名家の系譜(5)

「救いだと? 我が子孫を名乗るのならばもっとまともな嘘をつけ。ラファイエットは騎士の誇りにかけて、一方的な偽善を押し付けたりはしない」

「押し付け?」


 心底意味がわからない、と言った風のアルベールの顔にセレスティーヌは愕然とした。人として大切な感情が欠けているのではないか? 自己顕示に特化しすぎたこの男では、きっと祖先の誇り高い矜持などはわからない。

 セレスティーヌにはわかる気がした。実際に苛烈な戦地を走ったわけではないが、リュカ・ラファイエットの核を……少なくともアルベールよりは理解できる自信があった。


「我は誓う。我が主と信じた御方にのみ膝を折り、心を砕き、ときに剣となり盾となると。いたずらに他の人間に屈したりはせぬ。こんな矮小な檻で我が心根を捕らえることすら卑劣と思い知れ!」


 卑怯者と、リュカ・ラファイエットは己の子孫を呪った。対してアルベールは純粋な善意のまま、困惑したように首を傾げている。


「わかりません。何故、何故なのでしょう我が祖先。私はあなたを救いたい。それには私の術式での浄化が最適解だと言うのに、何故激昂されるのですか?」

「貴様には死んでもわかるまい」


 吐き捨てるようにリュカ・ラファイエットは呟く。この誇り高き忠義の騎士の根幹を否定したことに、アルベールはまだ気づかない。


「さあ、浄化してみせろ修復士とやら。それで未来が救われると信じているのならな」

「……? ええ、言われずともそのつもりですが」


 納得したのなら話は早いと、アルベールは術式の本格的な稼働に注力した。柔らかな光の鳥籠は、一層強い白色を放っていく。リュカ・ラファイエットの姿など塗り潰してしまうように。


「ッ、そんな! あなたはそれでいいのですか!?」


 アルベールはこの意味をきっとわかっていない。術式に当てはめて浄化すれば、万事うまくいくと考えている。しかしそれは最後の手段だ。「虹色のメルヒェン」は覚えている。背筋が凍りつくような言葉の雨と、憎悪に染まった獣の牙を。泣き濡れたあの灰色の世界を。

 無理矢理本を治したところで、いつか傷口が開いてしまう。今は無事でも、時が経てば必ず。そして心の傷は、何度も縫合して完治するものではない。

 下手をすれば失敗もする。荒む心を治しきれずに、本の世界そのものが修復不能になってしまうのだ。


「このままでは、あなたは!」

「だからどうした、娘よ」


 リュカ・ラファイエットはもう真っ白で輪郭すらおぼろになっていた。さっきよりもずっと穏やかなテノールが、代わりにセレスティーヌの鼓膜を揺らす。


「我が忠義は我が主へのもの。主がそれを知ってくだされば、それでいい」


 セレスティーヌは納得した。理解してしまった。そしてこの誇り高き青嵐の騎士に、胸を詰まらせた。

 言葉なんて見つからなかった。言葉にするのも恐れ多いほど、彼の忠義を示すものがなく。そしてこの本が傷ついた理由も、わかった気がした。


 リュカ・ラファイエットは治療を望んでなどいなかった。


 この本を汚したのは、他ならぬ編纂者と読者たち。騎士の誇りを履き違え、後世に語り継ぐための手段にしてしまった者たちの成れの果て。だから、治療が失敗することこそが彼の望みであると、セレスティーヌは知ってしまった。

 このまま無理矢理治療すれば、きっとリュカ・ラファイエットは消滅する。表紙が戻ってくることはない。本として修復不可能なまでに黒色に染まり、人々の記憶からも風化していくのだろう。

 それがいいと、あの騎士は望んでいた。


「……わかりました」


 セレスティーヌはもう声しか掴めない真っ白な空間に向けて、叫んだ。


「あなたの信じた方はきっと、素晴らしい国を築き上げてくれます!」


 返事はなかった。意識も遠退いていく。アルベールの術式が完成し、リュカ・ラファイエットが消滅したのだろう。強制的に本の世界から追い出されていくのだ。修復不能状態で。

 リュカ・ラファイエットが忠誠を誓った四男は今のリュミエール皇国の礎を築いた王であった。彼が信じ、貫いた信義は別の形で語り継がれていく。たとえ世界がリュカ・ラファイエットを振り返らなくても。


【三冊目:修復不能】

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