嬉々とした表情で頷いていた。


「私はサミュさん以外の修復士を知りません。だから、アルベールさんはどうやって治すのか、見ておきたくて」

「確かに。修復士は希少な才能ですからね。そしてその仕事現場に他人を連れ込む人間はほぼいませんし」


 言葉の外でサミュエルを非難しているのかはわからないが、意識しての言葉なのかもしれない。そうセレスティーヌは感じた。


 本の世界に入るには、修復士と身体を接触させなければならない。普段は手を繋いで入り込んでいたセレスティーヌだが、アルベールにそれを伝えると恭しく手を引かれた。さすが貴族、紳士的なエスコートは骨の髄まで染み込んでいるらしい。サテン生地の滑らかな手袋が触れたとき、セレスティーヌは舞踏会でのワルツを思い出した。


「ここは……戦場、ですか?」


 口にしてすぐ、違うなとセレスティーヌは考え直した。時代は戦争のただ中であっても、このときこの場所に戦火は飛んできていない。

 背後を険しい山脈に守られた、クリーム色の石材を積み上げて作られた要塞。城壁にしては奥に守るべき城が見当たらない。恐らくは、戦争における出撃拠点なのだろう。セレスティーヌは過去に読んだ歴史小説を思い返していた。きっと今回の世界において必要な知識だ。


「いいえ、マドモワゼル。ここはリュミエール皇国の首都……その郊外です」

「エトランゼ平原、ですか。だとしたら百年前の」


 言ってから、セレスティーヌは息を呑んだ。百年前。リュミエール皇国がリュミエール皇国として安定した国家を築き上げるための、最後の踏み台。

 「青嵐の騎士」リュカ・ラファイエットはこの戦いにおいて最大の功労者となり、ラファイエット家は騎士として勲章を授かり、名家の仲間入りを果たした。そのきっかけとなる戦役である。


「ジーネ=クロワ内乱……!」

「ああ、名付けるならばそんないさかいでしたか、あれは」

「あなたはっ」


 信念の政治家オーギュスト・デューラーが沈静化のために奔走した、立派な史実だ。セレスティーヌは実際に目の当たりにしたわけではないが、あの幽霊屋敷の記憶は今も心に刻み込まれている。

 ジーネ族とクロワ族という少数民族による紛争。しかし当時の国王が崩御したばかりで、リュミエール皇国中枢は後継ぎ争いで揉めに揉めていた。歴史書にはそう綴られている。オーギュスト・デューラーは機能を失った政治機関に代わり、民族紛争を解決するためその脚を動かした。


 彼の遺志を知った身として、セレスティーヌはジーネ=クロワ内乱を「そんないさかい」で済ますことはできなかった。


「多くの命が散った戦争に対して、なんて言葉を使うのですか!」

「マドモワゼルはまるでご自身が見聞きしたようにお話になる。感受性豊かな女性は魅力的なものです」


 ですが、とアルベールはやや頬の筋肉を固くして応じた。


「我が祖先、リュカ・ラファイエット卿の行方が最優先です。我々は戦争の可否を問いに来たわけではない、そうでしょう」


 諭すような言い方がまるで勝者のようで、セレスティーヌは悔しげに唇を噛み締めた。戦争の可否を問いたかったのではない。ただ、戦争を軽んじる発言が許せなかっただけ。彼は聞く耳を持たないだろうし理解できないだろうから、セレスティーヌは諦めて瞑目した。


 リュカ・ラファイエットがジーネ=クロワ内乱の沈静化に出たのではないのなら、彼のお役目はもう片方だと予想される。すなわち、当時国内で起こっていた国王の後継者争い、その鎮圧だ。

 国王には七人の息子がいたと言われているが、本来の後継者である長兄が怪死を遂げる。そこから息子同士が派閥のようにグループ化され、互いに殺しあっていたと言う。権謀術数と打算と欲望と、政治と権力の暗部をこれでもかと露呈した陰謀劇は人望の厚い四男が唯一生き残るまで続いたという。暗い、昏い歴史だ。

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