幕間:セレスの日常

「どうして昨日のうちに言ってくれなかったのかしら!」


 セレスティーヌ・リシュリューは肩をいからせて歩く。三ヶ月前に比べれば歩幅の大きくなった一歩を何度も繰り返して。

 リュミエール皇国の首都・ウィーレは別名「華の大都会」とも呼ばれる豪奢な都市である。白と淡い有彩色を織り混ぜた石畳ひとつをとっても洒落た色合いだと評判になるほど。もっとも、パステルカラーの歩道をセレスティーヌは感慨なく踏み抜いていくが。


「ランドヴォー社は遠いから朝イチで言われても買いに行けませんって、あれだけ言ったのに……!」


 言われたのだ。セレスティーヌは忌々しげに愚痴をこぼす。

 図書館に出勤し朝礼を終えてすぐ、「セレス、マスキングテープが切れちゃった。いつでもいいから買っといてよ」と言われたとき、セレスティーヌは天を仰いだ。マスキングテープとのりがなければサミュエルは仕事ができない。本の世界に入るための大切な仕事道具だ。仕事ができないということはサミュエルは手持ちぶさたになるのだが、「それでもいい」と笑う彼をセレスティーヌは認めていない。


 是が非でもマスキングテープを買わなければ、サミュエルがただの窓際サボりになってしまう。だからセレスティーヌは貴重な昼休みを買い出しに費やすのだった。


 国立図書館から歩くこと二十分。徒歩でそこそこの距離にあるランドヴォー社はいわゆる高級文具店だ。一点ものの万年筆や上質紙でできたノートなど、どれも上等なものが並んでいる。値段は張るがもちろん品質はお墨付きで、日頃のご褒美にとプレゼント用に買う人も珍しくないという。

 セレスティーヌも屋敷にいたころはランドヴォー社の羽ペンを愛用していたから、その品質の高さには馴染みがある。家をでてからは私物をここで買うことはまだないけれども。


「いらっしゃいませ」


 きっちり四十五度の手本みたいな礼とともにセレスティーヌは迎えられる。格式高い外観や内装で一般人は気後れする雰囲気なのだが、なんの迷いもなく歩けるのは貴族生活の賜物だろう。


「国立図書館の者です。マスキングテープを買いにきたのですが」

「いつもありがとうございます。こちらに」


 マスキングテープの買い出しは週一回くらいのペースで行っている。使用量が多いためだ。この店にセレスティーヌが通いだしてから三ヶ月ではあるが、店員に顔を覚えられる程度にはなっていた。

 いつものように筆記具ゾーンを抜け、店の中ほどにあるエリアに案内される。のり、セロハンテープといったアイテムがここにまとめられているのだ。一際鮮やかなロールが並ぶのがマスキングテープのコーナーだ。


「まあ! こちらは新作ですか?」


 セレスティーヌが感嘆の声をあげる。毎週通っているとはいえ、品揃えは頻繁に変化するもの。「新商品」の文字を発見したセレスティーヌは目を輝かせて店員に問いを投げた。


「はい。果物が美味しい時期になりましたので」

「ブドウですか、紫色が素敵ですね。こちらはナシ……リンゴがアクセントになって華やかです!」

「ありがとうございます」


 ランドヴォー社製のマスキングテープであれば、柄の指定はされていない。それをいいことにマスキングテープの選定はセレスティーヌの趣味で行われていた。こうやってさまざまな柄のマスキングテープを見ることが彼女の小さな楽しみになっている。


「ではあの、こちらの果物柄一種類ずつと、ここからここまでそれぞれ五本ずつ頂けますか?」


 そしてこの大人買いである。経費で落ちる、という言葉の素晴らしさをセレスティーヌははじめての買い出しで知ったものだ。


 領収書を図書館名義できっちりもらい、紙袋にこれでもかと詰め込まれたマスキングテープを片手に、セレスティーヌは徒歩二十分の帰路につく。結局、不格好なサンドイッチを放り込むだけの簡素な昼食となってしまった。

 午後の始業で開口一番サミュエルに小言を垂れれば、セレスティーヌのいつもの日常が始まる。


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